1 『留学生』との出会い
ミランダが『彼』と出会ったのは、彼女が十八歳のとき。メルデ帝国の魔術師団に入団して半年ほど経ったころのことだった。
「ミランダ、彼の名はシーグ。宰相閣下の遠縁で、リドベキア王国からの留学生だ。君にはシーグに魔術を教える傍ら、帝国で暮らす間の生活補助をしてやってほしい」
魔術師団長に紹介されて、ミランダは引き合わされた少年を緊張の面持ちで見つめた。
金色の髪に、緑色の目。少しうつむきがちで表情の変化に乏しいものの、なかなか整った顔立ちを持っていると思われた。
着ているのは、帝国の名門令息が愛用するようなシャツとジレベスト、スラックスだった。だがそれを着る彼は居心地が悪そうで、ミランダの目を見ようとせずどこか落ち込んだような表情をしているのが気になった。
ふむ、とミランダは首を傾げ、その拍子に頬に流れた栗色の髪を軽く掻き上げる。
魔術師団に入団して、半年。下っ端として細々とした雑用を行う日々だったが、元々こつこつとした作業が苦ではないミランダは、わりと乗り気で仕事をしていた。
その仕事内容は、魔術書の転記だとか壊れた道具を直すことだとか困っている人をちょっとした魔術で助けるとかいう程度のもので、こういうことを積み上げて昇格していこうとのんびりと考えていた。
そんなミランダがいきなり、隣国リドベキア王国からの留学生の世話係を任命された。
この命令が下ったのもつい三日前のことで、私なんかではと固辞するミランダに「なんとかなるから大丈夫」と、おっとりとした魔術師団長が押し切った形だった。
(魔術を教えるなら、適任者はいくらでもいるわ。でも、一番の新人である私じゃないとだめな理由があるのかもしれないわね)
どうしよう、どうすれば、と悩むのは、この三日間でやり終えた。
元々前向きなミランダは、ではその少年とどのように関わっていこうかと建設的に考えられるようになっていた。
「シーグ、初めまして。私は帝国魔術師団――の下っ端の、ミランダといいます」
ひとまず、第一印象は大切だ。
ミランダは笑顔で自己紹介をして、だんまりのシーグに手を差し出した。ここメルデ帝国でもリドベキア王国でも共通の、友好の握手だ。
シーグは目線を上げて、ミランダをじっと見てきた。なるほど、表情筋の活動には乏しいものの、やはりなかなかの美少年だ。
さすがに四つも下のいたいけな少年に恋をすることはないが、もしミランダが彼と同じ年頃だったら格好いい男の子を前にきゃあきゃあはしゃいでいたかもしれない。
シーグはしばらくの間、ミランダが差し出した手をじっと見ていた。だが魔術師団長がにこにこの笑顔で促したからか、おずおずと手を出して握り返してくれた。
十四歳なら、発達が早い男の子であれば大人顔負けの体つきになっているはず。だがシーグは十,十一歳でも通用しそうなほど小柄で、握った手もとても小さかった。
(どう考えても、訳ありね)
宰相の遠縁とのことだが、実はもっとややこしい経緯がありそうだ。残念ながらミランダの想像力ではそれ以上のことはわからないが、シーグの小さな体や表情が死んでいることからしても、彼があまり恵まれない環境で過ごしてきたことは予想できた。
(きっと、私になら何かできると思って任せてもらえたのよ)
「これからよろしくお願いします、シーグ」
ミランダが笑顔で言うと、シーグは戸惑いがちにうなずいてくれたのだった。
ひょんなことから謎の留学生・シーグの魔術教師兼世話係になったミランダだったが、彼と過ごす日々は案外穏やかなものだった。
「えっ、シーグは魔力を持っていないの?」
「……うん」
シーグと話をしていたミランダは驚いた。
せっかく魔術の先生になったのだから自分の知っていることをあれこれ教えようとしたのに、どうも彼はピンときていない様子だった。だから尋ねたところ、なんと彼にはそもそも魔術師の適性がないのだそうだ。
人は生まれたときに、魔力と『祝福印』を授かる。魔力が一定以上あると魔術を使用して、生活に役立てたり軍に加わって国のために戦ったりすることができる。また各国には魔術師の部隊があり、ここメルデ帝国だと帝国魔術師団に入るのが皆の憧れだった。
「そんな……どうしよう。私、魔力を持たない人にはうまく説明できないわ」
せっかくたくさんの魔術書を集めて勉強部屋に持ってきたのに、と頭を抱えるミランダに、シーグが気遣わしげに声をかけた。
「うん、だから僕には、魔術がどんなものかだけ教えてくれればいいんだ。僕は剣術とかが得意なんだけど、宰相閣下がせっかく帝国に来たんだから専門外のこともたくさん学べばいいと言って」
(つまり、基礎教養の一環だったのね)
だから魔術師団長も「なんとかなるから大丈夫」と言っていたのか、とミランダは肩の力を抜いた。
「それじゃあ、魔術の勉強もしつつおしゃべりをしましょうか。シーグは何か、魔術について気になることはある?」
「リドベキアにはあまり魔術師がいないから、僕はそもそも魔術がどんなものかわからない。ミランダはどういうふうに、魔術師になったんだ?」
ミランダに促されたシーグは、早速質問をしてくれた。
初対面では無表情で無口だった彼だが、数日もすれば普通に会話ができるようになった。だが魔術師団長曰く、大人に対してはまだ口数が少ないらしく、ミランダのような若者をそばに置いて正解だったと思われているようだ。
「私は、帝国の隅っこにある小さな町で生まれたの。小さな町だけど、そこにある教会にはちゃんと魔術測定用の部屋もあったわ」
帝国も王国もほぼ同じだが、大規模な国だと主要な町には魔力測定を行うための機関が設けられている。その多くは教会の神官が測定の担当しており、子どもが生まれたら魔力と『祝福印』を調べるために測定機関に連れて行かれることになっている。
「そこで私は、平均以上の魔力と【氷】の『祝福印』があることがわかったの……あっ、シーグも『祝福印』はわかるわよね?」
「……。……うん。僕の『祝福印』は、【炎】だった」
シーグは、ゆっくりとうなずいた。
たいていの新生児が魔力と同時に測定される『祝福印』は、神によって与えられた属性のようなものだ。といってもこれが何か大きな影響を与えることはなく、むしろ血縁関係の確定のために使われることが多い。
というのも、『祝福印』はほぼ例外なく遺伝するのだ。両親ともに『祝福印』が【炎】だったら、子どもも絶対に【炎】。【風】と【氷】だったら、どちらかを半分の確率で受け継ぐ。
神が気まぐれで与えた印ということだが、これがなんの役に立つのか、ミランダはよくわかっていない。ただなんとなく、同じ【氷】の『祝福印』をもつ人とは仲よくなりやすい気がするという程度だ。
(つまり、『祝福印』は私たちにとってはただのおまけで、自分の『祝福印』が何だったか忘れる人さえいるくらいなのよね)
「ということで、私は子どもの頃から将来魔術師になるのだと志したわ」
「ご家族の方は?」
「私はひとりっ子で、両親は……私が十二歳の頃に事故で死んでしまった。でも両親は私のために財産を使うようにと言ってくれて、だから私はそのお金で帝都にある魔道学院に入学したの。そうして今年とうとう魔術師団入団試験に合格した、って感じよ」
ミランダが簡単に身の上話をすると、それを聞いていたシーグがふいに悲しそうな顔になった。
「……そうか。ミランダは、僕よりも小さい頃にご両親を亡くしたんだな。悲しかっただろう?」
「う、うん。最初の数年はたまにぽろっと涙が出たりしたけれど、もう今はだいぶ前を向けるようになったわ」
両親は馬車の事故に遭ったのだが即死ではなくて、ミランダが必死に看病した。その甲斐なく神のもとに行ってしまったが、看病中にたくさん話をして、別れを惜しんで、愛している、大好き、という言葉を交わせたので、それだけで未練は少しだけ減らせられた。
二人とも即死で最期の話もできなかったら、それこそミランダは両親の急死をずっと引きずっていただろう。
それに、魔道学院でも楽しい日々を送ることができた。ミランダは両親の遺産を絶対に無駄にするまいと必死に勉強して、去年首席で卒業できた。魔術師団の入団試験を受ける際にも、魔道学院で首席だったというのはとても有利なカードになったようだった。
そう語ると、シーグは悲しそうな顔をしつつもしっかりうなずいた。
「そうか。ミランダのご両親は、とてもいい方々だったんだな」
「ええ。シーグは……っと、ごめんなさい!」
「ううん、気にしないで」
つい人様の事情に首を突っ込むような発言をしてしまったので謝るが、シーグは穏やかに微笑んだ。
彼は、『宰相の遠縁』ということ以外何も教えてくれない。教えたくないそうだから聞かないように、と魔術師団長からも言われているのだ。
ミランダの失言もシーグはやんわりと流し、ミランダが用意した魔術書をぺらぺら捲った。
「ミランダの話を聞けて、よかったよ。……ねえ、これ、読んでみたいな。ちょっと難しそうだから、説明してほしいんだけど」
「あ、うん、もちろんよ!」
シーグはミランダよりよほど大人で、話題をそれとなく変えてくれた。
彼の正面に座っていたミランダは隣に移動して、難しい古代語で書かれた魔術書を一緒に読めるようにテーブルに置いた。
「これは、すごい速度で空を飛ぶときのポイントについて書かれているのよ」
「へえ……魔術師が空を飛ぶところは見たことがあるけど、ミランダも飛べるの?」
「ええ。……でも私はまだコントロール力がいまいちで、ちょっと気を抜いたら木の幹に正面激突してしまいそうなのよ。この前も、うっかり気を抜いてしまったからお城の池に落ちてしまって……」
「……ふふ」
「あっ、笑ったな! 読んであげないわよ!」
「ふふ、ごめん。もう笑わないから、読んでくれる?」
「仕方ないわねぇ」
ミランダは怒ったふりを一瞬で引っ込め、うねうねした古代語を読み上げ始めた。
……あまりにも集中して読んでいるので、彼女は隣にいるシーグが魔術書ではなく、自分のほうをじっと見つめていることには気づかなかった。




