8 つかの間の平和
アルベック城の守備を命じられたミランダは、わずかな手荷物のみを抱えて馬車に乗った。自力で飛んだほうが速いのだが、これには皇帝の命令に背いたミランダへの懲罰の意味も含まれている。
そのためミランダや魔道学院の生徒たちが乗る馬車には、険悪な表情の騎士たちも乗っていた。ミランダ、もしくは学生の誰か一人でも勝手に逃げ出したりしたら、残った者たちを容赦なく処刑すると脅しているのだろう。
「……あなたたちまで巻き込んでしまい、ごめんなさい」
馬車の旅での休憩中、監視の目はあるものの手洗いのために女性だけで移動することを許されたときにミランダが謝ると、魔道学院の女子生徒は首を横に振った。
「滅相もございません! 私たち、これまでミランダ様が学院のために盾になってくださったってこと、知ってるんです! 学院長様も、これまでのご恩を返すためにもミランダ様に協力しなさいと言ってくださいました!」
そう言う彼女は、赤いお下げを背中に垂らしている。
帝都の商家出身で、現在学院の最高学年の十五歳。下に多くの弟妹がおり、学院を卒業したら魔術師団に就職してたくさん稼ぐのが目標……だった、らしい。
彼女が入学した翌年、前皇帝の急死により帝国の状況は大きく変わった。
もう彼女が魔術師団に就職するという道は完全に閉ざされてしまったがそれでも、魔術師としてできることを頑張りたいという意欲に燃えていた。
彼女をはじめとした、今回動員された魔道学院の生徒たちは皆やる気に満ちていた。
魔道学院は三学年制で、今回徴兵されたのは最高学年に所属する十八人だった。魔道学院もかつては百人以上の生徒が通う学び舎だったが、今はすっかりさびれて小規模になってしまっていた。
十八人はミランダと共に戦い、魔道学院の名に恥じない成果を残すのだと意気込んでいる。
それがまた……ミランダにとっては、申し訳なかった。
(この子たちを、無駄死にさせたりはしない……!)
「ありがとう。あなたたちのことを頼りにしているわ。えっと……」
「あっ、私のことはレベッカお呼びください!」
レベッカは自ら名乗り、お下げを揺らしてお辞儀をした。
「私たち、まだまだ見習いだけど魔道学院でたくさん学んできました。ミランダ様の足下にも及ばないけれど……頑張ります!」
「……本当にありがとう。頼りにしているわ、レベッカ」
ミランダがそう言って微笑むと、レベッカは「えへへ」と照れたように笑ってくれた。
アルベック城への道のりは、単調だった。
その間、当然ミランダは医者に診てもらうこともできず……自分の体になにも変化がありませんように、と願うしかなかった。
そうして約十日の路程の末に、ミランダたちはアルベック城に到着した。
(ここが、国境の砦であるアルベック城……)
馬車から降りたミランダは、朽ちかけた城を見上げてほうっとため息を吐き出した。
前皇帝は帝国内のあちこちに臣下を派遣して、土地の管理を行わせていた。だが現皇帝はそういうのに全く関心がなく、地方は搾れるものだけ絞って捨て置かれた。
このアルベック城も、本来ならば王国軍との戦いに備えて守りを強固なものにしなければならないのに、城はぼろぼろのままで放っておかれている。ミランダたちもろとも、王国軍と戦うときの使い捨ての壁として使うつもりなのだろう。
そんな荒れた城だが、ここに暮らしている人たちもいる。
粗末な身なりの住人はミランダたちを、恭しい態度で迎えてくれた。
「指揮官の、ミランダ様ですね。このような僻地のなにもない城にお越しいただくなんて……」
「いいえ、私たちこそ皆様の世話になります。これからはこの城で暮らす仲間として、どうかよろしくお願いします」
ミランダはそう言って、城の代表者らしい背の曲がった老人と握手をした。
彼は「おお……」と感激した様子でミランダの手を握り返し、彼の後ろに控える使用人たちも少し寂しそうに微笑んでいた。
(皆も、私が左遷同然にここに送られたということに気づいているのね……)
栄転ではなくて、帝城で失態を犯した者の流刑地扱い。
いずれ王国軍が攻めてきたときにも、都合のよい壁として機能することだけを求められた存在。
それでも、ここには確かに生きている人たちがいる。皆、このような辺境でもたくましく生きている。
(……今度こそ、私はここを守りたい。守らなければならない)
ミランダは、自分にそう言い聞かせた。
アルベック城での日々は、実に穏やかだった。
帝城から送られた見張りの騎士のせいで相変わらず自由行動はしにくいが、それでも城内では比較的ゆっくり過ごせる。
レベッカたち魔道学院の生徒はこの城でどう振る舞えばいいのか迷っているようだったが、「戦いが起こるまでは、皆と一緒に協力して生活していきましょう」と言うと、それぞれが仕事を見つけて一生懸命取り組むようになった。
魔術師の能力は、生活にも役立てられる。
生徒たちが魔法で炎や水を起こしたり、怪我した人を治療したり、動物のお産の手伝をしたりすると、住人たちからも喜ばれた。最初は「帝都から徴兵されたかわいそうな子どもたち」だった生徒たちも間もなく、アルベック城で共に暮らす仲間として受け入れられた。
「ミランダ様!」
「おはようございます、ミランダ様!」
朝、ミランダが城内の見回りをしているとあちこちから声をかけられる。
それは使用人だったり、魔道学院の生徒だったり、様々な人が笑顔でミランダに挨拶してくれた。
「うふふ。ミランダ様、大人気ですね」
「かわからないでちょうだい、レベッカ」
やれやれとミランダが横を見ると、魔道学院の黒い制服姿のレベッカがくすくす笑っていた。
「でも、本当ですもん。私たちみんな、ミランダ様のことが大好きなんですよ」
「……帝都から厄介払いされた左遷魔術師なのに?」
この頃になるとレベッカたちもミランダの境遇を察していたので自嘲気味にそう言うと、レベッカは困った顔で唸った。
「うーん……始まりはそうかもしれませんが、結局は『そこで何をするか』が問題なんじゃないですか?」
「そこで、何をするか……」
「はい! ってこれ、学院長様の受け売りなんですけどね」
えへ、と舌を出すレベッカに、ついミランダも笑みをこぼしてしまう。
「だから、私たちも城のみんなも大好きなミランダ様は、すごいってことです! いつもぶすっとして私たちに文句ばかり言う騎士たちとは大違いです!」
「声が大きいわよ」
こらこら、と苦笑して叱る。
今近くに気配はないが、この城には帝城から送られた見張りも在駐している。文句ばかり言って横暴な彼らは城の使用人からも学生からも大不評を買っているが、逆らえば剣で斬り捨てられてもおかしくないので、こうしてこっそり文句を言うことしかできなかった。
監視されており、いつ崩れるかわからない、砂上の楼閣のようなつかの間の平和。
それでもレベッカたちはこの日々を大切にして……ミランダのことを敬愛してくれる。
(……もう、それだけで十分だわ)
いずれ、この城を王国軍が攻めてくるかもしれない。
皆が暮らす城が、牛や鶏たちがのんびり過ごす牧場が、痩せた土地でも野菜たちが精一杯育つ畑が、野生動物や野良猫たちが暮らす森が、焼き払われ軍靴で踏みにじられるかもしれない。
そうされても仕方のないことを、帝国軍はしている。この城も帝国領内にあるのだから、王国からの報復を受けてもおかしくない。
それでも。
(今度こそ、私はここを守る。誰も……傷つけさせない)
ミランダは一度、帝国の人間としての道を誤ったのだ。
今度こそ、必ず戦い抜く。
たとえ……シリルと敵対することになっても。




