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崖っぷち魔術師は嘘をつく~一夜の過ちを犯した相手には、好きな人がいました~  作者: 瀬尾優梨


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24 苛立ちと怒り

 セドリックのことは大丈夫、と思ったミランダだったが。


(また、夜明けに帰ってこられたのね……)


 シリルが寝坊をしているという寝室の前を通り、ミランダはため息をついた。


 たくさんの愛に包まれてセドリックがすくすくと成長しているのはいいことだが、シリルの帰宅は遅くなる一方だった。

 先日なんてついに丸一日帰ってこず、彼に何かあったのではないかとミランダは気が気でなかったし、父の異変を察したのかその日はセドリックもひどく泣いていた。


 翌日にそれを知ったシリルは慌てて、「ちゃんと帰るようにするよ」と言っていた。

 だが公務の都合は彼の気合いだけではどうにもならないようで、最近ではシリルと一緒に食卓を囲める夜がまばらになっていた。


(メイドたち曰く、帝国関連の後始末に奔走されているそうだけど……)


 階段を下りながら、ミランダはぎゅっと固めた拳を胸に当てる。


 メルデ帝国は現在、王国関係者が遺された幼い皇子の養育をしつつ政治を代行するという形を取っている。

 帝国民たちはかつての温和な皇帝の治世を思い出させるような日々に感謝しているそうだが、シリルはその平和な日々のために夜遅くまで働いているのだろう。


 故郷が再興するというのは、ミランダとしても嬉しいことだ。だがそれでシリルが体を壊しては元も子もない。


 シリルはセドリックの世話やミランダと過ごす時間も持とうとしているのだから、いつか彼が倒れるのではないかとはらはらしている。


(お話ができればいいのだけえれど……今日のお目覚めはいつになるのかしら)


 朝帰りをした日のシリルは、遅ければ昼過ぎまで寝ている。就寝時間が遅いので寝坊自体は全く問題ないのだが、どうしてもミランダやセドリックの生活リズムとずれてしまう。


 そうして落ち着かない気持ちで午前中を過ごしたミランダは、昼食の席でやっとシリルと会えた。


「おはようございます、シリル様」

「……おはよう。いや、おそようになるのかな?」


 寝起きのシリルは少し眠そうな目で苦笑して、ミランダの向かいの席に座った。

 ミランダの昼食のために用意された料理なのだが、これが朝食にあたるシリルの皿にはサラダやスープ、カリッと焼いたパンなどの軽めのものだけが載せられた。


「昨夜も遅くまで、お疲れ様でした。……ゆっくり眠れましたか? お顔の色が優れませんが……」

「ちゃんと寝られたよ。僕は従軍経験もあるから、どんな劣悪な環境でも寝られる。だから城のベッドなら快適すぎて、すぐに寝付けるんだ」


 シリルは冗談めかして言うが、その顔色は間違いなく悪い。色白の肌にはくすみが見られるし、「ちゃんと寝られた」と言うわりにまだ眠そうにまぶたが少し下がっている。


(公務を減らす……なんてことは、私では提案できないわ)


 女王はセドリックのことを孫として愛してくれるが、ミランダは王家の人間ではない。いくらシリルのことでも、ミランダでは彼の公務時間について物申すことなんてできないのだ。


 なんとなく言葉数が少ないまま食事が進み、食後のお茶が運ばれる。今日もミランダのほうは特製のお茶で、シリルのほうは普通のミルクティーだ。


「……あの、シリル様。私に何かできることはありませんか?」


 メイドたちも出ていき、二人きりの部屋でミランダは思い切って尋ねた。先ほど黙って食事している間に考えていたことなのだが、うとうとしながらミルクティーを飲んでいたシリルが片眉を上げた。


「君に? いいや、君はセドリックをよく育ててくれている。僕からそれ以上君に頼むことはないよ」

「そんなの、母として当然のことです。それだけじゃなくて……もっと、シリル様の役に立てることはないのですか?」


 ミランダは、少し身を乗り出した。


 産後すぐは魔術を使うのもしんどかったが、今は問題なく使えていた。

 光や水の魔法でセドリックと一緒に遊び、洗濯物が風で飛んで行ってしまって困っているメイドのために、空を飛んで洗濯物を捕まえる。


 レベッカには「そういうのは私がしますよ!」と怒られるが、魔術師として生きるミランダにとっては、自分の中に巡る魔力を放てないのは欲求不満状態だった。いずれ、セドリックを抱っこして空の旅もしてみたいと考えている。


「今はもう、安定して魔術も使えます。だから、今シリル様がお仕事でされていることの補助も……」

「ない、なにもないよ」


 意気込んで提案したが、帰ってきたのは思いのほか冷たい言葉だった。

 目を伏せたシリルを見て、ミランダは自分の失言に気づいた。


(私、シリル様のお仕事に口出しをしてしまった……)


 それはきっと、ミランダの想像以上に大きな地雷だったのだろう。シリルはむっつりと黙り込み、ミルクティーのカップを下ろした。


「……今僕が抱えている案件のことなら、君は気にしなくていい。むしろ、なにも言わないでほしいんだ」

「……」

「君には、セドリックを守り育ているという大役がある。それに集中してくれればいい。僕のことは……放っておけばいい」

「放っておけません!」


 寝不足や疲れゆえかいつになくシリルがとげとげしいと思いつつ、ミランダは自棄になっているとも思われる発言を看過できなかった。


「だってシリル様は、こんなにお疲れです! 私、シリル様のためにできることをしたいんです!」

「……なんだよ、それ」

「えっ?」


 ゆっくりと、シリルが顔を上げる。


 人形のように整った彼の顔に浮かんでいるのは……苛立ちと、悲しみだった。


「なんで君は、そんなことを言えるんだよ! 今でも……あいつのことを想っているくせに!」

「し、シリル様……?」

「想っているくせに……どうして、あいつは君を捨てたんだ?」


 最初はミランダにぶつけられていた言葉が、今は別の人に……存在しないミランダの恋人に向けられていた。


「こんなに、愛されているのに。セドリックがいるのに。こんな献身的なミランダを捨てるなんて……最低な男だ!」

「やめて!」


 かっとなったミランダの声が、部屋に響く。

 思わず立ち上がったミランダは、ぎょっとするシリルを見ても感情が抑えきれなかった。


 やめてほしい。

 あの夜のシリルの行動は、過ちだったかもしれないが……否定しないでほしい。


「それ以上言わないで……責めないで……」

「ミランダ……」


 我に返った様子のシリルは唇を噛み、「ごめん」とつぶやいた。


「僕、ひどいことを言った。君は……そいつのことを、愛しているのに……」

「……」

「……ごめん、ミランダ。ちょっと、頭を冷やしてくる」


 シリルもゆっくりと立ち上がり、固まるミランダの肩に遠慮がちに触れた。


「今の僕の言葉、忘れて……ううん、忘れなくていい。許さなくていいよ」

「シリル様……違う、違うんです……」

「大丈夫だよ、ミランダ。悪いのは、僕だから」


 はっと顔を上げたミランダに微笑みかけ、シリルは部屋を出て行った。

 廊下で彼が、「ミランダのことを頼む」とメイドに言ったのが聞こえる。


 やってしまった、と気づいたミランダの頭から体温が流れ落ちていくように、体が冷えていく。


 シリルは、間違っていない。

 シリルがミランダの恋人を疎ましく思ったり詰ったりするのは、おかしなことではないのに。

 

(シリル様……)


 椅子に座り込んだミランダは、取り返しのつかない自分の感情にぼろぼろと涙を流すことしかできなかった。

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