13 シリルの気遣い
アルベック城の冬は、曇り空が多い。
だが城のあちこちから賑やかな声がしており、人の温もりが確かに感じられた。
焼き払われることも覚悟していた城下街は無事で、城に避難していた者たちも皆それぞれの家に戻っているし、無事だった家畜やペットと再会して喜びの涙を流す者もいた。
アルベック城は、リドベキア王国軍に占領された……ということになっている。
だが王国軍の騎士たちは総じて紳士的で、つい先ほどまで殺し合いをしていた魔術師や兵士たちにもままならぬ事情があったのだと知ると、和解してくれた。負傷者はいるものの、どちらの陣営にも死者が出なかったというのも大きな理由だろう。
「ミランダ、失礼する」
自室にいたミランダは、ドアがノックされる音と柔らかな男性の声に、びくっと身を震わせた。
その姿を見て、隣に控えていたレベッカが気遣わしげな視線を向けてくる。
「ミランダ様……大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ドアを開けてちょうだい」
「……はい」
レベッカがドアを開けると、そこにはシリルと大柄な男――部隊長がいた。
シリルはなぜか小さな花束を手にしており、彼はそれをレベッカに渡してからミランダのもとに来た。
「……改めて。久しぶりだな、ミランダ」
「お久しぶりでございます、殿下。……二年前に、帝都で別れたきりですね」
「そうだな」
ミランダは立ち上がろうとしたが、シリルはそれを制してからミランダの座るソファの前に跪いた。ミランダの体調を気遣っているのかもしれないが、そんなことをされても居心地が悪いだけだ。
「殿下、どうかお立ちください。そちらにお座りになっていただければ」
「……わかった」
シリルは立ち上がり、ミランダが示した椅子に座った。
(……やっぱり殿下は、三ヶ月前のことを覚えていないのね)
戦場での挨拶のときから気づいていたが、先ほどのやりとりで確信をもったミランダはそっとお腹に触れた。
それを見たシリルの眉が動き、そして彼は躊躇いがちに唇を開いた。
「……本当に、君のお腹には子がいるのだな」
「……そうです。レベッカが診察して判明しました」
「……そうか」
やや気まずそうなレベッカを視界の端に入れつつミランダがうなずくと、シリルはもう一度「そうか」と低い声でつぶやいた。
「本当に、驚きの数々だ。アルベック城の指揮官が女魔術師であることは知っていたが、それがミランダだとは思わなかったし……しかも身重でありながら戦場に立つだなんて」
「……」
「その、ミランダ。お腹の子の父親は、このことを知っているのか?」
躊躇いがちに尋ねられたので、ミランダはレベッカの視線を感じつつ首を横に振った。
「……いいえ。あの人は……夏に別れたきりなのです」
「別れた? 君は乱暴されたのか?」
はい、あなたにされました、とは言えなくて、ミランダは苦笑をこぼした。
「いいえ。レベッカにも話したのですが、この子は私が望んだ子です。……あの人は旅人で、すぐに帝都を去ってしまいました。でも私の、あの人への愛は本物です。だから、大丈夫です」
「……そうか。それくらい、ミランダはその男のことを愛しているんだな」
シリルは苦く笑ったものの、すっと表情を厳しくした。
「……だとしたら、ますますいただけない。ミランダ、君はもっと自分の体を大切にしなければならないだろう」
「で、ですが、そうでもしないと城の皆が犠牲になると思って……」
「……確かにあのときの王国軍は、殺気立っていた。でも、他にも打開策はあっただろう?」
「……。……妊娠がわかったのが、当日の朝だったので」
「……そうか。……すまない」
シリルはそこではっとした様子で、謝罪した。
「僕は、女性の体のことなんてなにもわからないのに、偉そうなことを言ってしまった。失言を許してほしい、ミランダ」
「いいえ、お気になさらず。……それで、殿下。殿下方はこのまま、帝都に進軍されるのですか?」
もうこの話はおしまいにしてもらおうと思ってミランダが切り出すと、シリルはうなずいた。
「ああ。我が国の領土を侵したことについては、皇帝に一言申し上げなければならないからな。無論、平和的な解決策があるのが一番だが……それが不可能なら、武力をもって報復するつもりだ。女王陛下も、そのおつもりでいらっしゃる」
「……」
「ミランダ、約束は約束だ。この城は既に、我が軍の所有地。帝国におもねろうとするならば相応の罰を与えることになる……が、君たちが僕たちに協力するならば、僕の庇護下に置く。それでいいな?」
「はい、もちろんでございます」
もう、ミランダにはシリルに逆らう必要もない。
この城は、帝国に見捨てられた。王国軍と相打ちになって滅ぶことを命じられた城と人々が、生き延びることができる。それだけで、ミランダは十分だった。
「ここはとても雰囲気がよくて、居心地のいい城だ。しばらくここで兵を休めて王国からの支援物資も届き次第、帝都に向かって進軍する。……そのとき、魔道学院の生徒を数名借りたい」
「……戦力としてですか」
思わずミランダが声を震わせると、シリルは「いや」と首を横に振った。
「それは、僕のほうが君との約束を破ることになる。生徒にはいくらか帝都についての質問をしたり道案内を頼んだりするほか、進軍の際のサポートをしてもらう。我が軍には、魔術師がいない。魔術師は炎や水を生じさせられるだろうから、それで後方支援を頼みたい。帝国軍と学生が交戦することなどは、絶対にさせないと誓う」
「……そういうことなら」
ミランダはほっとしてうなずいた。
魔術は戦闘だけでなく、生活でも非常に助けられる。
王国には魔術師が生まれにくいから、生活に必要な水を出したり炎で暖を取ったりできれば、平和的な形で王国軍に協力できる。
「ありがとう。魔道学院の生徒については、男子生徒を中心に選ぼうと思っている。そのときには君にも、意見を聞きたい」
「もちろんでございます。……あの、私が行くことは――」
「だめだ。……君はお腹の子のためにも、この城に残るんだ」
念のために尋ねると、シリルは険しい表情で言った。
「三ヶ月ほど前に妊娠したということだから……生まれるのは、来年の春の終わり頃だろうか。君は出産に備えて、ゆっくり過ごすんだ。赤ん坊が生まれる頃には、僕もよい報告を手にここに帰ってこられるようにする」
そう言ってシリルが微笑むので――不覚にも、ミランダの胸がきゅんと高鳴った。
言えない、言えるはずがない。
この子は、あなたの子なのです。三ヶ月前に自分たちは密かに会っていて、そのときにできた子なのです――なんてことは。
シリルには、三ヶ月前に会った記憶がない。さらに彼は、ミランダが嘘設定としてレベッカに言ったとおりのシナリオを信じているのだから。
彼の気遣いと優しさは嬉しいのだが――
「……どうしてここまで、優しくしてくださるのですか?」
ミランダが小声で問うと、シリルは少し目を見開き……そして、どこか寂しげに笑った。
「……昔、僕は君の世話になった。そんな君には幸せになってもらいたい。君の子を祝福したいと思っているからだ」
「殿下……」
「懐妊おめでとう、ミランダ。……ゆっくり休んで、元気な子を産むんだよ」
そう言うシリルの笑顔はまぶしいが、同時に少しだけ陰があるようにも思われたのだった。




