7 転がり落ちる魔術師
どれほどの間、気絶していたのだろうか。
「うっ……?」
鈍い痛みでミランダはゆっくり覚醒した。身じろぎしようとしたが、体が何かにがっちりと捕まっている。
(えっ……?)
目を瞬かせると、薄暗い小屋の景色が横倒しになっていた。ミランダの頭の下には硬い棒のようなものが差し込まれ、それが枕代わりになっている。
「私……いったぁ!?」
少し体を動かしただけで、あちこちがずきずきと痛む。
そうしてミランダはやっと、今の状況を把握した。
(わ、私、シリル殿下と……!)
はっとして振り返るとそこには、天使のような寝顔が。
昨夜ミランダの抗議を受け入れず散々体を暴いたシリルはぐっすり眠っているが、彼の腕と片脚がミランダの体に回って後ろから拘束していた。
完全に体調も戻ったようで、その寝顔は穏やかだ。二年ぶりに見る彼は少年の頃の面影を残しつつも立派な大人になっているが、寝顔はかわいらしい。よく見ると、顎と口の周りにぽつぽつと髭が生えている。
背中越しに温かな体温を感じて、ミランダの顔からざっと血の気が引いた。
(ど、どうしよう……!?)
窓から、ほのかな朝日が漏れている。おそらく、夜明けを迎えてすぐといった時刻だろう。
ミランダは昨夜シリルに捕まって無体を働かれ、気絶するように眠ってしまった。間違いなくその間、小屋にかけた結界魔術は解除されている。
シリルと二人、裸でベッドに寝ているときに見つからなかったのが、奇跡のようなものだ。
だが……。
(人の気配……!)
森に魔力を巡らしたミランダは、ここからほど近い場所に数名の気配があることに気づいて慌てて体を起こし、執拗に抱きしめてくるシリルの拘束から逃れた。
(……殿下)
昨夜シリルに引きちぎられた服をなんとか着ながら、ミランダの心臓は嫌な速度で鳴っている。
ミランダは小屋に結界魔術を施してから小屋の中に自分の荷物がなにも残っていないのを確認して、表に出た。
柔い朝日が森を照らす中、自分の体を隠す魔術を施してから、近くの木の陰で近づく者たちの様子を見る。
相手は徒歩のようで、ゆっくりと気配が近づく。
そうして――森の奥に見えた者たちが着ている軍服の色は、青。リドベキア王国の色だ。
(よかった……!)
ミランダはほっと息をつき、小屋を包む結界魔術を解除した。すると「こんなところに小屋が……?」「中を調べよう」と、王国軍が小屋に入る。
間もなく、「殿下!?」と言う声がしたので、ミランダは胸をなで下ろした。
もう、大丈夫だ。
シリルは元気になったし、王国軍に見つけてもらえた。このまま駐屯地まで戻れるだろう。
木陰に隠れていたミランダは息を吐き出し、とんっと宙を蹴った。明るい朝なので姿を消しながら、朝焼けに染まる空を飛ぶ。
……飛びながら、まだ体がずきずき痛む。そっと下腹に手を当てて、ミランダは唇を噛んだ。
(……シリル殿下、どうして昨夜、あんなことを……)
彼がミランダのことを把握しているようには思えなかった。とすると、病み上がりの彼はおぼつかない視界の中でも目の前に女がいることに気づき、ちょうどいいと思ったのだろうか。
ミランダを拘束してベッドに連れ込んだときのシリルの力は、強かった。
だがミランダの体に触れる手のひらは思いのほか優しく、声は出てこなくて視点も定まらないにしろ、なにもかもが初めてで痛みに涙を流すミランダを気遣うような素振りも見せてくれた。
……気遣うわりには最後まで離してくれなかったが、シリルだって若い男性だ。
おまけに病み上がりで、自分の感情もセーブできなかったのかもしれない。
「殿下……」
空を飛びながら、ミランダは首を横に振る。
これは、事故だ。
ミランダにとってもシリルにとっても思いがけない、事故だった。
シリルがどこまでのことを理解し、どこまで覚えているのかはわからない。
だが帝国軍との戦闘の真っ最中にミランダと会うなんて思ってもいないだろうし……そもそも自分が抱いた相手が誰なのかわかっていない可能性もある。
だとしたら、これはお互い忘れたほうがいい。
二十四年間の人生で一度も恋人ができたことのないミランダにとってはとんでもない初体験となったが、相手はよく知った青年だ。
暴漢に襲われるのだとしたら死んだほうがましだが、相手は四年間を共に過ごしたシリル……しかもかなり弱った状態だったので、拒否できなかった。
(私さえ割り切ったら、丸く収まるわ)
もう、恋に夢見る年でもない。帝国で素敵な男性に見初めてもらえるかも、なんて可能性も皆無だ。
かわいがっていた青年が困っているときに力になれた、と非常に前向きな解釈をしたほうがいいだろう。
シリルのことを異性として好きだとか、そういうことは関係ない。どちらにとっても予想外の出来事だったのだと受け入れるべきだ。
(……帰ったら、お薬をもらわないと)
念には念をということで、医者に診てもらい早いうちに治療を受けたほうがいいだろう。
……そう思ったミランダだったが、結果として彼女は医者にかかることはできなかった。
ミランダは一日半無断で城を離れており、案の定その間に仕事を割り振ろうとした宰相にばれてしまっていた。
宰相は勝手に城を離れたミランダに激怒し、皇帝に報告した。元々魔術師のことを快く思っていなかった皇帝はこの報告に怒り――ミランダに、「魔道学院の生徒を率いてアルベック城の守備をせよ」と命じた。
ミランダは、ショックを受けた。
自分が罰を受けるのは、承知の上だった。それに皇帝や宰相に叱られたのは無断欠勤のみで、薬品庫の薬をくすねたことや、ましてやあと一歩で仕留められるはずだったシリルの命を救ったことなどはばれていなかった。
だが、とうとう魔道学院を巻き込んでしまった。それに、アルベック城といえば帝国の北西に位置する砦で――もし王国軍が攻めてきたならば、真っ先に狙われる場所だ。
皇帝は、ミランダに死ねと言っているのだ。
魔道学院の生徒という戦慣れしていない子どもたちもろとも捨て駒にして、王国軍の餌食になれと言っているようなものだ。
「あんたって最低ね。どうせどこかで男と密会していたんでしょうけど、それで学院の子どもたちも巻き込むなんて」
皇帝との謁見を終えたミランダにそう言うのは、ヴィヴィアン。
言っていることは至極まとも――男と密会していたというのも、事実だ――だが、にやにやしているので台無しだ。目障りなミランダがようやく城から出て行くので、ご満悦のようだ。
「でもわたくし、お父様にお願いしたのよ? わたくしはあのおばさんと仲がいいから、どうかちょっとだけでも減刑してあげてって。優しいでしょう?」
「……ヴィヴィアン様のご温情に、感謝します」
どうせそんなこと言っていないのだろうと思いつつもミランダがぼそっと応じると、ヴィヴィアンはきゃらきゃらと笑った。
「うふふ、感謝なさい! あーあ、それにしても、早く女王なんか殺してくれないかしら。女王が死ねば、シリル様が王様になるのでしょう? わたくし、シリル様のお妃になりたいってお父様にお願いしているのよ!」
「そっ……」
思わず声が出かけて、ミランダは慌てて呑み込んだ。
(この人、帝国軍の作戦をなにも知らないのね……)
ミランダだって盗み聞きしてようやく知ることができた程度だが、ヴィヴィアンはまさか自分の父がシリルの暗殺を手配したとは知らないようだ。
……いや、あの宰相もきっと、娘では戦力にならないどころか下手な情報を与えないほうがいいと思っているのだろう。
もしそうだとすると……このヴィヴィアンという令嬢、かなりかわいそうなのかもしれない。
少なくとも、シリルと自分が結ばれる未来は存在しないのに。
(でも、それを教える義理はないわ)
もしかするとこれから先の戦いは、ヴィヴィアンの予想を悪い意味で裏切るかもしれない。
そのときに彼女がどうするのか……それは、間もなく城を離れるミランダでは知りようのないことだった。




