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先生

「ねぇ、本当に先生に手伝ってもらうの?」


 斎理は先生に手伝ってもらうことを嫌がっていたが、それでも紡に無理やり腕を引っ張られていたせいで、職員室の前まで来てしまった。職員室の中からは書類をめくる音や、誰かが電話で話す声が聞こえる。日常の音だ。けれど、今の斎理にはその扉の向こうがとても恐ろしく感じてしまっていた。


 もし、変なことを言っていつと思われたらどうしよう。虚凛さんの模倣のことを信じてもらえたのは、紡が幼稚園の時からの親友だったからであり、出会ってから一か月程度しかたっていない鷹田先生が僕の言葉を信じ得くれるとは思えない。

 なのに、紡はそんなことになるとは少しも思っていない様子であり、何のためらいも無くドアを開けようとしていた。


「はぁ、人間不信になるのも分かるけど、少しくらいは俺や親以外を信用したら。鷹田先生なら生徒に向き合ってくれるって、色が見える斎理ならわかっているだろ」


 そんな斎理の様子を見て、紡が呆れたように肩をすくめた。確かに、先生の色は優しく、暖かい色であり、どんなことであっても生徒と向き合ってくれることが伝わってくるが、それでも今までの経験で他人のことをそこまで信用することが出来ない。

 そうして、ドアの前で足踏みをしていると、紡が勢い良くドア開けた。


「え?」


 心の準備ができていないのに、職員室のドアを開けられてしまったことに目を丸くする。だけど、こうなってしまったら、もう後戻りは出来やしない。


「失礼します。二年三組、三枝紡と淡河斎理です。鷹田先生はいらっしゃいますか?」


 紡の声が職員室に響いた瞬間、数人の先生たちが顔を上げた。書類をめくる手が止まり、電話の声が少し遠ざかる。何人かの先生が負の色を纏い始め、その空気に、斎理は思わず足をすくませそうになる。

 しかし、紡はそんなことを気にせずに、斎理の手を引っ張って職員室の中に入って行く。それは、いつもと同じだ。足を止めてしまった時には、紡に手を引いてもらう。だけど、そんな自分からは脱却しなけらばならない。


 斎理は覚悟を決めて、自分の意志で一歩踏み出し、紡の横を歩いていく。案外、これは初めてのことかもしれない。いつも守られてばっかりだった僕が、紡の横を歩こうとするのは。


 「三枝くん、淡河くん、どうしたのですか?取り敢えず、こちらに来てください」


 二人が相談しに来たことに気が付いた鷹田先生が、心配そうな色を纏いながら呼び掛けてくる。その色を見るだけで伝わってくる――鷹田先生は僕の相談をしっかり聞いてくれるということが。

 だから、勇気を出して口を開いた。この先生なら僕の言ったことを信じってくれるし、真摯に向き合ってくれるだろう。それでも、怖くないと言えば嘘になるが、僕の願いのためにはここで何も言わないなんてことは出来ない。


「先生、相談したいことがあるので、少し時間を貰っていいですか?」


 鷹田先生は、僕の言葉にすぐに頷いた。先生の色には嫌な物が一切なく、優しさと誠実さがにじんでいた。


「もちろん。今は時間があるので、落ち着いて話しましょう」


 先生の机の上にはたくさんのプリントがあり、とても時間があるようには見えなかったが、それでも生徒の相談に付き合ってくれるらしい。やはり、この先生は生徒と向き合ってくれる良い先生だ。だから、少し安心した。


「虚凛さんのことなんですけど、彼女は他人の模倣をして生きているんです。そこに自分の意志や感情なんて物は無くて、他人の物を借りているだけ。だから、僕は虚凛さんに自分自身の感情を手に入れてほしくて、それを先生に協力してもらうためにここに来ました」


 鷹田先生は僕の言葉を静かに受け止め、少しだけ目を伏せて考えるような仕草を見せた。その間も、先生が暗い色を身に纏うことは無く、むしろその色は考えれば考えるほど暖かい色に変化していく。


 斎理はそのことに対して驚いて目を丸くした。僕が言った言葉は到底信じてもらえるような物ではなく、聞く人によっては虚凛さんのことを侮辱しているように受け止められる可能性があるのに、何で色が暖かくなっていくのか。


「分かりました。まずはそう思った切っ掛けから話してください」


 しばらくの時間がたった後、やっと鷹田先生が二人の方を見て口を開いた。その目には、斎理が言った言葉を疑っているようには見えず、むしろ心の底から信用しているように思えた。それほどまでに、鷹田先生は真っすぐと二人のことを見ていて、先生としては理想的な人物のように思わせて来る。

 そのことに斎理は驚き、最初に口に出した言葉は虚凛さんのものでは無く、先生の態度についての物だった。


「何で……信じてくれるんですか……?」


 その言葉を聞くと、今度は鷹田先生が目を丸くして答えた。


「そんなの当然でしょう。生徒の言うことを否定する先生なんて、先生として失格ですから。まぁ、この理由では納得できないのなら、今日の数学の授業のプリントということにしておいてください」

「あ」


 そう言えば、虚凛さんと回答が全く同じだったプリントは先生も見ているんだった。それなら、信用してもらえたことに納得できる。ただ、そんなプリントが無かったとしても、この先生なら僕の言ったことを信じてくれるような気がするけど。

 だけど、これで先生に協力してもらえる。それならば、虚凛さんが自分自身の感情を得ることが出来るかもしれない。そのためには、まずは質問に答えないと。


「最初は、校外学習の時です。あの時に、僕が言おうとした言葉を一言一句間違えずに同じタイミングで言われたんです。それからは、癖とかがどんどん似てきて、しまいにはあの数学のプリントのようなことが起きたんです」


 鷹田先生は斎理の言葉を聞きながら、静かに頷いていた。僕の言葉を一言一句聞き逃さないように真剣で、しっかり考えこんでいる。もしかしたら、先生ならいい案を思いつくかもしれない。ただでさえ、僕たちよりも長く生きて経験豊富なのに、僕たちと同じくらい真剣に考えてくれるのなら……。


「なるほど、それほどまでに一致しているのなら、模倣と言っても差支えはありませんね。これは、かなり難しい問題で生半可な気持ちで関わってはいけない物ですが、担任として協力しましょう」


 僕は、鷹田先生の言葉を聞いて、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。それほどまでに、先生は真剣に考えてくれていて、暖かい色をしていたのだ。


「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」


 鷹田先生はその言葉に、静かに微笑みを返した。その表情は見せかけではない、確かな決意と優しさが込められており、斎理の視界に淡い橙と柔らかな金色として滲んでいた。


「まずは、これからの方針を決めましょうか。他人の模倣をして生きている――これを改善するには、他人の考え方ではなく、自分自身の考えを使わせることが重要です。そのために、私は今度の道徳の授業で、自分自身で考える必要がある問題を出せるよう職員会議で提案してみます。もちろん、授業だけで劇的な変化が起きるとは限りませんが、少しでも自分の考えを使えるようになるだけで十分な前進となるでしょう」


 斎理は、先生の言葉を聞きながら、静かに頷いた。先生は、虚凛さんのことをしっかりと考えてくれていて、すぐに行動してくれる。ただ……その程度のことで、虚凛さんが自分自身の意志を手に入れることが出来るのかな。

 その疑念は、斎理の胸の奥に静かに沈んでいた。あの模倣を実感している者として、先生の方針があまりいい物とは思えない。ただ、やらないよりかはやった方がいいに決まっているし、これが思い過ごしの可能性だってある。だから、この方針には従わないと……。


「そして、授業までは貴方達二人に、出来るだけ白峰さんと会話をしてもらいたいです。他人の模倣には限度がありますから、会話の中で自分自身の意志が必要になる場面もあるでしょう。白峰さんと会話することは苦痛に感じるかもしれませんが、彼女にとっては大いに意味を持つはずです。私の方でも授業以外で関わるつもりですが、この方針でいいですか?無理はしなくていいので、正直に言ってください」


 鷹田先生が心配そうに聞いてくる。やっぱり、先生は理解してくれるのだろう。他人に模倣されていることはとても苦しいことであり、しまいには耐えられなくなって心が壊れてしまうということを。

 でも、虚凛さんを救うためならば、僕はずっと耐えてみせる。


「大丈夫です。僕は、絶対に折れません」


 斎理の声は、静かでありながら、確かな決意に満ちていた。その言葉に、鷹田先生は一瞬だけ目を伏せ、そして再び斎理を見つめた。それは、自身の力不足に対する悔しさを飲み込んでいるように見え、瞳には斎理に対する敬意がにじんでいた。きっと、先生は生徒に頼ってしまっていることに罪悪感を感じているのだろう。

 先生は生きるのが下手なのかな……そんなこと、気にしなくていいのに。


「……ありがとうございます。貴方達のような生徒がいてくれることが、本当に助けになります。それでは、もう少しで次の授業が始まってしまうので、教室の戻ってください」


 ふと時計の方を見る。時計の長針は八の位置にあり、次の授業が始まるまで残り五分しかなかった。今から急いで教室に戻れば、何とか授業に間にあることが出来るが、少しでも手間取ってしまうと遅刻してしまうかもしれない。


「あっ、ありがとうございました!紡、急ぐよ。授業に遅刻してしまうかもしれない!」

「お、おい、ちょっと待てよ!」


 急いで教室を出る。後ろから紡が僕のことを呼んでいるような気がするが、そんな声は聞こえない。廊下には焦っている二人の足音が響き、それはどんどん職員室から離れていく。


「ふふっ」


 その場に残された鷹田先生は、少し微笑んでいた。まるで、自身の高校時代を懐かしむように。



 この三人は全員あることを理解していなかった。この世に絶対というものは存在しないし、大人でも耐えられないものは存在する――そして、善意が人を傷つけるということも。

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