6 夜の不意打ち
シリルを保護したときは早朝だったがあっという間に日が昇って沈み、夜を迎えた。
(……丸々一日の欠勤確定ね)
夜のとばりに包まれた森の小屋の中で、ミランダはため息をつく。ベッドに寝るシリルはやっと穏やかな寝息を立て始めており、すっかり疲れたミランダは椅子に座り込んでいた。
シリルが襲撃されて、半日以上経過した。ミランダの結界魔術のおかげで、この小屋は帝国軍にも王国軍にも見つかっていない。
だがシリルは峠を越えたようだし、そろそろ解除してもいい――のだが、それは王国軍が近くに来たときでなければならない。帝国軍が先に発見すれば、無防備なシリルを遠慮なく始末されてしまう。
(そういえば、王国軍では特別な方法で合図をするとシリル殿下が言っていたわね……)
シリルは『留学』中、帝国の知識を学ぶだけでなく王国での出来事や文化などもミランダに教えてくれた。その中に、「煙を使って合図をする」という王国軍での合図の仕方を教えてくれたのだった。
(でも、私では王国軍だけに通用する合図の煙を出すことはできない。帝国軍を呼び寄せたらだめだし……)
いろいろ考えていると、だんだん眠くなってきた。昨夜からずっと働き通しで、いい加減体が休眠を訴えている。
(殿下の眠りが安定したら、私もちょっと休もうかしら……)
うとうとしていたミランダはシリルに背を向けていたため……気づかなかった。
彼がゆっくりと目を開け、こちらに顔を向けていたことに。
「……ぅ、ぁ」
「えっ!? 殿下!?」
微かな声が聞こえたので振り返ると、シリルがぼんやりとした眼差しでこちらを見ていた。
慌てて椅子から降りて彼のもとに駆け寄り、震えながら差し出された手を握る。
「目を覚まされましたか?」
「……うぅ」
ミランダは優しく尋ねたが、シリルの眼差しは妙にぼんやりしている。視線もふらふらと左右に揺れているので、ミランダははっとした。
(目が、うまく見えないのね……)
それにミランダの呼びかけにもきょろきょろあちこちを見てかすれた声を上げるだけだから、目も耳も喉もうまく作用していないのだろう。
毒の後遺症かもしれないが……念のために彼の裸の胸に触れて診察したが、特に異常は見当たらない。いずれも、時間が経てば治るもののようだ。
(……だとしたら、もう大丈夫ね)
ほっと息を吐き出したミランダは、とんとんとシリルの肩を叩いた。
「大丈夫ですよ。もうすぐ、王国軍が来ます。そこでゆっくり治療を受けてください」
「……い、ぁ?」
やはりミランダの声がよく聞こえないし、見えないし、声も出ないようだ。だが、これはミランダにとって都合がいい。
(助けたのが私だと、知られないほうがいいわ)
たとえかつて姉弟のように一緒に過ごした仲だとしても、今は敵対する国の者同士だ。シリルだって「やあ、ミランダだったか。治療ありがとう、じゃあね」と帰らせてはくれないだろう。
そう思い、ミランダは慰めるようにシリルの髪を撫でて、微笑みかけた。
シリルの目線はまだ怪しげだが、ふとその緑色の目がミランダを見て――
「……っ」
「えっ……きゃあっ!?」
シリルの手がミランダの手首を掴み、ぐいっと引っ張った。視力や聴力は落ちているが腕力はすっかり回復していたらしい彼の力は強く、ミランダはバランスを崩して彼のベッドに倒れ込んでしまう。
なるべく清潔にと心がけたが、怪我人を一日寝かせたシーツは汚れている。
そこに倒れ込む形になったミランダの体がくるっと回転し、えっと思ったときにはミランダはシリルによってベッドに押し倒されていた。
(……えっ?)
ついさっきまではベッドの脇に立っていたのに、いつの間にかシリルに手を拘束され、ベッドに押し倒されている。
こちらを見下ろすシリルの目はどこか虚ろで――しかも彼は、裸だ。体勢が体勢なので、なにも隠せていない。
「で、殿下! それは、だめです!」
治療や清拭の際には心を無にできたのだが、さすがにここでは冷静でいられない。
ミランダは拘束から逃れようと暴れたが――ふいに、彼の裸の右肩が視界に入った。そこにはまだうっすらとした傷跡があり、シリルは病み上がりの怪我人なのだと思い出すと体がかちっと固まってしまう。
それを、シリルは悪い意味で捉えたようだ。ぼんやりとした眼差しのまま、彼の手がミランダの服に伸ばされる。
(……こ、これって……!)
「だめです、殿下! そういうことは……んむっ」
貞操の危機を察したミランダが真っ赤になって諭すものの、その抗議の声はシリルの口内に溶けていった。
シリルが、ミランダに口づけていた。頬にキスとかというかわいらしいものではなく、唇同士をしっかり重ね合わせるという、恋人のキスを。
(……えっ?)
「……ン、ぁ」
シリルが、何かつぶやく。だがそれは相変わらずはっきりとした音声にはならなかった。
シリルは口づけたまま、ミランダのシャツの胸元を掴んで引っ張り、ボタンごと引きちぎってしまった。胸元が空気中に晒されて、ぞくっと鳥肌が立つ。
「ひゃあっ! 待って、だめ、殿下……!」
ミランダは必死に抵抗するが……相手は王子、かわいがっていた男の子、怪我人、という言葉が彼女を留めてしまう。
全力で暴れることもできず、ただでさえ非力なのに働き通しで疲労した女の腕力では……成人男性には、敵わなかった。




