15 我が子との出会いと、衝撃と
シリルはすぐには王国に帰らず、しばらくの間はアルベック城に留まって王国とのやりとりをしつつ、ミランダの出産を一緒に迎えてくれるそうだ。
「君は、僕にとって姉のような人だからね。そんなミランダの大事なときなんだから、僕も近くにいたいんだ」
国に帰らなくてもいいのですか、と尋ねたミランダに対して、シリルはそう言ってはにかんだ。
「それに、君の子どもをすぐに見たいというのもある。君の子がセドリックなのかレイチェルなのか、きちんと確かめないといけないからね」
「……ふふ。ありがとうございます、殿下」
シリルの言葉に、ミランダの胸がふわりと温かくなる。
先日、ミランダは意を決して――だが表面上は平静を装い、シリルに子どもの名前の相談をした。
彼はミランダが用意した一覧表を見てうんうんと唸り、そして最終的にセドリックとレイチェルの名前を薦めてくれたのだ。
シリルが、もうすぐ生まれる子のために選んでくれた名前。
父親がシリルであることを、ミランダは子どもに教えないつもりでいる。たとえ髪の色や『祝福印』がシリルに似ても、金髪に【炎】の『祝福印』の男性なんてこの世にごまんといる。
それに恋人の名前も「アラン」という、ありふれた――この城にも三人ほどいる――名前だと言っているので、不審に思われることはないだろう。
シリルはくすくすと笑うミランダを温かい眼差しで見て、お腹の膨らみも見て、そしてもう一度ミランダに視線を戻した。
「……ねえ、ミランダ。君はこれからもここで、子どもを育てるんだね?」
「はい。出産が終わり私の体調が整ったら、シリル殿下が私をアルベック城の城主として正式に任命してくださるのでしょう? だから私はここで……皆と一緒に、子を育てたいです」
先日の和平会談で、アルベック城は帝国領内でありながら王国の管轄下に置くということが決まったそうだ。シリルはここの城主にミランダを据え、帝国と王国の橋渡しをしてほしいという。
ミランダは喜んで、その命を受けた。ここは、帝都からも王都からもほどよい距離にある。
きっとこれからはふたつの国を繋ぐ大切な場所になるだろうし……そこをシリルの子と一緒に治めていけるのは、ミランダにとっても嬉しいことだった。
帝都のほうでもいろいろと順調に物事が進んでいるらしく、魔道学院も無事だった。
学院長は自分の教え子が全員無事であることを泣いて喜び、また今回従軍した最高学年の十八人は全員卒業することができた。
なお皇帝や宰相などが軒並み処刑された中、宰相令嬢であるヴィヴィアンは難を逃れた。
それは彼女を殺してもあまり意味がなさそうだったかららしいが、ヴィヴィアンはあろうことか進軍してきたシリルを見て「わたくしの王子様が来た!」と飛びついてきたので、とっさに振り払ったシリルによって柱に頭をぶつけたとか。
ヴィヴィアンは適当に放り出されたらしく、その他の貴族にも調べが入った。
今の帝都はかつて温和な皇帝が治めていた頃に戻るべく、少しずつ立ち直っている最中だという。
(きっと、これでいいのね)
帝国は生まれ変わり、王国の庇護を受けながらますます栄えていく。
ミランダは我が子と一緒に、ふたつの国が平和に統治される姿を見守ることができる。
「……私、幸せです」
ミランダがぽつりとつぶやくと、シリルは少し驚いた顔をした後にふわりと微笑んだ。
「そうだね。……君が幸せなのが一番だよ、ミランダ」
その微笑みはどこまでも優しく、愛情に満ちていた。
春の終わり頃、ミランダはとうとう産気づいた。
ちょうどシリルと一緒に話をしているときだったので、立ち上がったミランダが破水したのを見てシリルは硬直していた。
そのまま固まってしまったシリルは全く役に立たなかったらしく、ミランダは駆けつけたレベッカに魔法で浮かされてベッドに運ばれた。
午前中に破水してすぐさま出産の準備が進められたのだが――かなりの難産だった。
ミランダが痛みのあまり掴んだためベッドガードをねじ曲げてしまったし、いきむときにうっかり魔力を放出してしまうので、そばにいたレベッカら魔道学院の女子卒業生たちに魔力を制御してしまったりで、部屋はてんやわんやだった。
……そうして夕方くらいになって、ミランダはやっとのことで男の子を出産した。
ふわふわの金髪が頭頂部に生えているのを見て、ミランダの体から力が抜けていく。
(生まれた……ああ、シリル殿下にそっくりだわ……)
疲労のあまり気絶しそうになりながらも、ミランダはなんとか最後の力を振り絞って、べしょべしょに泣いているレベッカから息子を受け取った。
(小さい、柔らかい、しわくちゃ……)
ぎゅっと抱きしめると、途端に愛おしさが募ってくる。
腕の中に、赤ちゃんがいる。
ミランダの、大切な子どもが。
「……ミランダ!」
うとうとまどろむミランダの耳に、焦ったようなシリルの声が飛び込んできた。
ベッドの周りにカーテンを引かれているので姿は見えないが、「殿下、まだ産後すぐです!」「気になるからって、急ぎすぎです!」と産婆やレベッカたちに叱られているのが聞こえる。
(殿下……今はちょっと、会えないわ……)
たとえ親子関係を公表できなくても、シリルにも息子を抱っこしてほしい。
そう思うものの、今のミランダは出産の疲れでへろへろで、とんでもない見た目になっている自覚がある。
さしものシリルもそこまでデリカシーがないわけではないようで、カーテンの前で止まった彼が恐る恐る声をかけてきた。
「ミランダ……大丈夫か?」
「……はい。来てくれて、ありがとうございます。……私の息子の、セドリックです」
「……ああ。よかった、おめでとう、ミランダ」
揺れるカーテン越しに、シリルのシルエットが見える。彼の心からの祝福の言葉が嬉しくて、ミランダも緩んだ笑みを浮かべて息子――セドリックに頬ずりした。
「殿下……私、眠いので……休みます……」
「ああ、そうするといい。僕たちのほうで、できることはしておく。だから君は、ゆっくり休んで。……お疲れ様」
「……ありがとうございます」
ミランダはシリルの厚意に感謝し、ふあっとあくびをした。
眠い、とにかく眠すぎる。
シリルが出て行ってから、レベッカがカーテンの向こうから入ってきた。彼女にセドリックを渡し、ミランダはうとうとと目を閉ざした。
「レベッカも……ありがとう」
「いいえ、この素敵なときに同席できたこと……私のほうこそ、感謝しています。ゆっくりお休みくださいね、ミランダ様」
「……ええ」
レベッカの優しい言葉に感謝して、ミランダはゆっくりと眠りに落ちていった。
なんとか出産を終えられたミランダだが、その後が地獄の日々だった。
いきみすぎたせいで体のあちこちが痛いし、胸も硬く張って痛いし……とにかく、体のあちこちが痛い。
産後はまともに眠れない日が続き、やっと痛みが治まった後はがりがりに痩せた体をもとに戻すために栄養を取らなければならなかった。
その日々でもとにかく眠く、疲れる。
おかげで息子に再会できたのは、出産からゆうに五日経った日のことだった。
(ちょっとだけ、人間っぽくなったかも?)
産婆から受け取った我が子は、白いおくるみでくるんと巻かれていた。
ミランダのためにシリルが近くの町から乳母になってくれる女性を呼んでくれていたらしく、乳を飲んでお腹いっぱいのセドリックはミランダの胸元ですやすやと眠っていた。
「かわいい……」
「ええ、本当に。お母様に似ておかわいらしいぼっちゃまです」
産婆がにこにこの笑顔で言うので、ミランダはもう、と苦笑した。
「お上手ですこと。……そういえば、レベッカは?」
「レベッカちゃんたちは、なにやら用事があるとのことで皆、出払っております」
「あら……お外かしら?」
「いえ、どうやらシリル殿下に呼ばれたそうで」
産婆が言うので、おや、とミランダは首を傾げた。
シリルはベッドに伸びているミランダのために、セドリックに関する諸々の手続きをしてくれていた。そのことはレベッカが伝えてくれたが、痛いか眠いかのどちらかな状態が続いていたミランダはその話もあまり頭に入っていない。
(お産が終わってすぐに来てくださって以来だし、きちんとお礼を言わないとね)
セドリックを腕の中であやしながら、ミランダはそんなことを思っていたのだが――
「……ミランダ様っ!」
ドアをバァンと叩き開けながらレベッカが部屋に来たのは、乳母にセドリックを預けたミランダがゆったりとお茶を飲んでいるときのことだった。
突然の爆音に産後の体にも優しいという特別なお茶を噴き出しそうになったミランダだが、ドアのところに立っているレベッカはきらっきらの笑顔だ。
「レ、レベッカ。どうしたの、一体……」
「もう、もうっ! ミランダ様ってば、水くさいんですから! 私には教えてくれてもよかったのにー!」
ミランダの声も耳に入っていないのかレベッカはすっかり興奮しており、彼女に詰め寄られたミランダのほうが焦ってしまう。
「え、ど、どうしたの? なんのこと?」
「シリル殿下のことですよ! 内緒で会っていたなんて、憎いじゃないですかー!」
すっかり舞い上がっている様子のレベッカに……どきん、とミランダの心臓が不安を訴えた。
シリルと、内緒で会っていた。
(まさか、去年のこと……!? どうしてそれを、レベッカが!?)
毒矢事件のことが急に思い出されて青ざめるミランダだが、レベッカはそんなミランダの手を取った。
「ミランダ様が帝都で密かに会っていた恋人、シリル殿下なんですよね!? きゃー、おめでとうございますー!」
一人で興奮するレベッカに、
「……は、い?」
ミランダは間抜けな声を上げることしかできなかった。




