23 確かに在る愛
朝、ミランダが離宮一階のリビングでお茶を飲んでいると、部屋のドアが開いた。
「あっ……ミランダ」
「シリル様!」
そわそわしながらお茶を飲んでいたミランダは、はっと振り返る。
そこに立っていたシリルは寝起きらしく、顔を洗い髭も剃り髪も整えているものの、まだ少しだけ眠そうな顔をしていた。
「おはよう。……昨夜は、ごめん。仕事で、帰ってこられなかった。今朝も寝坊をしてしまって……」
「お気になさらず。夜更けに帰ってこられたのですから、寝坊も当然です。……お茶でも飲まれますか?」
「そうだな。……今ミランダが飲んでいるのと同じのでいいかな?」
「いいですが、これは少し味が独特ですよ」
今ミランダが飲んでいるのは、授乳中の母親用の特別なお茶だ。普通の紅茶とは成分が違うらしく、ミランダは十分おいしいと思うのだがこの風味を嫌う人もいるそうだ。
だがシリルが「それがいい」と言うので、ミランダはメイドの手を借りて二杯目のお茶を淹れた。
ミランダの向かいに座ったシリルに提供すると、礼を言って受け取った彼はお茶をおいしそうに飲んだ。
「昨夜は、お疲れ様でした。無事にお戻りになったので、安心しました」
「うん、父上とちょっと一緒に仕事をしていてね」
「まあ、王配殿下と?」
そういえば昨日のお茶会でも、王配は仕事のために席を外していた。
結婚して二十年以上経った今もラブラブカップルということで有名な女王夫妻にしては珍しい光景だったが……ということは、王配も昨夜は帰るのが遅かったのだろうか。
ミランダの考えていることを察したのか、シリルがふふっと笑った。
「きっと今頃父上も寝坊して、母上に甘えているよ。母上は先回りの達人でね、多分昨日のうちから、父上の戻りが遅いのを見越して公務を調整して、午前中に夫婦でゆっくりできる時間を捻出しているはずだ」
「それならよかったです」
……と答えつつも、少しだけ引っかかるところもあった。
(……ということは、女王陛下は王配殿下のお戻りが遅いことを、あらかじめ知っていらしたのね)
とはいえ、女王と王配は夫婦で、ミランダとシリルはそうではない。夫婦なら情報共有をしっかりするだろうが、シリルは自分の細かいスケジュールを妻でもないミランダに逐一報告しなくていいのだ。
……そう。今のミランダはあくまでも、『王子の恋人』でしかないのだから。
なぜかチクチク痛む胸の訴えに気づかないふりをしつつ、ミランダは微笑む。
「そういえば、セドリックのことでお話ししたいことがあって。離乳食のことなのですが」
「あっ、そうか、もうそろそろそんな時期だね。なに、僕に作らせてくれるの?」
既にシリルは自分で作る気満々のようで、レベッカの言ったとおりになったとミランダは噴き出してしまう。
「もちろん、そうしていただけたら私もセドリックも嬉しいですが、ご無理は言えません」
「いや、絶対に作る。僕ではセドリックにお乳をあげることができないんだから、これくらいして当然だよ」
「シリル様には公務がおありでしょう。それに入浴やおむつ交換などもしてくださって、もう十分すぎるくらいですよ」
一般家庭でも父親が子育てをしないのは当たり前なのに、ましてや王族である彼が――本当は実子でない息子のためにここまで協力的になってくれることのほうが、ミランダとしては驚きだ。
だがシリルはお茶を飲み干すと、「もっとしたいんだ」と真っ直ぐな目で言った。
「僕が、ミランダが産んでくれた息子の世話をしたい。赤ん坊なんて、ちょっと目を離している間にどんどん成長してしまう。セドリックが少しずついろんなことができるようになるのを見ていきたいし、僕のことを『父上』と呼んでくれる瞬間を見逃したくないんだ」
シリルの言葉に――ミランダは、胸を貫かれたかと思った。
これを愛と言わずとして、なにが愛なのだろうか。
事実は異なったとしても、セドリックはシリルの実子ではないという解釈だ。
シリルにとってのセドリックは、身寄りのない知人女性が産んだ子どもでしかない。だからメイドや兵士たちが見ている前だけ演技をしていればいいのに、そうではない。
セドリックは、シリルから愛されている。
セドリックのことを、シリルは愛してくれている。
(……十分すぎるくらいだわ)
ミランダは、王子妃の座なんて望まない。もしこのまま物事が万事うまくいくのなら、王子の恋人のままで終わってもいい。
もし……もしも、王家がセドリックだけを引き取りミランダを帝国に送り返したとしても、大丈夫。
ミランダが命を懸けて産んだ息子は、シリルや女王たちに愛し守ってもらえるのだから。
そう思うと目の周りがじわじわと熱くなってきて、ごまかすように瞬きをするしかない。
「……シリル様。私、幸せです」
「……ふふ。僕はちゃんと、君のことを幸せにできているようで、よかったよ」
「はい。……ありがとうございます、シリル様」
ミランダが泣き笑いのような下手くそな笑みを浮かべたのを、シリルは穏やかな眼差しで見守ってくれていた。




