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恋は盲目

「はぁ……はぁ……虚凛さんは、どこにいるんだ?」


 斎理は、虚凛さんを探して通学路を駆け抜けていく。胸の奥で心臓が暴れ、呼吸は浅く速くなる。それでも、僕は止まることなんて出来やしない。

 足音がアスファルトを叩くたび、脈打つ鼓動が耳の奥で反響する。夕方の空は茜色に染まり、街路樹の影が長く伸びて通学路を縞模様に切り分けていた。その影を踏み越えるたび、胸の奥の焦りがさらに加速する。


 ――間に合わなければ、きっと……


 今の虚凛さんの状態で、明日を迎えてしまうと、ろくなことにならないだろう。今まで、虚凛さんの異常性に気付いていなかった人たちでさえ、それを強制的に理解してしまい、本格的に孤立してしまう。そうなると、いつか虚凛さんが自分の感情を手に入れたとしても、孤立してしまう。そうなる前に、止めないといけない。

 虚凛さんの模倣を止められるのかって聞かれると、その保証は無いし、自身なんて一欠けらも無い。

 それでも、足は止まらなかった。成功するかどうかなんて関係ない、僕は僕がすべきことをやるだけなのだから。


 ――頼むから、間に合ってくれ!


 視界の端を、下校中の生徒や買い物帰りの人々が通り過ぎて、夕陽はさらに傾いて、街路樹の影は濃く長く伸び、通学路を覆い尽くそうとしている。

 そんな時、見覚えのある人物を見つけた。


「水城さん……」


 斎理は、水城さんに声を掛けて後悔した。水城さんは、虚凛さんのことを嫌っていて、話題に出すだけでも許してくれないかもしれない。

 だけど、帰って来た言葉は予想外の物だった。


「ん?ああ、あの馬鹿か。何でここにいるの?アレは、そこの道を曲がった先にある公園にいるよ」


 思わず足が止まった。予想外すぎる答えに、息を整えることすら忘れてしまう。水城さんは、特に感情を込めるでもなく、ただ事実を告げただけのような口調だった。

 何で、虚凛さんの居場所を知っているのだろうか?何で、それを僕に教えてくれたのだろうか? 

 疑問に思ったことは、たくさんある。だけど、今はそれどころではない。


「ありがとう」


 その一言だけを告げて、斎理はまた走り出す。胸の奥で心臓が暴れ、呼吸はもう限界に近い。それでも、足は止まらない。

 そして、道を曲がった先にある公園に辿り着いた。虚凛さんは、そこのベンチに座っている。


「はぁ……はぁ……虚凛さん、隣に座ってもいい?」


 虚凛さんは、わずかにこちらへ顔を向ける。その瞳は感情を読み取りづらく、だけど拒絶の色はなかった。数秒の沈黙の後、彼女は小さく視線を逸らし、前を向いたまま答える。


「いいけど……」


 僕は、虚凛さんの返事に安堵しながら、そっとベンチの隣に腰を下ろした。 呼吸はまだ荒く、胸の鼓動は落ち着かない。だけど、彼女が拒まなかったことだけで、今は十分だ。

 夕焼けの光が、二人の間に長く伸びた影を作っていた。茜色の空が、群青へと変わっていき、街のざわめきが遠のいていく。


「ねぇ、今は僕じゃないよね。もう僕の模倣をしなくていいの?」


 一瞬、虚凛さんは驚くように目を見開いた。しかし、すぐにその瞳の奥から驚きの色が静かに消えていった。

代わりに、どこか諦めにも似た、けれど少しだけ柔らかい光が宿る。


「……気づいてたんだ」


  虚凛さんは、わずかに口元を歪めて笑った。それは皮肉でも挑発でもなく、自分の中の秘密を見透かされた時の、少し照れたような笑みだった。


「模倣されている側から見れば、結構わかりやすいよ。でも、今は本来の虚凛さんってわけでは無いんだよね……もしかして、昔の水城さん?」

「うん、正解、よくわかったね。それに、斎理くんが澪ちゃんと会ったことがあるなんて、知らなかったよ」

「一回だけね、校外学習の日に話しかけられて、虚凛さんの中学時代のことを聞いたんだ」


 僕は何も隠さず、正直に話した。 ここで嘘をつく理由なんてないし、ついたとしても、すぐにばれるだろう。

 虚凛さんは、その言葉を聞くと、再び目を見開いた。 その表情には、驚きと、ほんの少しの戸惑いが混じっている。


「……その時には、もう模倣のことを知っていたのに、どうして私と関わろうとしたの?」

「質問を質問で返すことになるけど、何で僕が今まで虚凛さんに関わってきたと思う?」

 虚凛さんは、わずかに眉を寄せた。 その瞳は、僕の言葉の裏を探るように、じっとこちらを見つめている。 夕暮れの光がその瞳に反射し、わずかに揺らめいた。


「……少しも分からない。視界まで完璧に模倣しているはずなのに」


 虚凛さんは、予想外のことを口にした。

『視界まで完璧に模倣しているはずなのに』

 彼女がその言葉をいうことが出来たのは、僕の感情を色として見る力に気付いているからであり、そこまで彼女の模倣の精度は上昇したことを示している。

 でも、思ったよりは驚いていなかった。どうやら、心の何処かでは、虚凛さんはそのことに気付くと思っていたらしい。


「気付いていたんだ……なら、自分がどう見えているか分かる?」

「うん……みんなと違って、わたしは無色なんだよね。この世界は、こんなにも色鮮やかなのに、わたしの場所は欠落してる……わたしって、本当に異物なんだね」


 その時の虚凛さんの表情は、どこか諦めているように見えた。もう、彼女の心は限界なのかもしれない。普通に憧れ、普通になるために自分を殺して他人のことを模倣し続けていた、そんな生き方では、精神が疲労するのも仕方のないことなのだろう。

 でも、まだ諦めてほしくない。僕にとって、彼女が救いであったように、僕が彼女にとって救いになる。


「僕は、そう思わないけどね」


 虚凛さんが、わずかにまばたきをした。 その瞳に、ほんの一瞬だけ揺らぎが走る。


「……どうして?」


 声は小さく、だけど確かに僕の言葉を求めていた。


「虚凛さんの心ね。何もないんじゃなくて、何も書かれていないんだよ。例えるならば、真っ白なキャンバスみたいなもの。だから、これから何を描くかは、全部虚凛さんが決められる」


 虚凛さんは、わずかに視線を落とし、髪で作られた影が、その表情を覆い隠す。僕の位置からは、虚凛さんの表情を見ることは出来ず、何を考えて何を思っているのか分からない。

「でも、わたしは出来ないよ。わたしは普通じゃない、普通になれない。そもそも、わたしは他人とずれているんだよ。わたしは、斎理くんとは違って、他人の感情を理解できない。そんな化け物が普通であるとは言えないでしょ」


 虚凛さんは、自分のことを否定し、傷つけていく。確かに、虚凛さんは他人の感情を理解することが苦手だ。でもね……。


「虚凛さんは、勘違いしているよ。僕はね、他人の感情を正確に理解できているってわけじゃない。 確かに、感情を色として見ることはできるけど、その色に対する解釈は人それぞれだ。 同じ色でも、僕と虚凛さんでは意味が違うかもしれない」


 一度、そこで言葉を切り、虚凛さんの目をじっと見つめる。


「他人の心ってのは、完全に理解できるものじゃない。 僕と虚凛さんの違いは、感情を理解するのが得意か苦手かの差であって、できるかできないかじゃない」


 そう、他人の心ってのは、そういう物なのだ。完全に理解したつもりになっていても、間違えているなんてことは、ざらにある。

 僕だって、色が見えてたとしても、何でそんな感情を抱いたのかは分からないし、思考を読めるわけでもない。そもそも、解釈を間違える時だってある。

 それでも、僕たちは他人と関わらずして生きていけない生き物なのだ。見えないところだってたくさんある。でも、僕たちは、それに何度も理解しようと寄り添い、歩み続けなければならない。


 恋は盲目って、こういうことを言うのかな? 


「だからね、虚凛さんは化け物なんかじゃないよ。ちょっとだけ、自分の気持ちも、他人の気持ちも、理解することが苦手な、普通の女の子だ」


 虚凛さんは、ぽかんとした表情で、僕を見つめた。


「……そんなふうに言われたの、初めて」


  小さく漏らした声は、驚きと戸惑い、それに加えて、ほんの小さな喜びのようなものが含まれていた。


「だからね、僕は虚凛さんを手伝うって決めたんだ。僕は、他人の感情を理解するのがちょっとだけ得意だから、ちょうどいいでしょ」


 虚凛さんは、しばらく黙ったまま僕を見ていた。その瞳には、涙のようなものが浮かんでいる。


「ほんとに?」

「うん」

「わたしのことを置いていかない?」

「もちろん」

「わたしもみんなと同じようになれるのかな?」

「当然。僕が保証する」


 虚凛さんは、唇をきゅっと結んだまま視線を落とした。 ぽつ、ぽつ、と透明な雫が地面に落ちていく。


「あれ……なんだろう、これ」


 自分の頬をそっと指先でなぞり、濡れた感触に困惑した表情を浮かべる。だけど、その雫は止まることなく次々と零れ落ちた。


「それは……涙って言うんだよ」


 僕がそう告げると、虚凛さんはまるで初めてその言葉を聞いたかのように、何度も瞬きを繰り返した。


「……涙……」


 小さく呟いた声には、驚きと戸惑い、そしてほんのわずかな温もりが混じっていた。


「ほら、虚凛さんだって、ちゃんと感情があるんだ」


 その一言に、虚凛さんはわずかに目を見開く。


「そうだったんだ……わたしにも、ちゃんと……あったんだ」


 虚凛さんは、泣きながら笑っていた。その姿は、とても美しく、しっかりと喜びの色が浮かんでいる。


「ありがとう、斎理くん」


 その声は、涙で濡れているのに、不思議と温かかった。

 僕は、そっと微笑んで答える。


「礼なんていらないよ。僕は、ただ虚凛さんと一緒にいたいだけだから」


 僕は、この目の力に、今日この時ほど感謝したことは無い。だって、目の前の少女を救えて、こんな景色が見れたのだから。

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