19 女王夫妻との対面
仕度が終わったので、ミランダたちは女王のもとに向かった。
といってもシリルのものだというこの離宮から女王の住まう王城まではかなりの距離があるので、同じ敷地内ではあるものの馬車で移動することになった。
普通、女王に謁見するとなると広々とした玉座の間に向かう。だが今シリルの腕の中にはセドリックがいるし、他の護衛騎士たちに見られながらだとミランダが萎縮するだろうということで、女王とその夫だけが女王の執務室で待ってくれているそうだ。
シリルの隣で怖々と廊下を歩きながらも、ミランダは自分を見る視線に気づいていた。
既に王城でも、シリル王子が帝国人の恋人とその間に生まれた息子を連れて帰るということは、周知されているようだ。
(少なくとも、嫌そうな目はされていないかしら……)
さすがに初めて足を踏み入れる王城で魔術を使うつもりにはなれないので、ミランダは大人しくシリルの隣にくっついた。セドリックのほうはあらかじめ離宮でミルクをもらったし父親に抱っこされて安心しているしで、すうすうと眠っていた。
女王の執務室前で、ミランダはシリルからセドリックを受け取った。シリルは咳払いをして、ドアをノックする。
「失礼いたします、女王陛下。シリル・リドゲート、ただいま戻りました」
「お入りなさい」
中から、女性の声がした。執務室内には女王夫妻しかいないということだから、これが女王の声だろう。
(どんな方かしら……)
シリルの母で、セドリックの祖母となる女性だ。
緊張のあまり心臓がひっくり返りそうになりながらも、ミランダは腰を抱き寄せてくれるシリルの手に勇気をもらい、執務室に足を踏み入れた。
中は、ほどよく散らかっていた。壁を埋め尽くす棚から、丸めた地図や天秤のようなものが飛び出しているのが見える。
真っ赤な絨毯を進んだ先、重厚なデスクを挟んだ奥に、金髪の女性の姿があった。四十代半ば見にえる彼女こそ――このリドベキア王国を治める、女王ベアトリクスだった。
「おかえりなさい、シリル。おまえの活躍はしかと聞いております。この母に代わりよくぞ、暴虐なる帝国の悪行を暴いてくれました」
「ありがとうございます、女王陛下。今後とも、我が忠誠は陛下のもとに」
親子にしてはあまりにも仰々しい挨拶をした後、女王はその場に固まっていたミランダを見て、そしてその腕の中にいるセドリックを見てはっとした。
「シリル、そちらが……」
「はい。女王陛下ならびに王配殿下に、ご紹介いたします。こちらが書簡でもお知らせしました、私の恋人と息子――ということにしている方々です」
シリルの言葉には含みがあるが、女王と彼女の背後にそっと立っている男性――王配はその意味をきちんと理解しているようで、小さくうなずいた。
「そのようですね。ミランダと、セドリックだったかしら」
「は、はい! お初にお目にかかります、女王陛下!」
ミランダが舌がもつれそうになりながら挨拶をすると、今の事態がわかっているのかわかっていないのか、目を覚ましたセドリックも「まんびゃー!」とよくわからない挨拶をした。その瞬間、女王夫妻の目尻がふわりと垂れた。
「まあ、元気な子。ミランダ、どうかもっと近くに」
「は、い……」
「大丈夫だよ、ミランダ」
おずおずと前に出たミランダの腰を、シリルが支えてくれる。それを見た王配が「おや?」とばかりの笑顔で首を傾げたので、シリルは少しむくれたようだ。
ミランダがデスクに近づくと、わざわざ立ち上がってデスクを回ってくれた女王は笑顔で手を差し伸べた。
「さあ、おばあさまに抱っこさせてちょうだい。……まあ、本当にかわいい子だわ」
「こうして子どもに触れるのも、もうシリルが赤ん坊のとき以来ですね」
女王はセドリックを抱っこして楽しそうに体を揺らし、王配も顔を覗き込んでにっこり笑っている。なるほど、シリルの金髪と美貌は母親似で、ふわりとした笑顔は父親似のようだ。
「ミランダ、あなたのことも息子から聞いておりますよ。……シリルが帝国に『留学』している間、あなたは世話係の一人になってくれたそうですね。息子を見守ってくれて、本当にありがとう」
セドリックを夫に渡した女王に言われたので、ミランダは急ぎ頭を下げた。
「滅相もございません! あのときの私は、殿下の身分を知らず……その、僭越ながら、弟のように接しておりまして」
「まあ、弟? ふふ、それはさぞ生意気な弟で困ったことでしょう?」
「母上……」
シリルにじとっと見られてもお構いなしで、女王は昔を懐かしむかのように目を細めた。
「シリルは帰ってきてから、あなたのことをよく話してくれたのです。あなたは魔術だけでなく、いろいろなことを教えてくれたのでしょう? 冬に凍った池でスケートをしたときの話を聞いて、わたくしも一度やってみたいと思っていましたの」
「このへんは、真冬でも池が凍ったりしないですからね。シリルは本当に、帝国でいい経験ができたと思いますよ」
セドリックを高い高いしていた王配も、朗らかに言った。
「あの頃の王国はいろいろと大変で……僕たちとしても苦渋の決断をして、シリルを帝国に預けました。これでよかったのだろうか、と陛下と一緒に悩む夜もありましたが……帰ってきたシリルが一回りも二回りも成長していて、しかもよく笑うようになっていたのが、本当に嬉しくて」
「……父上、もうそのへんにしてください」
シリルは照れているのかぶっきらぼうに言い、父親からセドリックを受け取ってぽんぽんと背中を叩いてやった。
「それよりも。ミランダは、私の我が儘で連れてくることになりました。私も彼女とセドリックのことを全力で守りますが……」
「わかっておりますよ」
女王は息子にうなずきかけてから、ミランダに視線を向けた。
「ミランダ、あなたのことは我々リドベキア王家が全力で守ります。この城に、あなたやセドリックを害しようとする者はおりません。あなたはシリルの愛した人として、セドリックの――王家の子の母として、ゆっくりと過ごしなさい」
「で、ですが、女王陛下。私は……本当は……」
「いいのです。わかっておりますよ、ミランダ」
嘘をつく苦しさにミランダが声を震わせるが、女王はやんわりとミランダを止めた。
「誰よりも、あなたが苦しい思いをしているのでしょう。……全部、大丈夫です。わたくしたちは、あなたを息子の愛する人として、セドリックを孫として受け入れることを決めたのです」
「……」
「アルベック城での出来事、わたくしたちも聞いております。……ミランダ、あなたはこれまで十分頑張りました。これからのあなたとセドリックを守るのは、わたくしたちの役目。うんと甘え、うんと気を楽にして幸せになってください」
「母上。ミランダがもし私に嫌気が差したらいつでもアルベック城に帰っていいと言っております。ミランダは、空を飛ぶことができるので」
シリルが言うと、女王は「まあ!」と嬉しそうに声を上げた。
「本当にあなた、空を飛べるのね! ああ、この国には魔術師がほとんどいないから、いつか魔術師の方とたくさんお話をしたいと思っていたのよ! ねえ、ミランダ。あなたが元気なときでいいから、素敵な魔術を見せてくださいませんか?」
「も、もちろんです。私なんかの魔術でよろしければ、是非」
「なんかと言いますが、彼女はアルベック城での交戦時にたった一人で、負傷した多くの騎士や仲間たちを癒やしました。実力は、折り紙付きですよ」
「も、もう、殿下! あんまり言わないでください!」
べた褒めしてくるシリルが恥ずかしくて照れ隠しで言うと、女王は「まあ」と喜び、王配も「仲がいいのはいいことですね」とほんわかと言ったのだった。




