18 旅立ち
セドリックが生まれて、二ヶ月。
夏の陽光がまぶしい季節に、ミランダたちはアルベック城を発った。
城には元々住んでいた人たちのほか、かつて敗走してきてミランダたちで治療をした兵士や魔道学院の卒業生も数名残った。
彼らにとってのアルベック城はもはや第二の故郷のような場所らしく、「ミランダ様の代わりに、ここをお守りします!」と力強く宣言する姿に、ミランダの目尻が熱くなった。
(さようなら。みんなと一緒に過ごした城。私が、セドリックと一緒に一生を過ごすと思っていた場所……)
馬車に乗り、遠ざかりゆくアルベック城をミランダはいつまでも見つめていた。
「……いつでも、戻れるよ」
後ろ髪を引かれまくりのミランダにそう言うのは、シリル。
セドリックが眠るベッドを揺らしてあやしてやっていた彼は、穏やかな表情でミランダを見つめていた。
「いつでも、アルベック城に帰れるさ。いずれあの城には城代を派遣するが、その城主はミランダのままにする予定だ」
「でも、私は王城に……」
「うん、だからミランダの代わりに城代に治めてもらうんだ。でも君とセドリックは城主とその子どもなんだから、いつ遊びに行ってもいい。……そうだな。僕との生活が嫌になったら、セドリックを抱っこして飛んでいっていいよ。あの城なら、僕も安心して君たちのことを任せられられるから」
そう言うセドリックの表情はとても穏やかで、ミランダは微笑んだ。
「……ありがとうございます。では私、アルベック城を里帰り先にしておきますね」
「うん、それがいい。あの城は……いつだって、君たちのことを歓迎してくれる。そういう場所を、大切にしてほしいんだ」
シリルの静かな笑みが、ミランダの寂しさをほんの少しだけ和らげてくれた。
産後間もない女性と乳児を連れているということで、一行はゆっくりゆっくり国境を越えて王国領に入り、深い森を掻き分けて進みやがて開けた大地に出た。
(ここが、リドベキア王国……)
馬車の窓を開けて夏の風をいっぱいに車内に取り入れながら、ミランダはリドベキア王国の大地に見入っていた。
リドベキア王国はメルデ帝国よりも一年間の気候の変化が緩やかで、なだらかな草原地帯や小動物たちが棲む森などが多い。
国民の気質も穏やかで、騎士団の精強さは大陸一と言われているが元々は争いを嫌い、美しい花を愛でて過ごすことを好む人が多いという。
だからか、リドベキア王国は自然豊かで芸術全般が栄えている。魔術でたいていのことができるメルデ帝国と違ってやや昔ながらの生活を送っているが、そんな牧歌的な雰囲気がまた魅力なのだという。
「……やっと、君をリドベキアに連れてこられた」
窓の外の光景に魅了されるミランダに、シリルの笑い声が届いた。
「覚えている? ずっと前、いつか君をリドベキアに連れて行くと約束しただろう?」
「……ええ、もちろんです」
振り返ったミランダはシリルを見て、小さく笑った。
『いつかうちに招待するよ。僕の生まれ故郷を、ミランダに見せたい』
そう言ったときのシリルは十八歳かそこらで、すっかり大人の男性になったものの赤く染めた頬がどこかかわいらしかったものだ。
「あのときの殿下は、それはそれはおかわいらしくて……」
「おい、待て。少なくともそのときの僕は既に、成人を迎えていたはずだろう」
シリルはむっとしたように指摘してきた。
「そういえば君はいつも、僕のことをかわいいぼっちゃん扱いしていたな。あれ、恥ずかしかったんだ」
「まあ、そうだったのですか? 私にとってはかわいい弟のような存在だったので、つい」
ミランダが含み笑いで言うと、シリルは拗ねたように唇を尖らせた。
「かわいいって……それは君のほうだろう」
「えっ」
今、聞き捨てならない言葉が聞こえた。
だがシリルのほうも自分の発言に驚いているようで、きょとんとしたのちに「あ、いや!」と慌てて手を左右に振る。
「いや、その……ほら、女性は皆かわいいだろう? かわいい担当は女性なんだから、僕にかわいいなんて言うんじゃない」
「はあ……まあ、そうですが。でもセドリックはかわいいですよね?」
「うん、すごくかわいい」
「ふふ、矛盾している」
「いいんだ。セドリックは特別なんだ」
なー? と、シリルはベビーベッドに寝かされたセドリックに呼びかける。
父親に呼ばれたセドリックは不思議そうな顔で指をくわていえたが、何を思ったのか「ぶゃ!」と嬉しそうに叫んで、よだれまみれの親指をシリルに差し出した
「おっと、さすがにこれは受け取れないなぁ」
「セドリックもいつか、お父様にプレゼントするときがくるのかしらね」
「……。……ふふ、そうだな。なにをくれるんだろうか?」
「きれいな石とか、葉っぱとか?」
「いいね。そのときは喜んで頂戴して、全部僕の宝物にするよ」
シリルは微笑んで、セドリックのぷにぷにのほっぺをつついていた。
ミランダたちの乗る馬車は長い路程の末に、リドベキア城に到着した。
城下街の街並みもメルデ帝都とは全く違ってミランダは圧倒されたが、それは王城もだった。
魔術師たちが自由に空を飛ぶ国だけあり、メルデは城をはじめとした多くの建造物の背が高かった。
魔術師たちにとって高い塔などは休憩場所にもなるし、もし高所の修理が必要でも魔術師の手にかかればそれほど苦ではないからだ。
だがリドベキア王国は魔術師が生まれにくく、また昔ながらの伝統を大事にしているということもあり、王城はどっしり構えるような造りをしていた。その代わり王城の面積は非常に広く、城の東端から西端まで移動するだけでも一時間以上かかるのだとか。
長い旅を終えた直後なので、ミランダたちは女王に謁見する前に湯を浴び、着替えもした。
一足先に王城に来てシリルからの手紙を女王に渡していた魔術師のおかげで城の受け入れ体勢も万端らしく、「これから君とセドリックにはここで暮らしてもらう」とシリルに招かれた離宮にはミランダのためのドレスや宝飾品だけでなく、セドリックのためのベッドやおもちゃ、新品の赤ちゃん用バスタブなどまで揃っていた。
「こんなにたくさん用意してもらえるなんて……」
「君は僕の恋人で、王家の子を産んでくれた女性だからね。これくらい当然のことさ」
着替えの後でミランダがたくさんのメイドたちにかしずかれてお茶を飲んでいると、同じく身仕度を調えたシリルがやってきた。
これから女王に謁見するからか、彼は旅の道中に着ていたシンプルな服ではなくて豪華なボタンや勲章がたくさんついたジャケットを着ていた。スラックスもジャケットも、リドベキア王国軍の色と同じ青色で、シリルの金髪がよく映えていた。
そんなシリルはミランダを見て、照れたように微笑む。
「……急いで作らせたものだけど、とてもよく似合っている。きれいだよ、ミランダ」
「えっ!? あ、ひゃ、ありがとうございます……」
「あはは、なんだい、そのかわいい声は」
いきなり褒められたものだから、ミランダはひっくり返った声を上げてしまった。
ミランダたちが到着する前に用意したというドレスはどれも美しく、その中でもメイドが着せてくれたこれは光沢のある青の布地が美しい夏用ドレスだった。
また、隣の揺り籠にいるセドリックも、赤ちゃん用の青色の服を着ていた。シリルとセドリックはともかく、ミランダもリドベキア王国の青を纏えるというのが嬉しかった。
周りにメイドたちがいるからか、シリルは仮の恋人ではなくて心から愛する人のようにミランダに接する。
セドリックにも「僕のぼうやは、何を着ても素敵だね」とべた褒めで、父親に褒められたセドリックはご機嫌そうに「なぁー!」と声を上げて、メイドたちをほっこり笑顔にしていた。




