25 ミランダの里帰り
「アルベック城に行きたいです」
ある日、王城にある女王の執務室にて、ミランダははっきりと言った。
ここ最近で縦向きの抱っこができるようになったセドリックを抱えたミランダの言葉に、デスクの向こうの女王はしばし考えたのち、うなずいた。
「わかったわ。では、わたくしが息子をしばき上げてきましょう」
「あ、いえ、それは結構です……」
「でも、あなたがそう言いだしたのはどうせ、息子のせいでしょう?」
女王はミランダの突然の里帰り宣言に動じるどころか、最初から息子を元凶認識しているようでぎりぎりと歯を噛みしめた。
「あのお馬鹿が! 女の子には優しくしなさい、ましてやミランダのことは女神のように敬うようにと日々言っているのに……ああ、わたくしは子の育て方を間違えてしまったのでしょうか、あなた!?」
「うーん……まずはミランダの話を聞こうかな?」
既にシリルを不肖の息子認定した女王に、王配が朗らかに言った。
「ということだから、ミランダ。今のうちに僕たちに言っておきたいことを言ってしまいなさい」
「は、はい。……実は、その、先日からシリル様と少し意見の衝突がございまして」
「磔刑ね」
「やめなさい、ベアトリクス」
うつろな目で息子の処刑方法を考える女王に王配が突っ込んだので、ミランダはおずおずと続ける。
「お疲れのシリル様に、私が無神経なことを言ったのが原因なのです。だから……その、今は少し距離を置いて私自身も落ち着くべきだと思いまして」
「それならばあなたが出て行くより、息子を追放したほうが手っ取り早いけれど……でも、そうね。アルベック城は、あなたにとっての帰る場所ですものね」
女王はゆっくりうなずき、そこではっとしたようにセドリックに視線を移した。
「……もしかして、セド君も一緒に……?」
「……」
「……おのれ、シリル! ミランダだけでなくて孫まで、わたくしたちのもとから離れさせるなんて!」
いよいよ息子への憎悪を募らせる女王の肩に、王配がそっと手を載せた。
「セドリックにとってのアルベック城は、生まれ故郷だものね。……ちなみにミランダ、どうやって帰る予定なんだ?」
「できるなら、空を飛んで。セドリックを抱えた状態でも、朝に出発すれば夕方にはアルベック城に着きます」
もしミランダが身軽な身で全力で飛べば半日程度で着くだろうが、セドリックを抱えるとなると速度は落とさなければならないし、道中の休憩も必要だ。
ミランダの言葉に、女王は考え込んだ。
「ふむ……ミランダの能力は、シリルからもよく聞いているわ。しかし、一人でというわけにはいきません。現在王城にいるあなたの元部下たちを全員かき集めて護衛にするならば、許しましょう」
「ありがとうございます、女王陛下」
レベッカをはじめとしたミランダと共に王国に来た魔道学院の元生徒たちは現在、王城で働いている。
彼女らに声をかければきっと、喜んで一緒に来てくれるだろう。アルベック城は皆にとっても、大切な場所なのだから。
ミランダが心からのお礼を言うと、女王は「いいのよ」と笑顔で手を振った。
「愛しあう二人も、ときには距離を置くことも大事。……わたくしたちも昔一度だけ、お互いのために距離を取りましたものね?」
「そうだね。でもあのとき、僕はベティに会えないのが寂しくて寂しくて……だからこそこれからずっとに一緒にいようと思えたんだよ」
「ああっ、あなた……!」
「……ああ、そうだ。このこと、シリルには伝えるのかい?」
女王夫妻の愛あるシーンを黙って見守っていたミランダだが、王配に声をかけられたため少しうつむいた。
「それは……少し悩んでいます」
「いいのよ、言わなくて。あなたたちがいるのが当然だと思ってはならないのだと、あの子も知るべきでしょう」
夫との抱擁を解いた女王は息子に肩入れするつもりは一切ないようで、ばっさり切り捨てた。
「わたくしが許しますから、ミランダとセドリックは心置きなくアルベック城にお帰りなさい。シリルが改心したら、迎えに行かせますし……それでもまだあの子が許せないなら、追い返してよろしい」
「え、ええと……」
「アルベック城の者たちも、ミランダの味方をするでしょう。……セドリックはわたくしたちの『孫』ですが、ずっと王城で暮らさなくてもいいのです。母親の生まれ故郷の空気に触れる時間を、持たせてあげなさい」
そう言う女王の眼差しは、どこまでも優しい。
ミランダのことを王家で庇護すると宣言しつつも、彼女が帝国人であることも否定しない。セドリックにも、自由を与えてくれる。
こんなに素晴らしい人たちの血を継ぐ子を産めたのは……ミランダにとって、誇らしいことだった。
「……はい! ありがとうございます、女王陛下、王配殿下!」
礼を述べるミランダの胸元で、セドリックも「みゃっ!」と笑顔になっていた。
女王から里帰りの許しをもらった数日後、シリルが公務に出かけるのを確認するなり、ミランダたちは旅支度を調えた。
「皆、準備はいい?」
「はい! ミランダ様とセドリック様のことは、この護衛隊長レベッカにお任せください!」
離宮の庭にてそう言うのは、黒い軍服姿のレベッカ。彼女の背後には、ミランダについて王国に渡った魔術師たちの姿がある。
魔道学院を卒業した彼女らには、いわゆる制服というものはない。だが女王の命令でミランダとセドリックの護衛を命じられた皆にも王国民としての服を与えるべきだろうということで、魔道学院の制服に似たデザインの軍服が与えられたのだった。
普段はレベッカのようにメイドだったり使用人だったりの仕事をしている彼らは黒の軍服を纏い、意欲に燃えている。
ミランダが予想したとおり皆はアルベック城に帰ると聞いて喜び、帰ったらあれをしよう、これをしよう、と盛り上がっていた。
ミランダと共に王国に来た兵士たちもいるが、残念ながら彼らは空を飛べない。だから魔術師たちが彼らから「仲間にこれを渡して」と手紙を預かり、アルベック城にいる兵士仲間に渡したりお土産を買ったりすることを約束していた。
……魔術師と、兵士。アルベック城でミランダの部下として共に過ごし、戦った日々で紡いだ絆は、たとえ離ればなれになっても決して途切れることはなかった。
里帰りのことはやはり、シリルには教えないことにした。一応彼は王配に連れられて郊外に出ているものの、万が一にも姿を見られないようにということで飛ぶルートを調節している。里帰りについては、女王が頃合いを見てシリルに教えるそうだ。
メイドがやってきて、セドリックをミランダに渡した。ミランダはセドリックを抱っこできるような特殊な形のリュックサックを身につけており、それに寝かされたセドリックはご機嫌そうににゃはは、と笑った。
「では皆、行きましょう!」
「はい!」
ミランダの声かけで、魔術師たちはふわりと宙に浮かんだ。
ミランダを中心に、護衛の魔術師たちがその周りを固める形で飛び上がると、見送りに来てくれたメイドや兵士たちが手を振ってくれた。ここからは見えないが、王城にある女王の執務室から女王も見送ってくれているかもしれない。
普段は風の抵抗が一番少なくて最速で飛べる前傾姿勢になるのだが、セドリックを抱っこしているミランダはあえて進行方向に背中を向けて寝椅子に寝転がっているかのように体を倒した。
これでセドリックにとって一番負担の少ない姿勢になるし、ミランダの周りはレベッカたちが飛んでいるのが安全面も問題ない。
魔術のおかげで風に吹かれることもないので、そよそよと温かな夏の日差しの下を飛びながらも、セドリックはにこにこ笑っている。
(いつかこの子も、魔術師としての能力を発揮するのかしら)
息子の柔らかいほっぺを撫でながら、ミランダは思う。
出産で疲弊したミランダに代わり、シリルがアルベック城の教会でセドリックの魔力測定を行ってくれた。そこで母親譲りの高い魔力を検知できたそうだから、いずれセドリックに魔術を教えることになりそうだ。
魔術師が少ないリドベキア王国の王子が、魔術師。
異例の事態になりそうだが……きっと認めてもらえる。
空の旅は、セドリックとミランダの体調を鑑みて小休憩を挟んだ。
女王は早馬を飛ばして各地の宿泊所に連絡を入れており、ミランダたちが降り立つと「お待ちしておりました」と、喜んで部屋を貸してくれた。
そこでセドリックに乳をやったり皆で食事をしたりするので少し時間はかかったが、おかげで安全でセドリックがぐずることもない快適な空の旅になり、その日の夕方には懐かしいアルベック城の姿が見えてきた。
(帰ってきたわ……)
アルベック城にもぎりぎりのタイミングで、先触れが届いていたようだ。
城下街には既に大勢の人々が集まっていて、「おかえりなさい!」と歓声が上がった。
かつてのアルベック城はぼろぼろに朽ちた見捨てられた砦だったが、王国の庇護を受けた今は建物の補修作業などが進み、人口も増えているようだ。
地面に降り立ったミランダたちを迎えてくれたのは、城に残っていた魔術師や兵士たち。彼らはレベッカら戦友ともハグをして、そしてセドリックを見て嬉しそうな悲鳴を上げた。
「ああ、あんなにお小さかったセドリック様が!」
「セドリック様、会いたかったわ!」
「お部屋も準備しています。さあ、中へどうぞ!」
「ありがとう、皆」
ミランダは微笑み、城下街の人々の歓声の中城に入った。
そこでも使用人たちが笑顔で迎えてくれたし、駆け寄ってきたふっくらとした女性は涙を流してきた。
アルベック城にいる間に乳母を務めてくれた彼女は、ミランダたちが旅立ってからは自分の家に帰っていた。
だが久しぶりにミランダとセドリックが帰ってくるということで急いで駆けつけてくれたそうだ。
「セドリック様! ああ……こんなに大きくなられて……」
「来てくれてありがとう。しばらくここに滞在する予定だから、その間セドリックのことは頼みました」
「ええ、ええ、もちろんですとも! ありがとうございます、ミランダ様……!」
乳母は涙を流しながらセドリックを受け取った。そして「こんなに重くなって……」と泣き笑いを浮かべてから、恭しい所作で子ども部屋に連れて行ってくれた。
アルベック城に帰った初日は、小さなお祭りのようになった。
ミランダたちのために料理人が腕をふるい、ご馳走を作ってくれた。しかも、せっかくの仲間たちの再会なのだからとかつて共に王国軍と戦った魔術師や兵士たちが皆集められ、和気藹々のパーティーになった。
元魔道学院の生徒たちは嬉しそうな顔で、アルベック城で魔術師として働く日々について報告してくれる。
また兵士の中には、かつて家に帰りたいと泣いていた少年もいた。彼は無事に怪我も治り、故郷の家族に手紙を送った上でアルベック城勤務になることを選んだそうだ。
「これもミランダ様のおかげです」とはにかんで笑う彼にはもう、王国軍に敗れて絶望し泣いていた頃の面影は、全く残っていなかった。




