22 嘘の上に築く幸福
「いらっしゃい! ミランダ、どうぞこちらへ」
「ごきげんよう、女王陛下。お招きくださりありがとうございます」
セドリックを抱っこしたミランダが庭園に向かうと、先に待っていた女王がわざわざ立ち上がってガゼボから出て、ミランダたちのもとに来てくれた。
今日はからりとよく晴れた夏日で、ミランダは女王のお茶会に招かれていた。といっても女王以外に周りにいるのはメイドたちだけで、王配も今日は城外に出ているらしい。
ミランダはシリルから贈られたライムグリーンの軽やかなドレスを纏い、王城に来てから艶を増した栗色の髪を軽くまとめている。
まだぎこちないもののそろそろ王孫(仮)の生母としての貫禄がつきつつあるミランダを、女王は弾けるような笑みで迎えてくれた。
「セドくんも、ようこそ! うふふ、おばあちゃまもセド君に会いたかったわぁ!」
「公務でお忙しい中、ありがとうございます」
「なにを言いますか。日々の公務は、かわいい孫に会うために頑張って行っているのです。ふふ、さあセド君もこっちに」
既に女王の顔を覚えているようで、ミランダの腕の中のセドリックは女王を見るとあうあうと口を動かしながら手を伸ばしたので、女王のみならず周りのメイドたちもきゅーんときたように頬を緩ませていた。
女王がとても嬉しそうなので、せっかくなのでセドリックを渡して女王のそばにあるベビーベッドに寝かせてもらった。
彼女がシリルを産んだのがもう二十年以上前で、そのときも子どもの世話はメイドや乳母たちにほぼ任せていたはずなのに、赤ん坊を抱っこする手つきに危うさはなかった。
本日はシリルも王城を離れており、女王からのお茶のお誘いがかかったときも「遊びに行けばいいよ」と言ってもらえた。シリルはミランダを拘束するつもりがないようで、アルベック城だっていつでも帰っていいと言ってくれる。
だがそれは決してミランダに関心がないのではなくて、ミランダにもセドリックにも自由に暮らしてほしいという気遣いゆえなのだと、ミランダは知っていた。
生後四ヶ月を迎えようとしているセドリックは最近、身の回りのものに興味津々だ。
今も子育て経験があるというメイドが柔らかいおもちゃを見せるとそれをきらきらした目で見て、「貸して!」とばかりに手を伸ばしていた。
「……セド君の目は、青色なのね。お母さんに似たのね」
セドリックを見つめる女王が言ったので、紅茶の代わりに果実ジュースを飲んでいたミランダはうなずいた。
「そうです。将来はきっと美男子になると、シリル様はずっと言っていて……」
「ほほ、そうね。セド君が元気に育っているのももちろんだし……ミランダ、あなたも」
「……はい」
ミランダがかしこまると、こちらに視線をやった女王は微笑んだ。
「そう硬くならないで。……最初は、びっくりしたわ。我が息子ながらお堅いあの子が、帝国との戦争を終えたと思ったらこんなにかわいいお嬢さんと孫を連れて帰るなんて、思いもしなかったもの」
女王はメイドたちがいる前だから、セドリックがシリルの実の子であるという前提でしゃべっている。
とはいえ、出陣した息子が恋人と孫を連れて帰るというのは女王や王配にとっては本当に驚きだっただろうし……それは、シリルも同じだったことだろう。
「……そう、ですね。私とシリル様がアルベック城で再会できたのも偶然のたまもののようなものです。でも、またあの方に会えて……本当によかったです」
その言葉だけには偽りがないのでミランダがしっかりと言うと、女王はほっと息を吐き出した。
「ふふ、そう思ってもらえたならよかったわ。でも、もしあの子にだめなところがあったらちゃんと叱ってくれればいいし、なんならわたくしに言ってくれればいいわ。しっかりお尻を叩いてあげますからね」
「そ、そこまでは……」
「いいの、いいの。……まぁー、セド君ったら、おもちゃの扱いも上手なのね! もう、どうしましょう! この子はこの国一番の天才だわ!」
セドリックはメイドから借りたおもちゃをぷにぷに掴んでいるだけだが、すっかり親馬鹿――ならぬ祖母馬鹿になっている女王はめろめろだし、周りのメイドたちも「さすがシリル殿下のご子息!」「将来は名君になること間違いなしです!」と褒めちぎっていた。
(……私はこの人たちも、騙しているのね)
女王に追随したのではなくて心からセドリックのことをかわいがってくれているメイドたちを見ていると、胸が苦しくなってくる。
女王と王配、シリル以外の王国民は皆、セドリックが王孫であると信じている。
そして女王家の三人は、それが嘘であると信じている。
ミランダだけは、女王家ではなくて国民の理解が正しいのだとわかっている。
何重にも折り重なった嘘の上に成り立つ、脆い平和。
はたしてシリルの次に王位を継ぐのは、誰なのか。セドリックが王となることが……許されるのか。
血統の面では、問題ない。セドリックはシリルの子で、王位継承者になり得る。
だが女王家の三人はセドリックのことを、ミランダが旅人との間に作りながらもシリルの思いつきにより実子扱いになった、高貴な血の一滴も持たない子だと思っている。
女王たちはきっと、セドリックを大切にしてくれるだろう。他に好きな人がいるというシリルは、セドリックを失えば好きでもない女性と子を作らなければならない。
それを避けるためにも……シリルの淡い恋を守るためにも、セドリックが皆に受け入れられるという今の状況は、喜ぶべきなのだ。
女王とのお茶会を終えたミランダは、セドリックを抱っこして離宮に帰った。
女王は「セド君のことでもシリルのことでも、何かあればいつでも相談してね」と、ミランダの手をぎゅっと握って言ってくれた。
(本当に、私にはもったいないくらい素敵なお方だわ……)
ミランダはシリルとの婚姻を結んだわけではないので、女王はセドリックの祖母なだけでありミランダの義母なのではない。
だが……女王のような人が義母だったらどんなに幸せだろうか、とつい思ってしまう。
離宮に帰ったのは夕方だったが、まだシリルは帰ってきていない。
シリルはメルデ帝国との戦争を終結させた英雄王子として、華々しく表彰された。
彼にはもちろん公務があるが、「先の戦いで武勲を上げた王子には、恋人や息子と過ごす時間が必要だ」という女王の言葉に反対する者はおらず、公務は比較的短時間近距離で済むもののみで毎日離宮に帰ってきていた。
ミランダとセドリックが王国に来て、一ヶ月。
シリルと一緒に離宮で暮らすようになってから、彼がよそで夕食を取る日はなかった。
「今日もシリル様は、お夕食までには戻られるかしら」
帰宅したミランダが眠そうなセドリックを乳母に預けてレベッカに問うと、彼女は笑顔でうなずいた。
「ええ、きっと! あ、そうだ。もう数ヶ月したらセドリック様も離乳食を始めるべきだろうと、料理長が言っていましたよ」
「離乳食……」
そうか、そんなものもあるのか、とミランダは乳母によってベビーベッドに寝かされたセドリックを見つめる。
妊娠も出産も子育ても今回が初めてのミランダは、アルベック城や王城の女性たちの知恵を借りながらセドリックを育てている。
セドリックを身ごもるまでの二十四年間はそもそも赤ん坊とはほぼ縁のない生活を送ってきたので、最初は乳をあげた後のセドリックがげっぷをしたのを見ただけで、「嘔吐した!?」と真っ青になってしまったくらいだ。
皆は、魔術以外にはとんと疎いミランダを励まし、優しく教え、寄り添いながら、一緒にセドリックを育ててくれた。
たくさんの愛に包まれるセドリックは間違いなく、心の温かい少年に育つだろう。
「……わかったわ。シリル様がお戻りになったら、そのことも相談してみようかしら」
「そうしましょう! シリル様ならむしろ、『僕が作る!』と張り切って厨房に立ちそうですもんね!」
レベッカが笑顔で言うが、まさにそのとおりだ。
シリルも子育て初心者のはずなのに非常に意欲が高いし、ミランダよりも諸々の手際がいい。
そういえば彼は子どもの頃から秀才肌で、与えられた知識を驚くべきスピードで吸収し、自分のものにしていた。離乳食に関しても、「やっと僕がセドリックの食育に関われる!」と言って張り切りそうだ。
(……なんだか、早くシリル様に会いたいわ)
少しずつ夜の色に染まりつつある窓の外を見ていると、妙にシリルのことが恋しくなってきた。
想う女性がいるという彼にスキンシップを求めるつもりは、ない。
ただ、セドリックのことをかわいがる同志として、昔なじみとして、いろいろな話をしたいと思えた。
……のだが。
その日、シリルはミランダたちと一緒に暮らすようになって初めて、夕食の席に現れなかった。
それどころか彼が帰ってきたのは、日付が変わりミランダもセドリックも寝付いてからだったという。




