21 王子と恋人の時間
ミランダはシリルの恋人として、彼の離宮で暮らすことになった。
離宮には既に大勢の使用人がいたが、数日後にはその中にひょこっとレベッカが混じり、また離宮警備兵の中にも顔なじみの兵士の姿がひょこっと見られるようになった。
皆、ミランダとセドリックを守るために離宮に就職してくれたそうだ。
「ミランダ様! 私これからも、ミランダ様とセドリック様のために尽力しますね!」
アルベック城にいた頃の黒い制服から華やかなお仕着せ姿になったレベッカは、気合いをみなぎらせていた。
「といっても私、メイドのお仕事なんて全然わかりませんが……でも、私の魔術はすごいって言ってもらえたんです!」
「よかったわ。リドベキアは魔術師が少ないし、レベッカは大きな戦力になるわ」
「えへへ、よかったです!」
そう言うレベッカは今、セドリックの隣で腹ばいになって一緒に積み木遊びをしていた。
シリルはもちろん、女王や王配も孫(仮)にめろめろで、セドリックの服やおもちゃなどを毎日山のように贈ってくれた。
それらは王家お抱えの商人が持ってくる一級品らしく、積み木などは柔らかいし全て角が削られており、人形遊び用の道具などもどれも誤飲しにくい作りになっていた。
また、王子様のご子息であるセドリックだけでなく、城の者たちはミランダにも優しかった。
「王子を誑かした年増め!」なんて言われることは絶対になく、ミランダのことも離宮の女主人として接しかいがいしく仕えてくれた。
そして使用人や義父母(仮)だけでなく――
「ただいま! 僕の恋人と息子は、今日もとてもかわいいな」
「シリル様ったら……」
王城での公務を終えて帰ってきたシリルは満面の笑みで、レベッカから受け取ったセドリックの頬にキスをしてからミランダのこともぎゅっと抱きしめてくれる。
離宮で暮らすようになってから、ミランダはシリルのことを「シリル殿下」から「シリル様」と呼ぶようにした。シリル曰く「僕たちの仲が円満だというアピールにもなる」らしく、シリルのほうも恋人と息子を愛する王子様としての顔が板についてきていた。
……そのスキルはなかなかのもので、今ではメイドが「ミランダ様の授乳ですが、シリル殿下はどうされますか?」の問いに、「せっかくだから見守るよ」と余裕の笑顔で答えられるようにさえなっていた。
メイドたちにばれないように目をぎゅっとつむるのは相変わらずだが、「胸元を拭いて差し上げてください」とメイドからタオルを渡されたときにはミランダの胸を見ないようにしつつ、優しく拭いてくれた。
「っはー、もう、私、やっぱりここに来て正解でした!」
セドリックの入浴の時間になり、シリルが「僕がする」と嬉々としてバスタブのほうに連れて行った後の部屋で、レベッカが今にもとろけそうな顔で積み木を握りしめていた。
「シリル殿下の愛に包まれる、ミランダ様とセドリック様の姿をかぶりつきで見られるなんて! ああ、私は幸せ者です……」
「もう、大袈裟よ。それに私こそ、レベッカがそばにいてくれてとても助かっているの」
離宮のメイドたちは皆敏腕で優秀だが、それでも彼女たちとは若干距離が空いている。だがアルベック城にいた頃からの仲であるレベッカとは気兼ねなくおしゃべりができたし、セドリックも自分が生まれたときから面倒を見てくれるレベッカに一番懐いているようだった。
「レベッカたちのおかげで、私は知らない国でも頑張っていけているわ。本当に、アルベック城であなたたちに出会えてよかったわ」
「うっ、う……ミランダ様ぁ……!」
レベッカはとうとう、歓喜のあまり涙をこぼし始めた。どう見ても演技ではなくてしゃくり上げながら泣くレベッカをメイドたちは少し困ったように見ていたが、しばらくしてセドリックの入浴を終わらせたシリルが帰ってきてきょとんとしていた。
「……どうしてレベッカが泣いているんだ?」
「なんだかいろいろと感極まったようで」
「ふふ、そっか。……それじゃあレベッカ。悪いけれど僕の恋人の隣の席を、そろそろ譲ってもらってもいいかな?」
「ひゃっ! は、はい! もちろんです、殿下!」
レベッカははっと我に返って立ち上がり、湯上がりほかほかのセドリックを受け取った。
父親に入浴介助をしてもらえて満足しているらしいセドリックはすうすう寝息を立てていて、レベッカは零れそうな笑みを浮かべてお辞儀をして、メイドたちを伴って子ども部屋に向かっていった。
部屋にはミランダとシリルの二人だけになったところで、ミランダの隣に座ったシリルがとん、と肩に頭を乗せてきた。
「シリル様?」
「……なんだか、レベッカの気持ちもわかるかも」
「どのへんが?」
「んー、そうだね。……いろいろな感情でいっぱいになって、泣きたくなってくる気持ち、かな?」
シリルが神妙な顔でそんなことを言うので、ミランダは小さく噴き出してしまった。
「泣きたいのなら、肩を貸しますよ」
「ミランダは男前だなぁ。……でも、大丈夫。泣いたりしたらまたミランダに、かわいいって言われてしまうから」
「根に持つのですね」
それはいいとして。
(……シリル様が泣きたい理由は、なぜなのかしら)
それはもしかして……彼が想いを告げられなかったという好きな人のことが関係しているのかもしれない。
「……あのさ、ミランダ。ミランダの愛した男って……どんな人だった?」
ふいにシリルに尋ねられて、どきっとした。まさに今ミランダも、同じようなことを考えていたからだ。
「そ、それはつまり、セドリックの父親のことですか?」
「そう。帝都で出会った、金髪の男ってのは知っている。ミランダは……そいつの、どこが好きになったの? というかその人って、僕より年上、年下どっち?」
やけに質問が多い。だがシリルとしても、セドリックの実の父親(仮)についての情報は集めておきたいと思っているのかもしれない。
(まさか、そのありもしない男を捜そうなんてことは言われないと思うけれど……一応、釘は刺したほうがいいわね)
「私よりも年上の大人の男性でした。笑った顔がとても素敵な人でしたよ」
「……へえ」
「シリル様。私は決して、あの人をここに連れてきてほしいなんて言いませんよ」
ミランダが念を押すと、シリルは虚をつかれたように目を丸くした。
「えっと……?」
「私は、もうこれ以上のものなんて望みません。セドリックがいて、レベッカのような気の置けない仲間がいて……あなたも、いてくださる。あの人がセドリックのことを知らなくても、いいんです」
ミランダが笑顔で言うと、シリルは少し考える素振りを見せてから小さくうなずいた。
「……わかったよ。ミランダがここで暮らすことに幸福を感じているのなら、僕としても嬉しいことだし」
「それはよかったです。……ちなみに、シリル様のほうはどうなんですか?」
「えっ?」
聞かれっぱなしになるのは悔しいので、ミランダは少し身を乗り出してシリルに微笑みかけた。
「シリル様の、好きな人。あなたこそその人の、どういうところが好きだったんですか?」
「それは……言えない」
「……そうですか」
「うん。僕の……初恋の人なんだ」
シリルが言葉少なに答える。初恋……ということは間違いなく、王国出身者だろう。
子どもの頃から好きだったけれど、なんらかの事情で愛を告げる機会を永遠に失った人。
それは亡くなったからなのか、誰か別の男性のもとに嫁いだからなのか――
……ずきん、と胸が痛んだ。
(……馬鹿みたい。自分で質問しておきながら、自分で傷つくなんて)
いい年しているくせに我が儘な自分に、ほとほと呆れてしまう。
シリルの初恋の人が、うらやましい。
今もこうして、彼から一途な愛情を受ける女性がうらやましいと……思ってしまった。




