一章:陰の力の探求
修正中のため急遽内容変更する可能性あり
陽炎が揺らめく窓辺で、テオドールはフィルスの言葉に耳を傾けていた。彼の部屋は城の高層にあり、窓からは城下町と遠くに広がる平原や森が見渡せた。初夏の陽光は窓ガラスを透過し、部屋の中に暖かな光の帯を作り出し、その中で細かな埃が舞い踊っていた。長年の魔道研究に身を捧げてきた老魔術師の声は、静かでありながらも部屋に満ちる魔力の波動と共鳴するように響いていた。
フィルスは青と銀の刺繍が施された長い魔術師のローブを纏い、その姿には威厳と知識の重みが感じられた。彼の白い長い髭は胸元まで伸び、その瞳には何世紀もの経験を積んだかのような深い知恵が宿っていた。彼は手に古い魔道書を持ち、その表紙には金糸で「影の旅路」と書かれていた。
「陰の特性とは、陽とは異なる道を歩むもの。」フィルスは穏やかな声で語り始めた。「その力は単なる破壊や創造ではなく、魂の奥底に眠る感情や、あなたが体験した苦しみや喜びと深く結びついている。」彼は本のページをめくりながら続けた。「陽の魔法が外向きのエネルギーを司るのに対し、陰の魔法は内なる闇と光を源とする。それはあなた自身の体験や記憶から力を得る、非常に個人的な魔法だ。」
フィルスの言葉が織りなす真実に、テオドールは無意識のうちに胸に手を当てた。彼の指先が心臓の上に置かれ、その鼓動を感じながら、彼の思考は過去へと遡った。あの日の記憶が、まるで焼き付けられたように脳裏によみがえる。地獄のような炎の中で感じた凄まじい痛み—皮膚が黒く焦げ、内臓が沸騰し、全身が破裂するような耐え難い苦痛。その感覚は今なお、夢の中で彼を襲い、時に夜中に冷や汗と共に目を覚まさせる。あの記憶は、テオドールの存在そのものに刻み込まれ、彼の魔法の核となっていた。
「テオドール殿」フィルスの声が彼の想念を現実へと引き戻した。「陰の魔法はあなたの心の状態に大きく左右される。感情が暴走すれば、魔法も同様に制御を失う。常に冷静さを保ち、内なる嵐を静めることを忘れてはならない。」
テオドールは老魔術師の言葉に頷き、「僕は父と母を失った悲しみと、復讐への渇望を持っています。それらが僕の陰の特性の源なのでしょうか?」と問いかけた。彼の声には迷いと、同時に理解への渇望が混じっていた。
フィルスは深く頷き、「その通りだ。あなたの経験した痛みや喪失感は、通常なら破壊的なものだが、それを力に変えることができるのが陰の特性を持つ者の特権だ。しかし、その力に飲み込まれないよう注意せねばならない。復讐だけが人生の全てとなれば、魔法もまた歪むだろう。」彼は静かに忠告した。
窓から差し込む柔らかな光が部屋の中で踊る埃を照らす中、テオドールは決意を固めた。自分の感情、過去の痛み、それらを力に変える—陰の特性を理解するには、自らの闇と向き合うしかない。彼は本棚に視線を移し、そこに並ぶ魔法書の背表紙を眺めた。それらは過去の魔法使いたちが残した知識の断片であり、彼の道標となるはずだった。
彼はゆっくりと立ち上がり、部屋の中央に移動した。床には複雑な魔法陣が描かれており、それは魔力の制御と集中を助ける役割を持っていた。フィルスから教わったファイアボールの基礎を思い出し、両手を前に掲げる。掌を上に向け、指を少し広げた姿勢で彼は立った。しかし今回は、単なる炎の玉を作るのではない。心の奥底に眠る復讐心、怒り、そして痛みを呼び覚まし、それらが魔法に影響を与えるよう意識を集中させた。
テオドールの瞳が暗く濁り、彼の周りの空気が震え始めた。部屋の温度が急激に上昇し、窓ガラスに結露が生じた。皮膚が焦げる感覚、内臓が破裂する記憶が彼の全身を支配し、やがて手のひらに宿った炎は通常のファイアボールとは明らかに異なるものとなった。それは漆黒の中心を持ち、縁は深紅に脈打ち、まるで生きているかのように蠢いていた。火球の表面には小さな渦が幾つも形成され、それぞれが異なるリズムで脈動していた。そして驚くべきことに、その炎はテオドールの皮膚を実際に焼き、細い煙が立ち上がっていたのだ。
痛みを堪えながら、彼はゆっくりと手を前に伸ばし、目の前の空間に向かってその魔法を放った。彼の指から離れた瞬間、火球はさらに大きく膨れ上がり、部屋の空気を切り裂くような音を立てながら前方へと進んだ。放たれた火球は外見上は普通のファイアボールのように見えた—しかし、テオドールにはわかっていた。この魔法には彼自身の痛みが宿っており、それは対象に彼が経験した苦痛を伝えるはずだった。火球は空中で一度停止し、その後ゆっくりと消滅した。その跡には、わずかに焦げた空気の匂いだけが残された。
「おそらく生命を持つものにのみ有効なのだろう」テオドールは小声で呟いた。彼は自分の手のひらを見た。先ほどまであったはずの火傷の跡が、不思議なことに既に消えていた。皮膚は滑らかで、何も起こらなかったかのようだった。
テオドールはフィルスの言葉を反芻しながら、この新たな力をどう制御し、使いこなすべきか思案を続けた。さらに不思議なことに、彼の意識の片隅には、どこからともなく湧き上がる謎の知識があった。それは彼自身でさえ完全には理解できないほど精緻で深遠なもので、あの死の淵での体験から目覚めたものだった。それは魔法の公式や理論ではなく、むしろ直感的な理解や、生まれつき心に刻まれていたかのような認識だった。
「あの惨劇の後、僕は夢の中で謎の空間に行けるようになった。そこで得た知識は目覚めた後も鮮明に残る…これが僕の陰の特性による能力なのではないか?」彼は自問自答を繰り返した。夢の中の空間は説明しがたい広がりを持ち、そこでは無数の顔が漂い、それぞれが異なる表情を見せていた。それらの顔は、彼が出会ったことのある人々のものもあれば、全く見知らぬ者のものもあった。
テオドールは窓辺に歩み寄り、遠くに広がる王城の景色を見つめながら考えを巡らせた。窓の外では白い雲が青空を横切り、その影が地上に移動していく様子が見えた。心臓を突き刺され、炎に身を焼かれ、死んだはずの自分が生きているのは、間違いなくこの不思議な能力のおかげだろう。しかし、その瞬間の記憶はなく、どのような感覚だったのかも定かではない。彼の記憶はあの恐ろしい痛みで途切れ、次に目覚めた時には既に救出されていた。その間に何が起きたのか、彼自身にもわからなかった。
「確かめるには再び死ぬしかないが…」彼は苦笑いを浮かべた。「そんな実験を実行できるほどの確信も度胸もない」彼の声には皮肉と諦めが混ざっていた。
テオドールは窓枠に手をかけ、冷たい石の感触を楽しみながら、自分の能力についてさらに考察を深めた。「もし僕の能力が死を超えるものなら、それは究極の魔法かもしれない。しかし、そんな力を持つことは恐ろしくもある…」彼の心には不安と好奇心が交錯していた。
秋の気配が漂い始めた城下町を、テオドールはぼんやりと歩いていた。季節の変わり目は、彼の心情の変化とも重なるようだった。彼の研究は日々進展し、陰の特性への理解が深まるにつれ、新たな疑問も湧き上がってきていた。足元の石畳は年月を経て磨かれ、太陽の光を柔らかく反射している。通りには市場の賑わいや子供たちの遊ぶ声が響き、日常の喧騒が彼を包み込む。商人たちは声高に商品を宣伝し、馬車が石畳を鳴らす音が街全体を活気づけていた。
テオドールの頭上では、燕が群れをなして飛び交い、彼らの鋭い鳴き声が秋の空に響いていた。葉を落とし始めた木々の間から漏れる光が、道に斑模様を作り出していた。しかし、テオドールの思考は深く内側に向かっていた。彼は通り過ぎる人々に気づかず、時折挨拶を返すのを忘れるほどだった。
「自分の陰の特性は、記憶を付与するものなのではないか」
彼は立ち止まり、遠くに見える山々を見つめながら思考を整理した。山々は紫がかった青色に染まり、その頂には早くも初雪が輝いていた。先日作り出したファイアボールは、彼の皮膚を焼いた瞬間を除けば、ただの火の玉に過ぎなかった。しかも不思議なことに、その火傷は気づいた頃には消えていた—治ったというより、初めから存在しなかったかのように。彼は左手で右手の甲を撫で、皮膚の滑らかさを確かめた。そこには傷の痕跡も残っておらず、完璧な状態に戻っていた。
「記憶しているものを上書きした上で、上書きする前の記憶も残っている…」
テオドールは自分の手のひらを見つめ、その可能性に息を呑んだ。彼の手に刻まれた生命線と運命線が、彼の運命を暗示しているかのように感じられた。「死んだとき、死ぬ前の健康だった体の記憶を元に、損傷した体を上書きしたのではないか?」
その考えは理にかなっていた。彼が両親の屋敷の焼け跡で発見されたとき、彼の胸には致命的な傷があったはずだ。しかし、医師たちが彼を診察した時には、その傷はなかった。当時は奇跡的な回復力と説明されていたが、もしそれが彼の陰の特性による能力だとすれば…
テオドールは自分の能力の可能性に、恐れと興奮を同時に感じた。もし本当に自分の体や他者の体に記憶を付与できるのなら、その応用範囲は無限だ。傷を癒すことも、苦痛を与えることも、もしかしたらさらに複雑なことも可能かもしれない。
彼は城下町の喧騒から離れ、小さな公園のベンチに腰掛けた。ベンチの木目は古く、数え切れないほどの人々がそこで休息を取ってきたことを物語っていた。公園では子供たちが鬼ごっこに興じ、その無邪気な笑い声が彼の耳に届いた。テオドールはその光景を見ながら、自分の能力と子供時代の喪失について考えた。
彼は自らの考えをさらに深め、仮説を立てた。「もし私の能力が記憶の付与なら、それは物理的な傷だけでなく、感覚や感情にも適用できるはずだ。」彼は自分の指先を見つめ、そこに小さな炎を生み出した。炎は彼の指を焼くことなく、優しく揺れていた。彼はその炎に「痛み」の記憶を意識的に付与しようとした。
炎が彼の意思に応えるように色を変え、より深い赤色に変化した。テオドールはその炎を地面に落とし、どうなるか観察した。炎は草を焼くことなく消えたが、触れた場所の草は一瞬震えたように見えた。「成功したのかもしれない…」彼は小さく呟いた。
テオドールは公園を後にし、より詳細な実験のため、自分の部屋へと急いだ。彼の心は活発に働き、新たな発見への期待で胸が高鳴っていた。
夜が深まり、城内が静寂に包まれた頃、テオドールの部屋の窓からは淡い光が漏れていた。月の光が雲間から差し込み、彼の部屋に銀色の光を投げかけていた。テオドールは自分の仮説を確かめずにはいられなかった。もし本当に彼の体が死ぬ前の状態を「記憶」し、それを元に再生する力を持っているのなら、その能力は想像を超えるものだった。
彼は部屋の中央に立ち、深呼吸をした。部屋には様々な実験器具が置かれ、机の上には開かれた本と、彼の手書きのノートが散らばっていた。ノートには彼の観察結果と仮説が綿密に記録されていた。彼は一度目を閉じ、自分の体の一部を傷つける実験を行うことを決意した。それは危険かもしれないが、彼の能力を理解するためには必要な一歩だった。
しかし、彼は慎重だった。「小さな傷から始めよう。」彼は自分に言い聞かせた。彼の部屋には小さなナイフがあったが、それを使うのはあまりにも目立つかもしれない。そこで彼は城内のキッチンから道具を借りることにした。
決意を固めたテオドールは、城内の廊下を忍び足で進んだ。古い板張りの床がわずかに軋む音だけが暗闇の中に響く。彼の足取りは軽く、影のように城の通路を進んでいった。廊下の窓から差し込む月明かりが、彼の道を照らした。彼は時折立ち止まり、周囲の物音に耳を澄ませた。城内には夜警の兵士たちが巡回しており、彼らに見つかれば質問攻めにされるだろう。
やがて、彼はキッチンの扉の前に立っていた。扉は少し開いており、中からはかすかに料理の香りが漂ってきた。テオドールは慎重に中を覗き、誰もいないことを確認してから滑り込んだ。
月明かりが窓から差し込み、調理器具や食器が銀色に輝いていた。広いキッチンには大きなかまどがあり、その上には明日の朝食のための準備が整えられていた。テオドールは慎重に中に入り、包丁の置かれた場所へと向かった。木製の包丁立てに数本の刃物が並んでおり、彼はその中から最も小さく鋭いものを選んだ。
一瞬ためらいが彼を襲ったが、真実を知るという決意が、その躊躇を打ち消した。彼は包丁の冷たい柄を握り、静かにキッチンを後にした。
廊下を戻る途中、彼は夜警の足音を聞いた。慌てて物陰に隠れ、息を殺してやり過ごす。兵士の松明の明かりが壁に揺らめく影を作り出し、その緊張感は彼の心拍数を上げた。兵士が通り過ぎるのを待ち、彼は再び静かに歩き始めた。
自分の部屋に戻ったテオドールは、ドアをしっかりと閉め、鍵をかけた。彼は深く息を吐き、ベッドの上に座った。月明かりだけでは不十分と判断し、小さなランプに火を灯した。その温かい光が部屋を黄金色に染め、彼の緊張した表情を浮かび上がらせた。
テオドールは左手の人差し指を机の上に置き、右手に持った包丁を高く掲げた。心臓が激しく鼓動し、呼吸が荒くなる。彼は目を閉じることなく、一気に刃を振り下ろした。
鋭い痛みが走り、人差し指の先端が切り落とされた。温かい血が机の上に広がり、切断された指先が無残に転がる。テオドールは痛みに顔をゆがめながらも、その光景から目を逸らさなかった。自分の陰の特性を確かめるためには、この瞬間を見届ける必要があった。彼は痛みを堪え、切断された指先と、血を流す傷口を凝視した。
「さあ、どうなる…?」彼の声は震え、冷や汗が背中を伝った。
彼が瞬きをした瞬間、驚くべきことが起こった。切断された指は完全に元通りになっていたのだ。机の上の血は消え、切り落とされた指先も跡形もなく消えていた。テオドールは震える手で再生した指を見つめた。傷口は完全に消え去り、痛みさえ感じられない。まるで何も起こらなかったかのように、彼の指は完璧な状態に戻っていた。彼は自分の指を曲げてみた。機能にも問題はなく、完全に正常だった。
彼は信じられない思いで自分の手を見つめた。その現象は彼の仮説を確かに裏付けるものだった。彼の体は傷つく前の状態を「記憶」し、その記憶に基づいて自己を修復したのだ。
「やはり、そうだったのか…」彼は静かに呟いた。「記憶の付与—これが僕の陰の特性」彼の声には畏敬と、新たな力への理解が混ざり合っていた。
確信を得たテオドールは、包丁を丁寧に拭き、元の場所に戻しに行った。彼は証拠を残さぬよう、血の跡も注意深く拭き取った。再び静まり返った城内を歩き、自分の部屋へと戻る途中、彼の心は不思議な安堵と興奮で満ちていた。彼の中には、自分の能力への理解と共に、その力をどう使うべきかという新たな問いが芽生えていた。
テオドールは寝台に身を横たえ、天井に浮かぶ微かな月明かりの模様を見つめていた。部屋の壁には影が揺れ、それは彼の揺れ動く思考を表すかのようだった。瞼を閉じると、以前に見た奇妙な夢の記憶が蘇ってきた—あの不思議な空間への旅。無数の顔が浮かび、消えていく異世界。彼は深呼吸し、意識を解放すると、再びあの場所へと導かれるような感覚に身を任せた。
彼の呼吸がゆっくりと規則正しくなり、身体の緊張が解けていった。彼の意識はこの世界から離れ、別の次元へと漂い始めた。
意識が変容し、テオドールは再び異世界とも言える広大な空間に立っていた。ここには重力の感覚がなく、彼の体は宙に浮いているようだった。周囲を見回すと、無限に広がる漆黒の中に無数の顔が浮かび上がっている。それらの顔は半透明で、幽玄な光を放ちながら渦のように回転し、空間を漂っていた。顔はそれぞれ異なる感情を表現しており、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、平穏など、人間のあらゆる感情の状態を示していた。
そして今回、前回と違う点が一つあった。渦の中には、テオドールが知る人々の顔が混じっていたのだ—アルフレッド王、リディア姫、レオポルド、フィルス、そして懐かしい父と母の顔。それらの顔は他のものとは異なり、より鮮明に、より強い存在感を持って彼の前に現れていた。他の顔が薄い霧のようであるのに対し、彼が知る人々の顔は固形感があり、まるで実際にそこに存在しているかのようだった。
「これは何を意味しているのだろう…?」テオドールの声は空間に吸収され、かすかにエコーして帰ってきた。彼はしばらくそれらの顔を凝視した後、一つずつ触れてみることにした。彼自身にも説明できない衝動だったが、彼はそれに従った。
最初に、アルフレッド王の顔に手を伸ばす。彼の指先が半透明な顔に触れた瞬間、奇妙な感覚が全身を走り抜けた。電流のような震えが彼の指から腕全体に広がり、やがて全身を包み込んだ。まるで彼の意識が別の次元に引き込まれるかのように、周囲の風景が変容していく。漆黒の空間が揺らぎ、そこに新たな光景が浮かび上がり始めた。
そして突然、テオドールの前にアルフレッド王の寝室が広がった。彼は透明な存在となり、その場にいながらも実体はないようだった。薄暗い部屋の中で、王と王妃がお互いを見つめ合い、静かに話している様子が見える。ベッドは豪華な絹のカーテンで囲まれ、部屋には高価な家具や調度品が配置されていた。暖炉には小さな火が灯り、その光が二人の姿を柔らかく照らしていた。
二人の間には深い愛情が流れており、その親密さにテオドールは思わず息を呑んだ。アルフレッド王は普段の威厳ある姿とは異なり、愛する妻の前では優しく脆弱な一面を見せていた。王妃は美しい微笑みを浮かべ、王の頬に触れる。その仕草には何年もの歳月を共に過ごした夫婦の絆が表れていた。
「今日も大変だったでしょう?」王妃の声は柔らかく、優しさに満ちていた。
「ああ、だが君がいてくれれば、どんな疲れも癒されるよ」王は彼女の手を取り、唇に当てた。
しかし、次の瞬間、彼が目にした光景に顔が真っ赤になった。二人はゆっくりと衣服を脱ぎ始め、さらに親密な行為に及ぼうとしていたのだ。王妃のドレスがゆっくりと肩から滑り落ち、王の手が彼女の素肌に触れる様子に、テオドールは心臓が止まるかと思うほど驚いた。
「うわっっ!」テオドールは慌てて声を上げ、反射的に目を閉じて顔を手で覆った。彼の心臓は激しく鼓動し、頬は熱く火照っていた。彼の叫びは空間に響くことなく、ただ彼自身の中でこだまするだけだった。
「これは…これは見なかったことにしよう…」彼は自分に言い聞かせながら、何とかしてこの場から離れようとした。彼は強く願い、意識を集中させると、王の寝室の光景が徐々に薄れていき、再び漆黒の空間に戻った。
テオドールは動揺を隠せず、何とか自分を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。「これは…これは単なる夢だ。だから…」と自分に言い聞かせるが、その光景は彼の記憶に鮮明に刻み込まれてしまっていた。彼の心臓は今にも飛び出しそうに鼓動し、顔は熱く火照り続けていた。
しばらくして彼の心拍が少し落ち着いてくると、テオドールは改めてこの現象について考えを巡らせた。「これは記憶なのか、それとも現在起きていることなのか…」彼は静かに自問した。「もし記憶なら、僕が触れた人々の記憶に触れることができるということか。もし現在なら…」彼は再び顔を赤らめた。「それは覗き見になってしまう…」
興味と良心の葛藤を感じながらも、彼は試しに別の顔に触れてみることにした。今度はリディア姫の顔を選んだ。彼が指を伸ばすと、先ほどと同様に意識が変容し、新たな光景が広がり始めた。
彼の前に現れたのは、ヴェリスフォート魔法学校の一室だった。そこにはリディアが一人で座り、風の魔法の練習に取り組んでいる姿があった。彼女の手から生まれる風は、部屋の中の小さな羽を舞い上がらせ、美しい渦を描いていた。その表情には真剣さと共に、達成感を得た時の喜びが浮かんでいた。
「テオドール、私はどれだけ成長したかしら?」彼女はまるでテオドールがそこにいるかのように呟いた。「あなたが来る時までに、もっと上手になっているわ。」
その言葉に、テオドールの胸が温かさで満たされた。彼女が自分のことを思い、努力している様子に、彼は複雑な感情を覚えた。懐かしさ、喜び、そして彼女に会いたいという思いが同時に湧き上がった。彼は思わずリディアに呼びかけたが、彼の声は彼女に届くことはなかった。
彼は別の顔、今度は父の顔に触れてみた。しかし、彼が期待したように過去の記憶や現在の状況は現れず、ただ暖かな光だけが彼を包み込んだ。「亡くなった人の記憶には触れられないのかもしれない…」彼は寂しさを感じつつも、理解した。
テオドールは続けて数多くの顔に触れ、それぞれが異なる記憶や状況を示すことを発見した。彼はこの能力の可能性と限界を探り続け、やがてこれが自分の陰の特性の重要な一面であることを確信した。彼は他者の記憶に触れることができるだけでなく、おそらくは記憶を付与する能力も持っているのだろう。
意識が現実世界に戻る際、テオドールは新たな決意を固めていた。彼はこの能力をより深く理解し、適切に使うための修行を続けることにした。しかし、彼の胸には新たな不安も生まれていた。この能力は強大であり、使い方を誤れば危険でもある。彼は慎重にならなければならないことを痛感していた。
翌朝、テオドールは前夜の夢の記憶に頬を赤らめながら、訓練場へと向かった。朝露が草に光り、新鮮な空気が肺を満たす。初秋の柔らかな日差しが彼の顔を優しく照らし、彼の黒髪は風に揺れていた。彼が訓練場に到着したとき、思いがけずアルフレッド王が視察に訪れていた。
王は青と金を基調とした正装に身を包み、その姿は威厳に満ちていた。周囲には数人の側近たちが控え、彼らは王の一言一句に耳を傾けていた。王は訓練中の兵士たちに声をかけ、彼らを励ましていた。彼の存在は訓練場全体に活気をもたらしていた。
王の姿を見た瞬間、テオドールの心臓は跳ね上がった。昨夜見た私的な光景が鮮明に蘇り、彼の顔は一瞬にして真っ赤に染まった。彼は必死に視線をそらし、地面や空を見上げるだけで、王の目を直視することができなかった。彼自身、その反応が異常であることを自覚していたが、どうしても昨夜の夢の影響から逃れられなかった。彼の手は汗ばみ、心臓は早鐘を打っていた。
アルフレッド王はその異変に気づき、眉をひそめて彼を見つめた。王は側近たちに何か指示を出した後、テオドールの元へと歩み寄った。彼の足音は堂々としており、その一歩一歩がテオドールの緊張を高めた。
「テオドール、大丈夫か?何か気になることでもあるのか?」王の声は穏やかだが、その中に心配の色が混じっていた。彼の鋭い眼差しはテオドールの様子を詳細に観察していた。
王の声にテオドールは肩を震わせ、ぎこちなく顔を上げたが、すぐにまた視線を落としてしまった。彼の頬は熱く、首元まで赤くなっていた。「い、いえ…何も…ただ、昨夜ちょっと…変な夢を見たもので…」彼の声は震え、言葉がスムーズに出てこなかった。
「変な夢?」アルフレッド王は好奇心と心配が混じった表情で尋ねた。彼は一歩近づき、テオドールの肩に手を置いた。「どんな夢だったんだ?悪夢に悩まされているなら、医師に相談することもできるぞ。」
王の手の重みを感じ、テオドールは更に動揺した。彼は言葉に詰まり、顔がさらに赤くなった。冷や汗が背中を伝い、彼は必死に平静を装おうとした。「い、いえ…本当に大したことではありません」彼は何とか答えた。「ただの…普通の夢です。心配には及びません。」
アルフレッド王はテオドールの様子に更に眉をひそめたが、それ以上の詮索は控えたようで、微笑んで彼の肩に優しく手を置いた。「そうか、なら良いんだが、もし何か困ったことがあれば、遠慮なく言ってくれ。君の力になりたいのだから」彼の声には真摯な思いやりが込められていた。
「ありがとうございます…」テオドールは精一杯の礼儀を尽くしたものの、どうしても視線が泳いでしまう。アルフレッド王はその様子を見て僅かに困惑した表情を浮かべたが、それ以上は何も言わずその場を後にした。
王が去った後、テオドールは大きくため息をついた。心の中では自己嫌悪と恥ずかしさが入り混じり、彼を苦しめていた。「この能力には制御が必要だ…」彼は静かに呟いた。「他人の私生活に踏み込むべきではない。」彼は自分の能力に対する倫理的な境界線を設ける必要性を感じた。
同時に、彼は自分の能力がどこまで及ぶのか、その可能性と限界を探る必要があることも理解していた。彼の陰の特性は単なる記憶の付与だけでなく、他者の記憶への接触も含むものだったのだ。この力をどう使うかは、彼自身の選択にかかっていた。
その日の午後、テオドールは自分の陰の特性をさらに理解するため、試行錯誤を始めた。王との気まずい出来事を頭の片隅に追いやり、彼は魔法の研究に集中しようとした。彼は城の東塔にある個人用の練習室に籠もり、窓の鎧戸を閉め、外部からの視線を遮った。部屋の中央には数々の実験道具が並べられていた。
彼は以前、死の淵で得た謎の知識の中に「燃える液体」という概念があったことを思い出す。通常、水と火は相容れないものだが、彼の記憶の付与能力を使えば、水に火の性質を与えることができるのではないか。彼はまず、フィルスから教わった基本的な「ウォーターボール」を生成することから始めた。
「集中…」テオドールは目を閉じ、両手を前に差し出した。彼の意識は内側に向かい、水の要素を具現化するためのイメージを形成した。川のせせらぎ、雨の音、湖面の静けさ—それらの感覚を呼び起こし、魔力を通じて形にしていく。
テオドールは手のひらを前に差し出し、冷たく透明な水の塊を生み出すことに成功した。青く輝くウォーターボールが彼の掌の上で静かに浮かんでいる。その表面は滑らかで、光を美しく屈折させていた。次の段階として、彼はそのウォーターボールに炎の記憶を付与しようと試みた。彼は火の持つ熱さ、炎の揺らめき、燃焼するときの音を思い出し、それらの特性を水の球体に注ぎ込もうとした。
だが、イメージした瞬間、水の塊は突然炎に包まれ、彼の手にまで火が広がってしまった。「くっ!」驚いたテオドールは慌てて魔法を解き、手を振って炎を消し去った。彼の指先が軽く焦げ、鋭い痛みが走った。しかし、彼がその痛みに集中すると、火傷の跡はすぐに消え、皮膚は元通りになった。
「まだうまくいかない…」彼は自分の回復能力に感謝しつつも、実験の失敗に眉をひそめた。彼の能力は確かに強力だったが、それを精密に制御することはまだ難しいようだった。
彼は焦りを抑え、次の策を考えた。今度はウォーターボールを空中に投げてから炎を付与することを試みる。安全な距離を確保するためだ。再び水の塊を生成し、それを前方に投げた。美しい弧を描いて飛ぶ水の球体に、彼は炎の記憶を注ぎ込もうとした。しかし、炎をイメージした瞬間、ウォーターボールは形を失い、ただの水滴となって地面に落ちてしまった。魔法の構造が崩れ、単なる物質に戻ってしまったのだ。
テオドールは眉を寄せ、失敗の原因を考えた。「もしかして…理解度が不足しているのか?」彼は自問した。彼は窓際に歩み寄り、外の景色を眺めながら思考を巡らせた。暮れかかる空には薄紫色の雲が浮かび、その美しさに一瞬見とれた。
自分の手を見つめながら、彼は陰の特性について新たな洞察を得た。「ウォーターボール」はフィルスの指導で理解していたが、「燃える液体」という複雑な概念はまだ完全に把握していなかった。これは単に水に炎の性質を与えるだけでなく、二つの相反する要素を統合する高度な概念だった。
「つまり、陰の特性は理解している記憶に基づいて発動するということか…」テオドールは静かに呟いた。彼は新たな仮説を立てた。彼の能力は彼自身が理解し、経験したことにのみ適用できるのではないか。彼が体験したことのない感覚や概念は、まだ彼の能力の範囲外かもしれない。
この気づきに基づき、テオドールは別のアプローチを試みることにした。彼はより自分が深く理解している体験に焦点を当てることにした。
テオドールは心の奥底で、もう一度あの痛ましい記憶を呼び起こした。心臓を突き刺された時の鋭い痛み、息ができなくなる感覚、血が喉に溢れる味—彼はそれらを鮮明に思い出しながら、胸に手を当てた。そして、それらの感覚を念入りに思い出した上で、彼はその記憶を自らの体に付与しようとした。
すると驚くべきことに、実際に突き刺されたかのような傷跡が現れ、鮮血が吹き出してきた。「うわっ!」テオドールは驚愕し、慌てて手を引っ込めた。胸の痛みは彼が記憶していたものと同じく鋭く、呼吸を困難にするほどだった。しかし彼はこれが自分の能力によるものだと知っており、冷静さを保った。彼は意識的に傷が「なかった」状態を思い出し、集中すると、しばらくして傷跡も血も消え、元通りになっていた。痛みも完全に消え去り、まるで何も起こらなかったかのようだった。
「これは…成功か?」テオドールは自分の胸に手を当て、心臓の鼓動を確かめた。それは力強く、規則正しく打っており、彼の体は完全に健康な状態に戻っていた。彼は自分の能力が確かに機能したことに、恐れと誇りが入り混じった感情を抱いた。
続いて、彼はファイアボールに「突き刺される」という記憶を付与し、実験のために自分自身に向けて放った。炎が彼の体に当たると、心臓を貫かれるような鋭い痛みが走った。実際の傷はなくとも、その感覚は鮮烈で、テオドールは小さく呻きながらも、「成功した!」と勝利の喜びを噛みしめた。彼は初めて、自分の能力を意識的に制御することに成功したのだ。この発見は彼に大きな自信をもたらした。
さらに実験を進め、彼はファイアボールを生成せずに、ただ炎のイメージだけで魔法を発動してみた。彼は両手を広げ、部屋全体に炎の記憶を付与しようと試みた。想像力を駆使し、彼は部屋が炎に包まれる様子を鮮明にイメージした。
すると、驚くべきことに周囲一帯が炎に包まれ、一瞬で焼け野原のような光景が広がった。壁は炎に覆われ、床は灼熱となり、空気さえも燃えているように見えた。しかし、不思議なことに熱さは感じられず、テオドールの服も髪も燃えることはなかった。それは本物の炎ではなく、彼の魔法による幻影のようなものだった。
「ああっ、これは…!」
恐ろしさと驚きに目を見開きながら、テオドールは慌てて魔法を中断した。彼は再び部屋が元の状態であるという記憶を呼び戻し、集中した。すると、不思議なことに周囲の景色は元の状態に戻っていった。炎は徐々に薄れ、壁や床は元の姿を取り戻した。以前の実験では焼けた場所は元に戻らなかったが、今回は違った。これは彼が付与したのが「記憶」であり、物理的な変化ではなかったからだろう。
「なるほど…」テオドールは深く息を吐きながら、自分の能力への理解を深めた。「炎はイメージしやすく、形としては何でもいいんだな。炎を介さずとも感覚を伝えることができる。ただし、理解度が非常に大切なのだ!」彼は興奮して言葉を続けた。「自分が理解していることなら、どんな記憶でも付与できる。これは驚異的な能力だ。」
彼は自分の発見に興奮しながらも、この力の危険性を痛感していた。誤った使い方をすれば、恐ろしい結果を招く可能性があった。「炎を一度経由することで理解度のハードルが少し下がる。さらに感覚を遠距離で伝えることもできる…」彼は自分の能力の応用範囲を考えながら、メモを取った。
「これを実戦で使えば…」彼は敵に痛みや恐怖の記憶を植え付け、戦闘不能にすることができるかもしれないと考えた。あるいは、傷を癒すことで、医療の分野でも活用できるかもしれない。そして何より、彼自身の傷は自動的に治癒する能力は、彼を非常に強力な存在にしていた。
テオドールは自分の魔法の可能性に思いを馳せながら、フィルスに報告しようと決意した。しかし、彼の心の中に不安がよぎった。「全てを話すべきだろうか?」この能力の全貌を明かせば、彼が危険視される恐れもある。しかし、指導者であるフィルスに嘘をつくことも正しくない。
彼は内心葛藤した末、「炎に痛覚を付与できると伝えよう」と自分に言い聞かせた。これは真実であり、かつ彼の能力の全てを露わにはしない説明だった。テオドールは慎重に言葉を選びながら、フィルスの元へ向かった。
石造りの階段を上り、フィルスの部屋の前に立ったテオドールは、軽くノックをした。彼の心臓は速く鼓動し、緊張と期待が入り混じる感情が彼を支配していた。「どうぞ」という穏やかな声に応えて、彼は部屋に足を踏み入れた。
書物や古い羊皮紙で埋め尽くされた部屋の中央に、フィルスは静かに座っていた。彼の周りには小さな光の粒子が漂い、魔力の存在を示していた。窓から差し込む夕暮れの光が部屋を金色に染め、フィルスの白髪と髭に神秘的な輝きを与えていた。彼は古い羊皮紙に何かを書き込んでおり、テオドールの到着に気づくと、静かにペンを置いた。
「テオドール殿、どうしたのかね?」フィルスの声は穏やかで、優しさに満ちていた。
「先生、陰の特性についてお話ししたいことがあります」テオドールは少し緊張しながら言った。彼の声が少し震えるのを感じながらも、彼は強く自分を保とうとした。
フィルスは穏やかな眼差しで彼を見つめ、「どうぞ、話してみてください」と促した。彼はテオドールのために椅子を指し示し、彼が座るのを待った。
テオドールは慎重に言葉を選びながら説明を始めた。「私の陰の特性は痛覚を付与するものでした」彼はできるだけ事実に即して、しかし全てを明かさないよう注意しながら話した。
フィルスは興味深そうに眉を上げ、「痛覚を付与する…?」と問い返した。彼の目には好奇心と僅かな懸念が浮かんでいた。
テオドールは老魔術師の問いを置き去りにしたまま、「これをファイアペインという名前を付けました」と続けた。彼は自分の能力に名前を付けることで、それをより制御しやすくしようと考えていた。そして、小さな炎の球を生成し、それをフィルスに向けて静かに投げた。
小さな炎がフィルスの手に触れると、老魔術師は一瞬驚いたような表情を見せ、「これは…通常の熱さではなく、痛みを感じますね。これがファイアペイン、というわけですか」と呟いた。彼は炎に触れた手をじっと見つめ、その感覚を分析するように集中していた。
テオドールは頷き、「はい、これが私の陰の特性です」と答えた。彼の中には真実を隠している罪悪感があったが、この瞬間はそれを抑え込んだ。彼は自分の能力の全てを明かす時が来るまで、慎重に行動することを選んだ。
フィルスはしばらく考え込んでから、「理解しました。私が思っていたものより過激なものではなくて安心しました。しかし、これがあなたの特性の全貌であるかはもう少し掘り下げる必要がありますね」と答えた。彼の声には穏やかさの裏に鋭い洞察が隠されていた。
テオドールはフィルスの言葉に一瞬動揺したが、冷静さを保った。「はい、私もまだ探求中です」と彼は素直に認めた。
フィルスは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。窓から見える夕暮れの空は、赤と紫に染まっていた。「テオドール殿、陰の特性は使い手の意図によって、大きく性質が変わります。あなたのその力を、どう使うかはあなた次第です。」彼は振り返り、テオドールを真剣な眼差しで見つめた。「痛みを与えることも、癒すことも、同じ力から生まれることもあります。」
テオドールはその言葉の意味を考え、静かに頷いた。「わかりました」と彼は答え、老魔術師の洞察力の鋭さに内心身震いしながらも、「これからもご指導ください」と頭を下げ、部屋を後にした。
廊下に出たテオドールは、フィルスの言葉に違和感を覚えた。「過激なものではなくて安心した」という言葉が引っかかる。おそらく、フィルスは彼の能力について何か察しているのだろう。あるいは、他の陰の特性を持つ魔法使いについての知識があるのかもしれない。今後、さらに詳しい観察が入るかもしれない…テオドールはそう考えながら、残りの時間を慎重に過ごすことを決意した。
ふと、テオドールは自分の中に芽生えた不信感に気づいた。「人を完全には信用せず、自然と疑う姿勢…」以前の自分にはなかった思考パターンだ。しかし彼はそれを悪いこととは思わず、頭の隅に追いやった。彼の中で、純粋な少年から、用心深い青年への変化が始まっていた。
月日が流れ、テオドールがヴェリスフォート魔法学校へ旅立つ日がやってきた。夏が過ぎ、秋の訪れを告げる冷たい風が吹き始める季節となっていた。城の前庭で、彼はフィルスとアルフレッド王に別れの挨拶をした。朝の光が彼らの姿を金色に染め、清々しい風が通り抜けていく。庭には最後の夏の花々が咲き、その香りが空気を満たしていた。
テオドールは深青色の旅装に身を包み、肩にはフィルスから贈られた特別な刺繍入りのマントをまとっていた。その刺繍には魔法の防御効果があり、旅の安全を守るためのものだった。彼の顔つきは一年前と比べて引き締まり、目には決意の光が宿っていた。
「今までお世話になりました。これから魔法学校で新たな学びを深めます」テオドールは深い感謝の意を込めて言った。彼の声には、これまでの旅路を経て得た自信と、これからの未知への期待が混じっていた。「先生から学んだことは、決して忘れません。」
フィルスは優しく微笑み、テオドールの肩に手を置いた。「これからの学びが有意義なものになることを願っています。陰の特性を使う上での知識が役立つことを期待しています」老魔術師の目には、弟子に対する誇りと、彼の未来への希望が宿っていた。「君の中には特別な才能がある。それを正しく導くのは、君自身だ。」
アルフレッド王は、少し寂しげな表情で、彼に向き合った。以前の気まずさはすっかり消え、テオドールは王の目をしっかりと見つめることができた。「テオドール、君が新しい環境で良い経験を積むことを願っている。何か困ったことがあれば、いつでも戻ってきてくれ」王の声には、父親のような温かさが込められていた。
テオドールはその言葉に深く頭を下げ、二人に最後の挨拶をしてから、魔法学校への旅路に出た。彼の背中には王城で過ごした日々の記憶と、そこで得た教えが詰まっていた。新たな環境での学びに期待を抱きつつも、自らの特性の使い方については引き続き模索していくつもりだった。
ヴェリスフォート魔法学校へ向かう朝、空は澄み切っており、太陽がゆっくりと昇る中、世界は黄金色に染まっていた。テオドールは故郷を出発する準備を整え、堅牢な革のブーツを履き、必要最低限の荷物を肩に担いだ。彼が纏うローブは、フィルスから授けられた特別なもので、質素ながらも彼の魔力を増幅する神秘的な力を秘めていた。
「さて、ここからが本当の試練だ。だが、これまでの訓練で培ったものを忘れなければ大丈夫だろう」フィルスは穏やかな声でテオドールを励ました。テオドールは師の言葉に深く頷き、感謝の念を込めて軽く頭を下げた。
出発する直前、フィルスは彼にもう一つの重要な助言を残した。「テオドール殿、魔法は常に冷静な心で使うべきだ。もし道中で危険に直面したとしても、力任せに対処しようとはせず、まず状況を冷静に分析しなさい。力は手段に過ぎず、解決の鍵ではない」
テオドールは師の深遠な言葉を胸に刻み、故郷を後にした。彼が向かうのは、魔法使いの名門校として名高いヴェリスフォート魔法学校。遠くに見える青い山々の彼方、新たな冒険と挑戦が彼を待ち受けていた。