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一章:帝国の陰謀と王国の危機

修正中のため急遽内容変更する可能性あり

エルグレイン城は、灰色と白の石灰岩で築かれた堂々たる塔と分厚い城壁に囲まれ、幾世紀もの王国の歴史を静かに見守ってきた。高くそびえる主塔の頂上には、青と金で彩られた王家の旗が風にはためき、訪れる者に威厳と栄華を印象付ける。城の周りを取り囲む広大な庭園には、四季折々の花々が計算された美しさで配置され、季節ごとに異なる色彩で城を彩っていた。


見上げれば、穏やかな青空が広がり、わずかに浮かぶ雲が緩やかに形を変えていく。春の柔らかな風が、古樫の葉をさらさらと揺らし、樹上では色とりどりの小鳥たちが朝の歌を競演させていた。遠くに見える青々とした山々の稜線と、城下を悠々と流れるルージュ川のせせらぎが、この地の平和と豊かさを象徴するかのようだった。


水面に映る太陽の光が揺らめき、漁師たちの小舟が点々と浮かぶ。川沿いには市場が広がり、活気ある声が響き渡る。商人たちは色とりどりの商品を並べ、農民たちは朝摘みの野菜や果物を籠に盛って売り歩く。子供たちは石畳の道を駆け回り、犬が吠え、鐘の音が時を告げる。


エルグレインの王国は、長きにわたる平和と繁栄の時代を享受していた。アルフレッド王の賢明な統治の下、農民たちは豊かな土地で作物を育て、商人たちは活気ある取引で富を築き、職人たちは技を競い合い、王と貴族たちはその繁栄を守り導いてきた。


しかし、どんな平和にも終わりはやってくる——その予兆は、すでに空気の中に微かに漂い始めていた。賢者たちが星の動きに不吉な兆候を見出し、老人たちは鳥の鳴き声に変化を感じ、予言者たちは悪夢に悩まされるようになっていた。そして、王国の辺境では、黒狼団と名乗る集団による略奪行為が、ひそかに頻度を増していたのだ。


そんな不安の影がちらつく王国の中心地でも、子供たちの無邪気な遊びは続いていた。


そんな庭園の石畳で囲まれた一角で、8歳になったテオドールは、手作りの木製の剣を片手に素振りの練習に熱中していた。彼の姿勢は父から教わった通りに背筋がしっかりと伸び、足の位置も安定していた。剣の動きには子供らしい力強さと同時に、大人も驚かせるような柔軟な軽快さがあった。


「一、二、三...」彼は小さく息を吐きながら数え、父から教わった型通りに剣を振り抜いた。


その動作の一つ一つには、生まれながらの才能と、毎日の厳しい練習によって培われた技術が垣間見えた。テオドールの父、マーク・ワーグナー卿は、王国でも指折りの剣士として名を馳せており、その血を引く息子も自然と剣の道へと導かれていたのだ。


彼の黒髪は汗で少し濡れ、額にかかりながらも、その青い瞳は真剣さと集中力に満ちていた。瞳の色は母エレナ譲りだが、顔立ちは父に似て整っており、小さな体には既に筋肉が付き始めていた。テオドールは一つ一つの動きを丁寧に、時には呟きながら確認し、父から教わった剣術の基礎を体に染み込ませようと努力していた。


「踏み込みが浅い」彼は自分を戒めるように呟き、再び同じ動きを繰り返した。今度は一歩踏み込み、腰を落として、全身の力を剣先に集中させる。


その姿を見つめる周囲の従者たちの目には、将来の戦士としての資質が確かに映っていた。苦労なく剣を振り回す貴族の子どもたちは多いが、テオドールの持つ剣の動きには、単なる子供の遊びを超えた何かがあり、それが周囲の期待を自然と集めていた。


「あの子は特別だ」と、兵士長のヘクターが小声で言った。彼は四十を過ぎた古参の兵士で、マーク卿に長く仕えてきた忠臣だった。「あの集中力と基礎の正確さは、同年代の子供とは比べものにならない」


隣に立っていた若い従者のアレクは頷いた。「マーク卿の息子ですから、当然かもしれませんね。血は争えませんよ」


「いや」ヘクターは首を振った。「血だけではない。あの子には何か...特別なものがある」


彼の言葉には不思議な重みがあり、それを聞いたアレクは改めてテオドールを見つめた。確かに、木製の剣を振るう少年の目には、同年代の子供には見られない決意と厳しさが宿っていた。まるで、将来直面するであろう試練を、すでに予感しているかのように。


少し離れた場所、バラの咲き誇るアーチのそばでは、リディア姫が興味津々にテオドールの剣さばきを見つめていた。彼女は9歳、テオドールよりも少し年上だが、その知的な瞳と落ち着いた物腰は年齢以上の成熟さを感じさせた。


リディア姫の存在は、テオドールの人生において特別なものとなる運命にあった。彼女はアルフレッド王の一人娘で、王国の宝として大切に育てられてきた。絹のような金髪が風に揺れ、青い刺繍の入った淡い緑色のドレスが、彼女の優美な立ち振る舞いをより引き立てていた。彼女の柔らかな唇は控えめな微笑みを浮かべ、長い睫毛の下から覗く瞳は、テオドールの一挙手一投足を逃さずに捉えていた。


リディア姫は普段、宮廷での礼儀作法や文学、音楽などの淑女としての教育に忙しく、こうして外で自由に過ごす時間は貴重だった。彼女はテオドールの一挙手一投足をじっと見つめ、まるで彼の剣技に吸い込まれているかのように、その目はほとんど瞬きすらしなかった。


「姫様、あまり長く立っていると疲れますよ」付き添いの侍女オリヴィアが優しく声をかけた。「そろそろ休憩なさいませんか?」


リディア姫は小さく首を振り、「まだ大丈夫。テオドールの練習が見たいの」と答えた。その声には子供らしい好奇心と、何かを見極めようとする意志が混ざっていた。


テオドールは、汗で額を濡らしながらも集中して剣を振るっていたが、ふとリディア姫の視線に気付いた。彼女が見ていることに気づいた瞬間、彼の動きは少し緊張し、しかしすぐに決意の表情へと変わった。彼は緊張で一瞬息を飲み、少しの間止まった。


「リディア姫...」彼は小さく呟き、彼女の存在に気づいたことを示した。


リディア姫は微笑み、小さく手を振った。「続けて、テオドール。邪魔するつもりはないわ」


テオドールはその言葉に勇気づけられたように見え、深呼吸をしながら、彼は剣を高々と振り上げ、父から教わった最も難しい型に挑戦した。それは「旋風の剣」と呼ばれる型で、剣を振り下ろしながら体を回転させ、あらゆる方向からの攻撃に対応する複雑な動きだった。


「ヤー!」短い掛け声と共に、彼は剣を一気に振り下ろし、そのまま流れるように旋回して剣を空気の中で舞わせた。その動きは初心者とは思えないほど滑らかで、子供の体から繰り出されるとは思えないほどの気品さえ感じさせた。


リディア姫はその見事な演舞に思わず目を見開き、自然と両手で拍手が湧き上がった。「すごいわ、テオドール!」彼女は歓声を上げ、純粋な喜びと驚きを隠さずに拍手を続けた。「あなたの剣さばき、本当に見事ね。あんなに速くて、力強い動き、私もできるかしら?」彼女の声には純粋な賞賛と、自分もやってみたいという好奇心が混ざり合っていた。


テオドールは誇らしげに胸を張り、汗で濡れた前髪を手で払いながら振り返った。普段は真面目で控えめな彼だったが、この瞬間、彼の表情には素直な喜びと少年らしい誇らしさが溢れていた。


「どうだい?僕の練習の成果だよ。毎日、朝と夕方にやってるんだ。」彼は少し照れくさそうにしながらも、自分の努力を語った。そして、突然思いついたように付け加えた。「姫もやってみる?意外と難しいけど、面白いよ。」


リディア姫は少し驚いたような表情を見せた。淑女としての教育を受けている彼女にとって、剣術は全く縁のないものだったからだ。王宮の厳格な教育方針では、王女が武芸に触れることはほとんどなかった。しかし、彼女の青い瞳にはすぐに興味の光が灯り、新しいことに挑戦する喜びを隠せなかった。


「やってみたいわ!」彼女は躊躇いなく答え、テオドールの方へ歩み寄った。「でも、私、全然わからないから、教えてくれる?」


オリヴィアは驚きの表情を見せ、「姫様、それは...」と制止しようとしたが、リディア姫の決意の表情を見て言葉を飲み込んだ。


テオドールは嬉しそうに笑顔を浮かべ、彼の木製の剣をリディア姫に差し出した。「もちろん!最初は難しいけど、コツを掴めばすぐだよ。」


リディア姫は少し緊張した表情を浮かべながらも、優雅な仕草で木製の剣を受け取った。その重さに一瞬驚いたように目を見開き、両手で剣を持ち上げるのに少し苦労した。「これ、意外と重いのね…」彼女は少し困惑した表情を浮かべたが、決して諦めずに剣を慎重に構えようとした。


剣の重みに少しバランスを崩しかけた彼女だったが、すぐに体勢を立て直し、テオドールの真似をして足を肩幅に開いた。彼女の動きはまだぎこちなかったが、その真剣な姿勢と学ぼうという意志の強さは明らかだった。彼女は舌を少し出して集中しながら、一生懸命に剣を前に突き出した。


テオドールはそんな彼女の様子を見守りながら、「初めてにしては、いい感じだよ。ちょっとコツを教えてあげようか?」と言って彼女に近づいた。彼は彼女の腕の位置を少し修正し、足の置き方を教えるなど、父から教わったことを一つ一つ丁寧に教え始めた。


「剣は体の延長なんだ。重いけど、怖がらなくていいよ。力任せじゃなくて、体全体で動かすんだ。」テオドールの説明は子供らしい言葉ながらも、実践的で分かりやすかった。彼はリディア姫の横に立ち、時には自分で動きを見せながら、剣の振り方やステップの踏み方を教えた。


彼の教え方は父親譲りの正確さと丁寧さがあり、初心者でも理解しやすい言葉で説明された。それは、マーク卿が新兵たちに剣術を教える姿を何度も見てきた結果だった。


リディア姫はその言葉に真剣に耳を傾け、テオドールのアドバイスを一言一句逃さないように集中した。彼女は何度も同じ動きを繰り返し、徐々に体の使い方を覚えていった。最初は恐る恐るだった剣の動きも、少しずつ滑らかになり、自信が生まれ始めていた。


「足をもう少し広げて。そう、いいよ。」テオドールは励ますように言った。「次は、この剣を持ったまま、前に一歩踏み出してみて」


リディア姫は指示に従い、慎重に一歩前に踏み出した。その動きは少しぎこちなかったが、彼女の顔は真剣そのものだった。


「よし、今度は剣を前に突き出して。肘を伸ばして、でも力を入れすぎないように」


リディア姫はその言葉通りに動き、木製の剣を前方に突き出した。動きが連動し始め、少しずつ彼女のスタイルが形になっていった。


「難しいけれど…面白いわ!」リディア姫は少し息を切らしながらも、楽しさに目を輝かせて言った。彼女の剣さばきは、最初に比べると格段に滑らかになっており、その成長の早さにテオドールも感心していた。彼女の金髪が動きに合わせて揺れ、頬は運動で少し紅潮していたが、その表情には純粋な喜びが溢れていた。


「すごいよ、リディア姫!もう僕に追いつきそうだね。」テオドールは心からの賞賛を込めて言った。彼の言葉には冗談めいた調子があったが、同時にリディア姫の才能を本気で認める感情もこもっていた。


「嘘ばっかり!あなたの足元にも及ばないわ。」リディア姫は照れくさそうに笑いながらも、テオドールの言葉に内心で喜びを感じていた。彼女は再び剣を構え、もう一度動きを試そうとした。


二人が練習に夢中になっている様子を、庭園の片隅からヘクターとアレクが見守っていた。


「あの二人、実に良いコンビですね」アレクが小声で言った。「将来、どんな関係になるのでしょうか」


ヘクターは深く頷いた。「王女と貴族の息子...そこには常に政治が絡む。だが、あの二人には特別な絆があるようだ」


「王国の将来を担う二人ですね」アレクは感慨深げに言った。


その時、庭園の奥から柔らかな声が響いた。「そろそろお茶の時間ですよ、お二人とも。」王妃エリゼが現れ、優しい笑顔で二人を招いた。彼女は白と金の刺繍が施された上品なドレスをまとい、その姿から品位と母性的な温かさが感じられた。


エリゼ王妃の長い金髪は、リディア姫と同じ色合いを持ち、まるで成長した姿を見ているかのような類似性があった。彼女の優しい笑顔は二人の子供たちの遊びを温かく見守り、その表情からは彼らへの愛情が滲み出ていた。王妃の後ろには二人の侍女が控え、彼女の一挙手一投足に合わせて動いていた。


「お茶の時間か…休憩しようか、リディア姫。」テオドールは汗を拭いながら、リディア姫から剣を受け取った。彼は剣を脇に置き、礼儀正しく王妃に会釈してから、リディア姫と共に庭園の端にあるテーブルに向かった。


そこには、エリゼ王妃が用意したお茶のセットと、焼きたての甘い香りを漂わせるクッキーやケーキがエレガントに並べられていた。白いレースのテーブルクロスの上に置かれた銀のティーポットからは、薫り高い紅茶の湯気が立ち上っていた。小さなケーキはそれぞれに異なる色と形をしており、職人の技巧が感じられる逸品だった。


テーブルの周りには数脚の椅子が置かれ、白い大理石の手すりに囲まれたテラスからは、エルグレイン城の全景と、その向こうに広がる緑豊かな平原が見渡せた。春の陽光が庭園全体を優しく照らし、テラスの大理石の欄干に沿って植えられたツタの葉が風に揺れていた。


リディア姫は優雅な仕草で椅子に腰かけ、マナーに従って膝の上にナプキンを広げた。彼女はお茶を一口飲んでから、満足そうな表情で微笑んだ。「こうして外で飲むお茶は、特別に美味しいわね。花の香りと紅茶の香りが混ざって、素敵。」


「うん、風も気持ちいいしね。」テオドールも頷きながら、焼き菓子を一口頬張った。その瞬間、彼の顔に子供らしい無邪気な笑顔が広がった。「このクッキー、すごく美味しい!蜂蜜とシナモンの香りがするね。」


王妃エリゼはそんな二人の様子を温かく見守りながら、「料理人のマーサが特別に君たちのために焼いたのよ。喜んでくれて嬉しいわ」と微笑みながら言った。彼女は自らもお茶を一口すすり、その香りを楽しむように目を閉じた。


「マーサのお菓子は本当に美味しいわね」リディア姫は微笑んだ。「母さま、マーサは何から作るの?この香りの秘密は?」


エリゼ王妃は娘の問いに優しく答えた。「マーサはね、遠い東方から取り寄せた特別なスパイスを使っているのよ。それと、城の南の果樹園で取れた蜂蜜を使っているわ」


テオドールは興味深そうに聞き入っていた。彼は料理や食材にも関心があり、特に異国からの珍しいものには好奇心を抱いていた。そんな彼の様子に気づいた王妃は、穏やかに微笑んだ。


「テオドール、もし興味があるなら、今度マーサに台所を案内してもらうといいわ。彼女は話好きだから、きっと色々教えてくれるわよ」


テオドールの目が輝いた。「本当ですか?ありがとうございます、エリゼ王妃様」彼は丁寧にお辞儀をした。


リディア姫は興味津々にテオドールを見つめて尋ねた。「ねえ、テオドール。あなたは将来、どんな戦士になりたいの?」彼女の瞳は純粋な好奇心と期待に満ちていた。陽の光が彼女の金髪を照らし、まるで細い糸で編まれた黄金の冠のように輝いていた。


テオドールは少し考え込むように視線を遠くに向け、しばらくして目を輝かせながら答えた。「僕は…父さんみたいな強くて立派な戦士になりたい。誰かを守れるような、勇敢な戦士に。」彼は食べかけのクッキーを置き、小さな拳を握りしめた。「父さんは、剣の腕前だけじゃなく、人を守る心も強いんだ。僕もそうなりたい。」


その言葉には子供らしい純粋さと、同時に深い敬愛が込められていた。テオドールの表情からは、父マーク卿への限りない尊敬の念が伝わってきた。彼の青い瞳には、遠い未来への夢と希望が映し出されていた。


「父さんは言ってたよ。『真の戦士は、剣を振るう腕の強さではなく、何のために剣を振るうかを知っている者だ』って」テオドールは誇らしげに父の言葉を引用した。「僕も、そんな風に人々を守れる戦士になりたいんだ」


リディア姫はその言葉を聞いて、尊敬の眼差しをテオドールに向けた。彼女の細い指がテーブルの上でそっと絡み合い、「あなたなら、きっとなれるわ。私も、あなたが剣を持って戦う姿を見てみたいもの。きっと素敵な騎士になるわ。」と柔らかな声で言った。


「あなたは?」テオドールは質問を返した。「将来、何になりたいの?」


リディア姫は少し遠くを見るような目になり、「私は...良い女王になりたいわ」と答えた。「父のように、民を愛し、国を導ける王になりたいの」


彼女の言葉には、若さにも関わらず、責任感と使命感が滲んでいた。彼女は生まれたときから、将来の国の統治者としての運命を背負っていたのだ。


エリゼ王妃はそんな二人のやり取りを微笑みながら聞いていたが、子供たちの言葉の奥に、未来を担う宿命を感じ取り、一瞬だけ憂いの色を浮かべた。彼女は子供たちに重くのしかかる宿命を知っていた。特にリディアは、女王となるべく生まれてきた子であり、彼女の選択肢は常に制限されていた。


しかし、すぐにその表情は消え、再び優しい微笑みに戻った。「二人とも、まだまだ遠い未来のことね。今は、こうして平和な時間を楽しみましょう。」


テオドールとリディア姫の会話は自然と未来の夢や希望に広がり、テオドールは騎士団での訓練の様子を想像したり、リディア姫は将来の宮廷舞踏会での出来事を楽しそうに語ったりした。彼らの笑い声と夢見る言葉が、庭園の静けさを心地よく破る中、お互いの関係はさらに深まっていった。


「もし私が女王になったら」リディア姫は夢見るような目で言った。「テオドール、あなたを私の近衛騎士にするわ。そうすれば、いつも側にいられるもの」


テオドールは少し赤面しながらも、真剣な表情でうなずいた。「僕、絶対に強くなって、リディア姫を守るよ。約束する」


エリゼ王妃は二人の誓いを聞きながら、静かに微笑んだ。彼女の心の中には、この純粋な約束が未来にどのような形で実現するのか、あるいは壊れてしまうのか、という不安が渦巻いていた。しかし彼女は、この瞬間だけは、子供たちの夢と希望をそのまま受け止めることにした。


春の日差しが庭園を明るく照らし、鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。この穏やかな一日が、永遠に続くかのように感じられた。しかし、運命の歯車はすでに動き始めていた。


エルグレイン城の中庭には、初夏の穏やかな日差しが降り注ぎ、庭園の緑が眩しいほどに輝いていた。石畳の小道は職人たちの手によって丁寧に手入れが行き届き、両側に咲く花々の色鮮やかさが見る者の目を楽しませていた。薫り高い薔薇、優雅なユリ、凛として佇むアイリスなど、王国の各地から集められた希少な花々が、計算された配置で美しく咲き誇っていた。噴水からは清らかな水が立ち上がり、太陽の光を受けて七色に輝きながら水盤に落ちていく。


しかし、この平和な光景とは裏腹に、城内の空気は日に日に緊張感を増していた。警備の兵士たちは通常より多く配置され、彼らの表情には硬さが見えた。城門の検査も厳しくなり、訪問者は細かく身元を確認されるようになっていた。王宮に出入りする使用人たちも、いつもの陽気な会話を控え、必要最低限の言葉だけを交わすようになっていた。


王国の各地で貴族や裕福な商人を標的とした襲撃事件が頻発し、「貴族狩り」と呼ばれる暴力的な略奪行為が横行していたのだ。最初はエルグレイン王国の辺境地域で発生していたこれらの事件は、徐々に中心部へと迫りつつあった。この事態はもはや単なる犯罪の域を超え、国の根幹を揺るがす政治問題へと発展していた。


中央庭園の一角に設けられた石造りのテーブルには、二人の男が向かい合って座っていた。マーク・ワーグナー卿とアルフレッド・ファークス王である。テーブルの上には地図と報告書が広げられ、ところどころに印がつけられていた。長年の友人であり、政治的同志でもある二人の顔には、共通した憂いの色が浮かんでいた。彼らの周囲には、この緊迫した会談を護るように、王の親衛隊が距離を置いて立っていた。


アルフレッド王は50代半ば、かつては逞しかった体が今は少し丸みを帯び、茶色の髪には灰色が混じっていた。しかし、その鋭い眼差しは若い頃と変わらず、王国を導く知性と決断力を感じさせた。彼は庭の向こうに咲く薔薇を見つめながら、指でテーブルを小刻みに叩き、苦々しい表情を浮かべていた。彼の身にまとう深緑の王服には、金糸で繊細な模様が施され、王冠はなくとも、その存在感は紛れもなく王のものだった。


「先週だけで三つの貴族の館が襲われ、多くの命が失われた。ブロンリー卿一家は全員が惨殺され、館は焼き尽くされたという。」アルフレッド王は地図上のある点を指した。「そしてここ、グリーンウッド伯の領地では、伯爵自身は難を逃れたが、家族は人質に取られた。身代金を支払った後で、遺体で返されたそうだ。」


彼の声は穏やかながらも、その中に秘められた怒りと焦りが感じられた。王としての威厳を保ちつつも、友人の前では本音を隠さない—それがアルフレッドの人柄だった。


「しかも、彼らはただ財を狙うだけでなく、領主や貴族を象徴的に狙い、国全体に恐怖を広めているんだ。襲撃の後には必ず、『古き秩序に死を、民に力を』という言葉を残していく。」


アルフレッド王の呟きには、王としての重圧と、国家を守るために果たすべき責任が込められていた。彼は一瞬、遠くを見つめるように目を細め、そして再びマーク卿に視線を戻した。「このままでは国民が不安を募らせ、統治が揺らぎかねない。マーク、君の洞察が必要だ。どうすればこの危機を乗り越えられる?」


マーク卿は40代前半、筋肉質な体格と、風雨に鍛えられた顔は多くの戦いを経験してきた証だった。右の頬には細い傷跡があり、それは十年前の北方遠征での激戦の名残だった。彼の黒髪には少しだけ灰色が混じり始め、青い瞳には深い思慮の色が宿っていた。彼が身につける装いは華美なものではなく、機能的な上質の革服に、家紋を刻んだ銀の留め具だけが貴族としての地位を示していた。


彼は王の言葉に静かに頷き、言葉を慎重に選びながら答えた。「陛下の懸念はもっともです。貴族狩りが広がれば、民衆の信頼は崩れ、治安が一層悪化するでしょう。」彼の声は落ち着いており、その言葉には長年培われた戦略家としての冷静さが反映されていた。「我々が恐れるべきは、これがただの強奪ではなく、反乱の種として成長しつつあるという点です。背後には必ず組織があり、明確な目的を持っているはずです。」


マークは地図上の襲撃地点をじっと見つめた。そこには確かにパターンがあった。襲撃は王国の東から西へと移動し、徐々に首都へと近づいていた。そして、襲撃された貴族たちには共通点があった—彼らは皆、最近の王の改革政策を支持していた者たちだった。


「しかも、こうして地図を見ると、襲撃には計画性があることが分かります。」マークは地図上に指を走らせた。「彼らは単に残虐な暴徒ではなく、戦略的思考を持つ者が指揮しています。おそらく、軍事訓練を受けた者でしょう。」


マークの頭には、ある人物の姿が浮かんでいた。かつての帝国騎士団の同僚、ヴォルフ・ヘルムスロート。彼の「剣気」の技術と、冷酷さ、そして何より、マークへの個人的な恨み—全てが今の状況に結びついていた。しかし、マークはまだその名を口にする準備ができていなかった。証拠が必要だった。


会話の一時的な間隙を縫うように、メイド長のフェインが静かに近づいてきた。40代後半の彼女は、堂々とした立ち振る舞いと穏やかな表情で、長年の奉仕で培われた確かな存在感を放っていた。茶色の髪は丁寧に結い上げられ、灰色の制服は一点の乱れもなかった。彼女はアルフレッド王の母の時代から宮廷に仕えており、宮廷内の誰もが彼女の能力と忠誠心を尊敬していた。


フェインは二人の会話にそっと間を見計らい、丁寧に紅茶を注いでいく。カップに注がれる紅茶の香りが、緊張した空気にわずかな安らぎをもたらした。彼女の手つきは優雅で、まるで芸術を披露するかのようだった。


「ありがとう、フェイン。」アルフレッド王は微笑みながら言った。彼は常に使用人たちに対しても敬意を持って接するよう心がけていた。それは彼の父から教わった教訓だった—「王は民を代表する者。その振る舞いは国全体に影響する」。


「どういたしまして、陛下。」フェインは静かに答え、一礼した。彼女の目には、王と卿の会話の重大さを理解している光があった。彼女は長年の経験から、国の危機を感じ取っていた。


フェインは任務を果たし、無言でテーブルを後にする。彼女の静かな立ち去り際が、かえって二人の間の重々しい空気を強調したかのようだった。


アルフレッド王は、目の前のカップに視線を落とし、湯気の立ち上る様子をしばらく見つめていた。紅茶の香りが彼の思考を整理するのを助けているようだった。彼は低い声で続けた。「信頼を失った民は、次に誰に従うのだろう?今のままでは、私たちの統治が揺るぎかねない。だからこそ、迅速に対応せねばならない。」彼は一口紅茶を啜り、少し息を整えてから続けた。「だが、どのようにして民心を再び掌握すればいい?何から手をつけるべきだろうか。」


マーク卿は一呼吸置き、周囲を見回すように視線を巡らせてから、冷静に答えた。「まずは、反乱の中心となっている地域に目を向ける必要があります。最近の襲撃は、どうやら幾つかの特定の領地を集中して狙っているようです。その中心地に潜入し、情報を集めるべきでしょう。」


彼は紅茶に手を伸ばさず、両手を軽く組み合わせてテーブルに置きながら続けた。「そこには必ず指導者がいる。彼らを炙り出し、早急に鎮圧するべきです。また、民衆に対しては、恐怖ではなく信頼を取り戻すために、貴族たちが自らの役割を果たし、民を守る姿勢を見せるべきだと思います。」


マーク卿は手を伸ばし、地図の上に置かれた報告書を取り上げた。「また、これらの襲撃の背後には、単なる国内の不満だけでなく、外部の勢力が関わっている可能性も考慮すべきです。特に、北方のケルン帝国が関与している疑いがあります。」


「ケルン帝国?」アルフレッド王は眉を顰めた。「確かに彼らは我が国の発展を快く思っていないが、まさか反乱を扇動するとは…」


「証拠はまだ揃っていませんが、捕まえた反乱分子の一人の証言によれば、彼らは帝国から武器の供給を受けているそうです。」マークは冷静に説明した。「帝国は我が国の内部分裂を望んでいるのでしょう。弱体化したエルグレインを併合する口実にするために。」


マーク卿の言葉には、単なる軍事的解決策だけでなく、政治的な配慮も含まれていた。彼は貴族としての責任を強く自覚し、それを果たすことの重要性を訴えていた。そして彼の言葉の裏には、言及しなかったヴォルフへの警戒も隠されていた。「剣気」の使い手であるヴォルフが帝国の傀儡となり、エルグレイン王国への復讐を企てている—そんな仮説が彼の頭の中で形成されつつあった。


アルフレッド王はマーク卿の意見に耳を傾けながら、彼の冷静かつ的確な分析に感心した。風が吹き抜け、二人の間を一瞬だけ静けさが支配した。王冠のない非公式の会談だったが、ここで交わされる言葉がエルグレイン王国の未来を左右することを、二人とも深く理解していた。


「そうか、反乱の核心をつかみ、帝国の影響を断ち切る…それが最も重要だな。」アルフレッド王は考え込むように呟いた。「そして、貴族たちが率先して民を守り、彼らのために立ち上がる姿を示すことで、信頼を取り戻す…」


彼は立ち上がり、庭園を見渡した。かつて彼の父が植えたという古樫の木が、今も力強く枝を広げている。その木の下で、幼い頃のアルフレッドは父から王国の歴史と責任について教わった。今、同じ木の下で、彼は新たな危機に立ち向かう決断をしようとしていた。


「だが、実際に動くとなると、多くの犠牲が出るだろう。民も、貴族も。」彼の声には、これから下す決断の重みが滲んでいた。突然、彼はテーブルに手を置き、マーク卿の目をまっすぐに見つめた。「マーク、君に我が国の軍を委ねる。君ならば、この難局を乗り越えられると信じている。」


その言葉には、長年の友情と、マーク卿への絶対的な信頼が込められていた。アルフレッド王の表情には、決断を下した後の静かな覚悟が浮かんでいた。彼らは単なる君主と臣下ではなく、共に国を守るために戦ってきた戦友でもあった。


マーク卿はその言葉を受け、一瞬驚きの色を見せたが、すぐに慎重な表情へと戻った。彼は背筋を伸ばし、王に対する敬意を示すかのように姿勢を正した。「ありがとうございます、陛下。全力を尽くして、国と民を守り抜きます。」彼の声には、重責を引き受ける覚悟と、王への忠誠心が込められていた。


彼はさらに思慮深く続けた。「ただ、軍だけでなく、情報戦も強化する必要があります。敵の動向を先んじて掴み、彼らの計画を封じることで、大きな衝突を避けることができるかもしれません。諜報網の拡充も併せて検討すべきでしょう。」


マーク卿は内心、重い任務を引き受けることへの不安を感じていた。彼には家族がいる—妻のエレナと息子のテオドール。彼らを危険にさらすことになるかもしれない。特に、もしヴォルフが関わっているなら、彼は必ずマークの弱点を狙ってくるだろう。しかし、それでも彼は責務を果たさねばならなかった。国と民、そして自分の家族を守るために。


アルフレッド王はその言葉に深く頷いた。彼の表情が少し明るくなり、マーク卿の提案に希望を見出したかのようだった。「確かに、敵の手の内を知ることができれば、我々の動きも変わる。内密に諜報員を送り込み、反乱分子の動きを探ることが重要だな。」


王は少し考え込むように庭園の噴水に目を向けた。「ところで、お前の息子、テオドールはどうだ?最近見かけないが、立派に成長しているだろう?」


マークの表情が和らいだ。「はい、八歳になりました。毎日剣の稽古に励んでいます。リディア姫とも仲良くしているようです。」


アルフレッド王は笑みを浮かべた。「そうか、私の娘とな。二人とも良い子供だ。彼らのためにも、我々は平和を守らなければならない。」


その言葉に、マークは改めて自分の使命を感じた。これは単なる反乱の鎮圧ではなく、次の世代のための闘いでもあった。


マーク卿はさらに続けた。彼の声には冷静さと同時に、強い信念が込められていた。「そして、民衆への対応ですが、我々貴族が表に立って守りを固めるだけでは不十分です。農民や職人たちに協力を呼びかけ、共に国を守る意識を高めることが肝要です。彼らの生活を支え、信頼を築き上げることで、自然と国は強くなるでしょう。」


マーク卿の視線は遠くを見つめるようになり、彼の言葉には単なる戦略だけでなく、国の未来を見据えた深い思いが込められていた。「一時的な鎮圧だけでは、問題の根本は解決しません。民が安心して暮らせる国こそが、真に強い国なのです。そのために必要なら、私はどんな犠牲も厭いません。」


アルフレッド王はその提案に大きく頷き、両手をテーブルについて身を乗り出した。「そうだな、民と共に戦うという姿勢こそが、今の我々に必要なものだ。すぐに準備を始めよう。明日の議会で、特別軍事委員会の設立を提案する。反対する貴族もいるだろうが、説得しよう。」彼の声には新たな決意と活力が感じられた。


「本当に頼むぞ、マーク。君の知恵と勇気が、今の我が国には必要なのだ。」


マークは深く頭を下げた。「お任せください、陛下」


庭園に一瞬の静寂が訪れ、二人は各々の思いを巡らせていた。風が木々の葉を揺らし、遠くから聞こえる水の音が穏やかな調べを奏でていた。しかし、その平和な風景の奥には、これから訪れる嵐の予感が漂っていた。


鐘楼から午後を告げる鐘の音が響き、それは二人の沈思を破った。マーク卿は立ち上がり、これからの任務について考え始めた。まずは親衛隊の再編成、次に諜報網の強化、そして何より、家族の安全確保—彼の頭の中では、既に計画が形作られつつあった。


しばしの沈黙の後、アルフレッド王は突然微笑みを浮かべ、重たい会話を締めくくるように言った。「それにしても、長い付き合いだな、マーク。君がここまで国のことを考えてくれるとは、昔から変わらない。」彼の声には懐かしさと感謝が混ざり合っていた。「これからも、共にこの国を守っていこう。」


マーク卿もその笑顔に応じて静かに微笑んだ。彼の心は重圧で押しつぶされそうになっていたが、王の言葉に力をもらった。二人の間には、長年の信頼と友情が流れていた。「もちろんです、陛下。私たちの未来を共に切り開いていきましょう。」彼の言葉には、王への忠誠と、国を守る強い決意が込められていた。


二人は再びカップを取り、冷めてしまった紅茶をゆっくりと飲み干した。彼らの肩には重い責任が乗っていたが、共に立ち向かう決意が、その重みを少しだけ軽くしているようだった。


日は徐々に傾き始め、庭園に長い影が伸び始めた。世界は静かに夕暮れへと向かっていく中、エルグレイン王国の運命もまた、新たな局面へと静かに歩み始めていた。

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