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崖っぷち魔術師は嘘をつく~一夜の過ちを犯した相手には、好きな人がいました~  作者: 瀬尾優梨


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3  崩れゆく平穏

 シリルは迎えに来たリドベキア王国騎士団に付き添われ、王国に帰っていった。


 その後でミランダは、魔術師団長から彼の『留学』についての経緯を聞かされたのだが――やはりシリルは叔父に命を狙われており、何度も暗殺の危機に遭ってきたため十四歳でありながら痩せ細った体をしていて、周りの大人を警戒するような態度を取っていたのだった。


 女王は息子を守るために、旧知の間柄であるメルデ皇帝と密かに連絡を取った。皇帝は王国の現状を憂い、宰相と相談した結果、彼の遠縁のシーグという少年としてシリル王子を引き取ることにした。


 皇帝は、王国で身内から狙われるという悲劇に見舞われた王子を労るべく、様々な身分、立場の者をそばに置かせた。

 同じ年頃の少年だけでなく、老人、子どもなどとも関わることで様々な経験をさせて、帝国で充実した日々を送れるようにした。


 魔術師団からの代表をミランダにしたのも、そのためだった。シリルに姉のように接してくれる女性がいればということで、魔術師団員の最年少であるミランダに彼の世話役を任せたのだそうだ。


「君のおかげで、シリル殿下はあれほど晴れやかな表情で帰国することができた。……本当にありがとう、ミランダ」


 魔術師団長に深々と頭を下げられたミランダは、笑顔で首を横に振った。


「いいえ、私こそシリル殿下と日々を過ごせて幸せでした。素敵なお役目を与えてくださり、ありがとうございました」


 ……本当に、ミランダは幸せだった。


 四年間も一緒にいた弟のような存在との別れは寂しいが、彼にはこれから王子としてきらびやかに過ごす日々が待っている。


 ……リドベキア王国に招いてくれるという約束が果たされるかどうかは、わからない。だがミランダにとって、かわいがってきた少年が幸せになれることが、一番の願いだった。


(どうかこのまま、帝国と王国の関係が良好なもので……いつか、立派に成長されたシリル殿下の姿を見られますように)


 ミランダは、そう願った。


 ……だがその願いは一年後には、儚く打ち砕かれてしまった。







 皇帝が、崩御した。

 死因は、持病の悪化とされている。だが前日まで元気にしていた皇帝が翌朝には冷たくなっていたなんて、信じがたい。


 そうして亡くなった兄の後を継いで即位した新皇帝は、穏やかな賢君として慕われた兄に忠誠を誓う者たちを容赦なく蹴散らし、追い出し、自分の派閥の者たちを帝城に連れてきた。

 逆らう者は容赦なく罰し、宰相や騎士団長、魔術師団長といった臣下をことごくすげ替えて、自分の息のかかった者たちを配下にした。


 ……平和な帝国の風景が打ち砕かれるまで、一瞬だった。


 皇帝が代わってたった一年で帝国は他国に侵略戦争を繰り返す悪辣な国家になり、民たちは重い税にあえぎ横暴な略奪行為を繰り返す帝国軍によって虐げられていた。


 新皇帝の圧政は、ミランダにも容赦なく襲いかかった。


 尊敬していた魔術師団長は謂われなき罪状を並べ立てられて、罷免された。宰相や騎士団長などが斬首刑に処されたのに比べ、魔術師団長は命だけは助けられたのが不幸中の幸いだった。


 だが彼や彼の側仕えだったベテラン魔術師たちは皆、帝城から追放された。しかも魔術師団には、新しい魔術師団長が据えられなかった。

 新皇帝は魔術師のことを毛嫌いしており、帝国魔術師団を組織として麾下に置くのではなくて、なんでも言うことを聞く使い捨ての駒のように扱い始めたのだ。


 二年前は、ミランダは同僚や上司たちと一緒に楽しく仕事をしていられた。だが能力のある者たちは追放され、このまま搾取されるよりはと逃げた者も多い。もはや魔術師団にはベテランがおらず、二十四歳のミランダが最年長という始末になっていた。


 ミランダだって、逃げたかった。ミランダには家族はないのだから、家族を人質にされることはない。


(でも私が逃げたら、魔道学院の生徒たちが戦地に送られてしまう……)


 ミランダが亡命を躊躇うのは、魔道学院の存在だった。


 かつては帝国内のあらゆる身分の魔術師を受け入れ養成していた魔道学院も、皇帝による弾圧を受けた。

 幸い学院長がうまく取りなしてくれたので今のところは大きな被害はないが、帝国魔術師団員が激減した今、皇帝の鶴の一声で年若い学生たちが学徒動員され戦場に放り込まれる可能性もあった。


 ……それを防いでいるのが、ミランダだった。


 ミランダは母校の学生たちを戦場に送らせるまいと、帝国魔術師団に残っている。自分が学生たちの分も活動していれば、まだ十代前半の彼らが徴兵されることはない。


 ……皇帝は、ミランダの力を軽んじていた。


 かつて、魔術師団の下っ端としてちまちまとした仕事をしていたので、実力もその程度だと思ったのだろう。

 優秀な魔術師たちが軒並みいなくなった今、皇帝の入浴のための湯を張れとか、余興で虹を出せとか、動物に火の輪くぐりをさせろとか、そんなことばかり命じられる。戦の道具にされないだけ、まだいいのかもしれないが……。


(とうとう皇帝は、王国にも魔の手を伸ばしている……)


 かつてシリルと一緒に勉強していた授業部屋にて、ミランダはため息をついて髪をぐしゃぐしゃに握った。

 昔はきちんと手入れをしていた栗色の髪も、身だしなみを整える余裕も十分な給金もない今は枝毛だらけのぼさぼさで、女らしさのかけらもなかった。


 近隣諸国に侵略戦争を仕かける皇帝はついに、北の国境を越えた先にあるリドベキア王国にも狙いを定めた。既に近くの小国家は手中に収めており、いよいよ大陸でも帝国に次ぐ領土を持つ王国への進軍を決めたのだ。


 もはや今の帝国軍に、皇帝に意見できる者なんていない。そんな者たちは既に追放されるか処刑されるかしており、皇帝におもねってばかりの宰相や人の血に飢えている騎士団長、金さえあればそれでいい内務卿などしかいない会議の場に、まともな神経を持つ者が加われるはずがなかった。


 前皇帝の穏やかな統治の陰で、密かにその命を狙っていた者たち。前皇帝の死が本当に病気だったのか、それとも暗殺だったのか。


 何にしても彼の死を皮切りに、帝国は悪しき心を持つ者たちに乗っ取られてしまった。皇帝だけでなく、宰相や騎士団長などの名臣たちが一気に失われたというのが決定打となったのだろう。


(でも、リドベキアを襲うなんて! あそこには、シリル殿下が……)


『帝国に負けず劣らず美しいリドベキアを……見てほしい』


 二年前、彼はそう言ってミランダに別れを告げた。


 シリルの故郷である、リドベキア王国。ミランダは噂に聞くだけだが、メルデ帝国よりも気候が穏やかで一年を通して花が咲き乱れているというリドベキアの大地が、帝国の無情な炎によって焼き尽くされてしまう。


(そんなの、絶対にだめ……!)


 ミランダは、立ち上がった。シリルと過ごした優しい空間を後にして、しっかりと鍵をかける。

 そうして、歩きだしたのだが――

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