29 崖っぷち王子も嘘をつく①
ヴィヴィアンは捕縛されて帝都に送られたようで、もうこの城にミランダたちを害そうとする者はいない。
ミランダは魔術で皆の手助けをし、シリルもセドリックの世話の傍ら城下街の男衆と一緒に城壁の補修工事をしたり、荷物を運んだりした。
王子とその恋人とは思えない、汗と泥にまみれる日々。
だがシリルは毎日楽しそうだし、セドリックも生まれ故郷の皆に愛されて嬉しそうだった。
「……セドリックは、本当に僕の子だったんだな」
ある夜、乳母に預けたセドリックが寝ついたところで片手に一緒に過ごしていると、シリルが少し悲しそうな微笑みを浮かべた。
ここ数日、ふたりともバタバタ忙しかった。ひとまず落ち着いたところでふと、シリルにも実感が押し寄せてきたのだろう。
ミランダはうなずき、シリルが持っていた空のグラスにおかわりのワインを注いだ。
「だから私、びっくりしたのです。もしかしてシリル様に、あの夜の記憶があったのだろうかと」
「残念ながら、今も全く覚えていない」
そう言いながら、シリルもミランダのカップにジュースを注いでくれた。ミランダはお酒の強さは普通だが、セドリックが卒乳するまでは断酒している。
なお、「じゃあ僕も」とシリルが申し出たのだがワインが好きだという彼に無理をさせるのは忍びないので、気持ちだけを嬉しく受け取って彼にはワインを勧めていた。
「ミランダは戦争中でも、セドリックのことを産み育てると決意してくれたんだな」
「……いいえ。アルベック城が陥落するのではと思ったときには、この身を挺してでも皆を守ると覚悟を決めました」
息が苦しいと思いながらも、ミランダは告白する。
ミランダは決して、立派な母親などではない。一度は、レベッカたちのためにセドリックもろとも処刑されることを覚悟したのだから。
だがシリルは「いいや」と、ワインのグラスをテーブルに置いてそっとミランダの手を取った。
「君の責任ではない。……ミランダ、辛い状況でも強く生きてくれて、ありがとう。セドリックを産んでくれて……ありがとう」
「シリル様……」
「本当はもっと、君にはいろいろい言わないといけないんだけど……それは、王城に帰ってからにしないといけない。ごめん、ミランダ。もうちょっとだけ待ってくれるか?」
シリルが申し訳なさそうに言うので、ミランダは微笑んでうなずいた。
「もちろんです。女王陛下と王配殿下にも、ちゃんとお話ししないといけませんからね」
「そうだね。……母上はミランダとセドリックのことは歓迎するだろうが、僕のことは遠慮なく殺しにかかりそうだ」
「まさか」
「君は母上の怖さを知らないから言えるんだ。本当に……恐ろしい人なんだよ」
シリルは冗談のつもりではないようで、若干顔色が悪い。
ミランダはくすくす笑って、さっぱりとしたジュースを喉に流し込んだ。
アルベック城で十日ほど過ごしてから、ミランダたちは皆に惜しまれながら城を発った。また必ず帰ってくると、約束して。
行きはレベッカたちを伴って空の旅をしたのだが、残念ながら今回は空を飛べないシリルがいる。
「僕も空を飛べたら……」とポエミーでかつ切実な願いを吐き出すシリルを励まし、ミランダは女王への手紙を魔術師に託して一足先に帰らせてから、馬車でゆっくり帰ることにした。
「ミランダ! セド君! ああっ……よくぞ無事で帰ってきたわ!」
王城に帰ったミランダたちを、女王が涙ながらに迎えてひっしと抱きしめてくれた。
「事の次第は、シリルからの手紙で知りました。……辛かったでしょうに、よく頑張りました。神様に、息子はどうでもいいのでミランダと孫を無事に帰らせてくださいとお願いしていたのよ!」
「女王陛下……息子に辛辣すぎませんか?」
シリルがげんなりと言うが、途端に女王は鬼の形相になった。
「この馬鹿息子が、よくそんなことを言えたものです! おまえはあろうことか、命の恩人であるミランダを無理矢理襲ったとのことではないですか!」
「それはっ……」
ぐうの音も出ないようで、シリルは渋い顔で黙ってしまった。
アルベック城で過ごしているときに、シリルが「僕はどのように君を抱いたんだ?」と尋ねてきた。
ミランダはシリルの矜持のために「とても優しかったです」と言ったのだが、彼は信じてくれず……最終的に諸々のことを打ち明けると、彼はショックのあまりうずくまってから、ミランダに土下座で謝ったのだった。
あのときのシリルは熱で弱っていて、彼の看病のためにミランダも疲弊していた。
そしてミランダはシリルを突っぱねることができなかったのだし……もう終わったことなのだからそんなに謝らなくていいと慰めた。
「大丈夫です、女王陛下。そのこともちゃんと、シリル様と話しています」
「ミランダは優しすぎます! こんな情けない息子なんて、ちょんぎってもいいくらいです!」
いやそれはさすがに罰が重すぎる。
シリルは青ざめているし、傍らの王配も「ベアトリクスならやりかねないな……」とぼやいているではないか。
「いいのです。いろいろあったけれど、おかげで私は最愛の息子に出会えたのですし」
ミランダが微笑んでセドリックの額にキスすると、女王は「ウッ!」とまぶしそうに両目を手で覆い、シリルもまたなぜか天を仰ぐような格好になっていた。妙なところが似ている親子である。
「何はともあれ、和解したならよかったよ」
唯一この空気に流されない王配はおっとりと言ってから、妻の肩を叩いた。
「……ベアトリクス、それにシリルも。いい加減、ミランダに全部を教えるべきだろう」
「……そうね」
女王は顔を上げ、居住まいを正した。
「ミランダ、わたくしたちはあなたにひとつ、明かさねばならないことがあります」
「……なんでしょうか」
緊張しつつ、ミランダは応じる。
そういえばアルベック城にいたときに、シリルが「もうひとつ、言わないといけないことがあるんだ」と言っていたのだった。
(もしかして、シリル様の好きな人のこととか?)
ひとまずそう予想していたのだが、女王の表情からそういう方向の話ではなさそうだとすぐにわかった。
「……シリルはセドリックの『祝福印』測定をしたときに、自分が父親だと神官に報告したということです」
「……はい」
「そのことについてシリルは、いろいろ言い訳をしたでしょう。好きな人がいるとか、ちょうどいいからとか」
……確かに、そんなことを言っていた。そしてやはり、シリルの好きな人の話になってしまった。
だがミランダの隣にいるシリルは険しい表情をしており、ミランダはにわかに不安になってきた。
「……シリル様?」
「ミランダ、ごめん。僕はまだ、君に嘘をついていた。でもこの嘘は……君のためについたんだ」
「えっ?」
シリルの緑色の目とミランダの青色の目が、重なった。
あの日、シリルは大きなショックを受けた。
ベッドに伏せるミランダの代わりに、セドリックを抱っこして測定を行った。
最初に水晶玉が強く光ったときは、さすがミランダの子だと少し誇らしい気持ちだったが――『祝福印』が【剣】と【氷】だと知って、驚愕した。
そのときのシリルは、ミランダに助けられたことも自分が彼女を抱いたことも知らない。つまり、セドリックは絶対に自分の子ではないと思っていた。
それなのに、セドリックは母から受け継いだ【氷】の他に、王家の証しである【剣】の『祝福印』も持っている。これは、どういうことなのか。
「……今のリドベキア王家に、若い男性はいない。存命するのは、僕だけ……いや、僕だけだった」
「だった?」
ミランダが問うと、女王が震える声を吐き出した。
「……一人だけ、いた。そいつは、もうこの世にいないと思っていた」
「……まさか!」
ミランダは、息を呑む。
シリルの他に、【剣】の『祝福印』をセドリックに授けられる人。
そんな人は今の王家にはいないが――そう、数年前にはいた。
女王の弟が。




