10 予感②
ごくりとつばを呑み、この後の展開をイメージし……そして、ミランダはレベッカの手を握った。
「レベッカ……私の診察をしてくれないかしら?」
「えっ。できますが、私はお医者様ではないので……」
「あなたにしかお願いできないの。どうか、このことは誰にも言わないでほしい。お願いできる?」
ミランダが必死にお願いをすると、何かを察したらしいレベッカは真面目な顔になって、しっかりとうなずいた。
「……はい。お任せください」
「ありがとう。……ここを、診てちょうだい」
ミランダは震える声でそう言い、レベッカの手を自分のお腹に導いた。
レベッカは最初、不思議そうな顔をしていたがすぐにはっとして、そしてミランダのお腹に触れた手に魔力を流し込んだ。
魔術師は医者ではない。魔術師の治癒魔術は裂傷などの怪我には効果が絶大だが、毒や病には効き目がない。そういうのは薬師や医者の仕事だった。
だが、魔術師には「人の気配を探る」魔術が使える。今ミランダの指示を受けて魔道学院の生徒たちが北西の方向を探っているのと、同じ魔術だ。
レベッカは真剣な顔でミランダのお腹に魔力を流し――そして何かに悩むかのように、今からなにを言えばいいか考えているかのように、顔をしかめ――
「……ご懐妊です。おめでとう、ございます……」
「レベッカ……」
震える声で祝いの言葉を述べたレベッカは、ぎゅっとミランダに抱きついてきた。
「あんまりです。こんなの……あんまりです! ミランダ様は、ここにいちゃいけないです! 温かい場所で、ゆっくりしないといけないのに、こんなことって……!」
「……ありがとう、レベッカ」
ミランダの代わりといわんばかりにぼろぼろと涙を流すレベッカを抱きしめながらも、ミランダの胸の奥は冷えきっていた。
やはり、そうだった。
そうであってしまった。
三ヶ月前、シリルと夜を過ごした後で、ミランダは医者のもとに行くことができなかった。
アルベック城に着いたときにはもう、現在の帝国の技術で妊娠を阻止できる期間は過ぎていた。だからあとはもう、どうかそうでありませんようにと祈るしかなかった。
(ここに、シリル殿下の子どもが……)
そっと、お腹に触れる。元々月経は不順気味だったので、全く気づかなかった。
あの夜に授かった……授かってしまった、シリルの子ども。
この子はただの魔術師の子ではなくて、リドベキア王国の血を継いでいる。
……ぐっと、お腹に触れる手に力がこもる。
産むべきなのか?
それとも……レベッカしか知らない今のうちに、『どうにかする』べきなのか?
『ミランダ』
記憶の彼方で、シリルが笑っている。
出会ったばかりの頃は無表情だった彼は、よく笑ってくれるようになった。
叔父に命を狙われ、両親のもとを離れてたった一人、身分を隠して帝国に逃げるしかなかった彼を、支えたいと思った。守りたいと思った。
……それは決して、こんな形を望んでいるのではなかった。
「……ミランダ様。その、お腹の子は……父親は……」
レベッカがおずおずといった様子で、聞いてきた。望んでできた子なのかどうか、確かめたいのだろう。
(……望んでできたわけではないわ)
ミランダも、そしてシリルも、子どもを望んであの夜を迎えたわけではない。だがかといって、ミランダにとってのシリルはあの出来事があったからといって嫌いになるような人でもなかった。
たとえあの夜がひどいものだったとしても、ミランダの胸には四年間彼と共に過ごした優しい日々が強く残っているのだから。
「……大丈夫。好きな人との間に、できた子だから」
「そうなんですか?」
レベッカが心配そうに聞いてくるので、彼女に……そしてお腹の子に嘘をついている罪悪感を覚えつつも、ミランダは笑顔でうなずいた。
「そうよ。その人とは、帝都で知り合ったの。金色の髪の、とても優しい人で……」
「でも、アルベック城に送られたミランダ様を守ってあげなかったんですよね!?」
「え、ええと、それは……彼は、旅人だったの。彼と一緒にいたのは今年の夏までで、すぐにいなくなってしまったの。でも、愛していたわ。だから心配しないで!」
とっさに嘘を重ねてしまったが、これだけ言えばレベッカも信じてくれたようで、「それならいいんですけど」とミランダのお腹にそっと触れた。
「だったらやっぱりミランダ様は、今のうちにここを離れたほうがいいです。今なら、監視する人もいないんですし」
「それは……」
「……失礼します、ミランダ様!」
返す言葉に迷うミランダだったが、ドアが激しく叩かれた。急いでレベッカが立ち上がり、ドアのほうに向かう。
「リオね。なにかわかったの?」
「レベッカか! 君に言われたとおり、北西の方向を探ってみたんだが……ああ、ここを開けていいですか!?」
「レベッカ、開けてちょうだい」
ソファに横になっていたミランダが体を起こして言うと、レベッカがドアを開けた。
そこに立っていたのは、真っ白な顔で息を切らせる魔道学院の男子生徒だった。
「ミランダ様、大変です! 北西の方角から、王国軍と思われる軍隊が接近してきています!」
「なっ……!」
「ミランダ様ー! 兵士たちについて、調べましたよ!」
リオの報告が終わるや否や、別の女子生徒がドアに突撃する勢いで転がり込んできた。
「今ここに残っている兵士たちはみんな、怪我が治りきっていません。人数は二十三人ですが……」
「ありがとう。……心配していた事態になってしまったわね」
ミランダは額に手を宛てがい、ふーっと息を吐き出した。そんなミランダを、レベッカが心配げに見てくる。
ミランダの不安は三つとも、的中してしまった。
北西のほうから、王国軍が迫ってきている。
現在城にいる兵士はほぼ全員、戦闘力として期待できない。
そして……ミランダは、身重だった。
アルベック城の現状としては、最悪としか言いようがない。
(それでも……)
「仕度をして、すぐに下ります。魔術師たちには招集をかけ……それから、もし兵士でも戦える人がいたら一緒に集まるように言いなさい」
「はっ!」
「かしこまりました!」
「それから……レベッカ」
二人の学生が走っていったため、ミランダはレベッカを呼んで立ち上がった。
「戦仕度を手伝ってちょうだい」
「まさか、そのお体で戦うつもりですか!?」
レベッカは声を潜めつつも苛立ったように言い、ミランダの手を引っ張った。
「だめです! ミランダ様には、お腹に赤ちゃんがいるんです! 愛した人の子なのでしょう!?」
そう、確かにそう言った。
実際には愛していたわけではないけれど、ミランダにとって大切な人の子であることに間違いはない。
それでも――
「……そうね。でも私は今この城で生きている人たちを助けたい。……きっとあの人も、私の決意を受け入れてくれるわ」
ミランダは挑戦的に笑い、ショックを受けた様子のレベッカをぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、レベッカ。……あなたに一番辛い思いをさせてしまって、ごめんなさい」
「っ……そんな……」
「私が死んだとしても、どうかこのことは……誰にも言わないで」
ミランダが優しく言うと、レベッカはしゃくり上げながらミランダの胸元にすがりついてきたのだった。




