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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

聖女の婚約破棄の顛末

作者: 美弾和希

 雲一つない抜ける様な青空。


 さわやかな風が吹いている。


 がやがやと騒がしいガーデンパーティーの会場から一息つこうとでもいうように1人の令嬢が長いサラサラの藤色がかった銀色の髪を風になびかせて、ローズガーデンの方へと歩いて行く。ゆっくりと咲き誇る薔薇の花々の間を通り抜け、薔薇のアーチをくぐるとサァーと突風が吹いた。長い髪を抑えた令嬢が思わずつぶった目をゆっくりと開ける。そのシャンパンガーネットの瞳に青々とした葉を生い茂らせた巨大な木が映る。大人の男性が2人で手を繋いで囲まなければならないほどの太い幹。伸び上がる枝は天高く伸び、真下で見上げれば、後ろにひっくり返ってしまいそうだ。

 令嬢はほぅと小さく息を吐いた。

 その木は王城にある建国当初からあると言われる聖なる木だ。元いた場所で魔物によるスタンピートに見舞われ、命からがら逃げ延びてきた者達が聖なるこの木の下に集まり、作ったのがこの国『ウィンダム王国』だと言われている。


「遅いぞ、セリカ!」


 ぼんやりとその梢を見上げていると突然、不機嫌そうな男の声が掛けられた。声の方へと視線を向けると、巨大な幹の後ろからゆっくりと肩までの輝く金髪をなびかせ、サファイアの瞳を剣呑に細めた青年とその青年の腕に白くて細い腕をからめた小柄でふわふわの柔らかそうなストロベリーブロンドの髪をした令嬢が歩み出てきた。


「私を待たせるとは、ずいぶん偉くなったものだな?」


 男は顎を上げてふんと鼻を鳴らす。令嬢は青年の腕に絡めていない方の手を口元に当てて、エメラルドの瞳をまぁるくしてみせる。


「まぁ、王太子で在らせられるアリオン様よりも偉いだなんて・・・何様のつもりなのでしょう?」


「ふん。聖女様だろ」


 シャンパンガーネットの瞳を一つ瞬いて、令嬢はゆっくりとドレスのスカートを摘み、カーテシーをする。


「セリカ・サイノス、王太子殿下にご挨拶申し上げます。遅くなったつもりではありませんでしたが、お待たせしてしまったことお詫び申し上げます」


「ふん。どうせいつものように役にも立たん祈りなんぞをやっておったのだろう?」


 鼻を鳴らして、上から見下すように目を向けるアリオンの視線の先でセリカはすっと目を伏せた。

 セリカは聖なる木との親和性の高い魔力を持つ者で、祈りで聖なる木へと魔力を注ぎ、国の守りを担う者として聖女に任命されていた。聖なる木と親和性の高い魔力を持つ者はなぜか女性しかおらず、聖なる木を失うわけにはいかない国は聖女を囲う手段として王太子と結婚させて、代々王妃としてきたのだった。

 しかし、平和が続き、聖なる木の恩寵を疑問に思うアリオンは、自分の意思を無視して決められた婚約者であるセリカを嫌っていた。用事がなければ話し掛けないし、用事があって話し掛けても用事よりも嫌みの方が多い。夜会に出席する時も入場時は義務的にエスコートしてくれるが、会場に入った後はその時々に懇意にしている令嬢の元へと行ってしまい、夜会の最中は放置されるのが常だった。

 聖なる木を重要視している王や王妃はアリオンに何度も苦言を呈してくれていたが、彼の態度が改められることはなかった。

 溜息を吐きたくなるのを堪え、セリカは伏せた瞳をゆっくりとアリオンへと向け直す。


「王太子殿下、お話とは何でしょうか?」


 セリカがパーティーを抜け出してここにやってきたのは、アリオンに呼び出されたからだった。パーティー自体現王の即位15周年の記念夜会の前に行われるプレパーティーで、夜会の前日に国内貴族を招いて、王太子主催で行われている。もっとも準備をしてきたのはセリカだったが。アリオンは先程、セリカの隣で澄ました顔で開催の挨拶をして、後で聖なる木まで来いと短く耳元に言葉を落とすと、さっさとセリカの傍から離れて行った。セリカはその後も参加者に気を配り、それぞれが歓談を楽しんでいるのを確認し、軽食や飲み物の状態を確認したところで、女官達に少し席を外す、何かあれば聖なる木の方にいるからと言い残してここに来たのだった。

 アリオンは目を細め、聖なる木を見上げた。


「聖なる木と親和性を持つ女を王妃にしなければならないなんておかしいとは思わんか?」


 セリカは困ったように眉尻を下げた。


「そうは仰っても、それが古くからの決まりですから・・・」


「それがおかしいと思わんか? お前だとて俺のことは別に愛してもいないのだろう?」


「そんなことは・・・」


 ふんと鼻を鳴らしてセリカの言葉を遮ったアリオンは隣に立つ令嬢の腰を抱き寄せた。


「おまえは勝手に祈っていればいい。・・・そうだな、祈りさえ続ければ、結婚も許そう。だが、その相手は俺ではない。俺は愛しいカリーナを妃とする。お前とは婚約を破棄する!!」


「・・・カ。セリカ、こんなところにいたのか」


 アリオンの声に被さるように別の声が響いて、セリカの肩に温かい手が乗り、後ろへとそっと引かれる。

 セリカが一つ瞬くと先程まで目の前に立っていたアリオンとカリーナの姿が消え、そこには巨大な切り株だけがあった。


「あっ・・・」


 夢から覚めた様に瞬くセリカを後ろから肩を抱くようにした男が覗き込んだ。優しいタンザナイトの瞳が気遣わしげな光を浮かべる。その瞳がセリカの視線を追うように切り株へと目を向けて、すっと目を細めた。続いてセリカの抱く花束へと視線を落とし、そっと息を吐く。


「そう言えば、あれは5年前の今日だったか」


 忌々しげにそう呟き、セリカの腰を抱き寄せる。


「君を捨てようとした兄上の為にわざわざ君がこんなところに来なくても良いのではないか?」


 不服をありありと浮かべた男とゆっくりと視線を合わせ、セリカは小さく微笑んだ。


「いえ、婚約破棄と言われましたが、結局破棄はできませんでしたから・・・。それに約束もありますしね」


 もう一度、切り株へと視線を向ける。先程まではっきりと雄大な姿をしていたはずの聖なる木の切り株。今はセリカしかその昔のままの姿を見ることはない・・・。


       ☆


 五年前のあの日、アリオンが婚約破棄すると言葉にした瞬間、眩い光が辺りに満ちた。咄嗟に腕を上げて、顔を覆ったセリカの体を誰かが後ろから抱きかかえ反転するように地面に伏したのと、カリーナの甲高い悲鳴が響いたのはほぼ同じだっただろうか。次の瞬間、どぉーんと重々しい音が響き、地面が揺れた。

 どれくらい経ったのだろうか、長かったような気もするし、ほんの一瞬だったような気もする。ガーデンパーティーが開かれていた方向から幾人もの人がやってくる気配がして、女性の悲鳴が響き渡った。

 重々しい足音がいくつか駆け寄ってきて、その内の幾つかが倒れるセリカ達の傍へと立ったようだった。残りの足音は聖なる木の方へと駆けて行く。


「ラウム殿下、大丈夫ですか?」


 セリカに覆い被さっていた体がゆっくりと離れて行く。


「ああ、大丈夫だ」


 ぼんやりと空を見上げるセリカへ大きな手が差し出された。


「大丈夫ですか、聖女様。お手を」


 自分に向けられた手に視線を向け、気遣わしげな視線を向けるタンザナイトの瞳を見つめる。


「聖女様? 大丈夫ですか? どこかお怪我をしましたか?」


 一つ瞬き、喉が詰まったように出し辛い声を無理やり出して答える。


「あっ・・・。大丈夫です。ラウム殿下、いったい何が・・・」


 差し出された手を借りて上半身を起こすと、目の前では聖なる木の上半分が倒れ、残る下半分からも焦げ臭いにおいと白い煙が立っているのが見えた。


「・・・何が・・・」


 唖然とするセリカの腰に手を回し、ラウムはセリカを引き起こす。体に力の入らないセリカを支えながら、やって来ていた衛兵に指示を出す。


「ここにいる全ての者を別室に案内してくれ。それとこれ以降、調査する者以外は絶対にここへは近付けさせるな」


 傍らに来た側近へも指示を出す。


「陛下へと連絡を取り、ここを見た者全てに緘口令を出すよう願い出ておいてくれ。パーティーを中断し、参加者を帰した後、状況を確認し次第報告に上がるということも伝えておいてくれ」


「はい、承知致しました」


 すぐに踵を返して去っていく背を一瞥し、次に周りに目を走らせる。きょろきょろしながら、小走りにこちらへ向かってくる侍女に手を上げて合図をする。


「聖女様はここだ」


「ラウム殿下!」


 走り寄って来た侍女へとセリカの体を引き渡す。


「聖女様、とりあえず部屋で休んでいて下さい。後ほど報告に伺いましょう。・・・聖女様を部屋へ」


 セリカを送り出すとすぐに身を翻して、ガーデンパーティーの会場の方へと向かう。ざわざわと落ちつかなげな来客達に落雷でボヤが起きたこと、もうすでに鎮火して大事ないが色々と対応があるからパーティーはここで終了する。明日は予定通り式典など執り行うことを説明して、来客達を帰らせる。見送りを側近達に任せるとすぐさま取って返し、聖なる木の元へと戻る。

 倒れた木の周りでは木を退かそうとする兵達が集まっている。


「兄上は救い出せたのか?」


 木の下を覗き込むアリオンの護衛達に声を掛けると顔を青ざめさせた彼らは首を振る。


「なぜか何人もで持ち上げようとしてもどうしても木が持ち上がらず、横にずらそうとしてもどうにも・・・」


(天の怒りか・・・聖女を蔑ろにした兄上への罰だとでも言うのか・・・)


 眉を寄せ、腕組みをし、半分になってしまった聖なる木へと視線を向ける。


(聖なる木が失われてしまった。この先この国は今の平穏を保つことができるのか・・・本当に厄介なことをしてくれた)


 忌々しげに木の下からわずかに見えるアリオンの足先を睨みつける。

 ラウムにとって、セリカは初恋の相手だった。だが、聖女は王妃になることが決まっている。第2王子であるラウムにとって、手の届かない人だった。その彼女を先に生まれたというだけで手に入れた兄は、彼女を蔑ろにしていた。それを見る度、腸が煮えくりかえるほどの怒りを必死に押し殺してきた。父母達も聖女の扱いの悪さには眉を寄せてはいたが、王太子としてはさほど問題があるわけではなかったので、王位継承権を取り上げるほどではないと頭を悩ませていた。

 だが、これでもしかするとセリカを手にできるかもしれないと考えてしまう自分がいる。そんな汚い思いをふぅーと吐き出し、頭を切り替えてどうしようかと思索を巡らせる。


「ラウム殿下!」


 涼やかな女性の声が響き、ラウムは思考の海から引き揚げられる。声の方へと視線を向けると先程部屋に帰したセリカが足早にやってくる。


「聖女様! 休んでいて下さいと申し上げたではないですか」


 迎える様にセリカへと足を進める。

 セリカはラウムの目の前で足を止めると、顔を上げ小さく微笑んだ。


「部屋で座って、温かいお茶を頂いたので落ち着きましたわ。・・・落ち着きましたら、聖なる木が呼んでいるように思いましたので、こちらへ参りました」


 改めて聖なる木へと視線を向けて、セリカは言葉を失う。あの大きく悠々と聳え立っていた木が、無残な姿になっている。体がふらりと揺れるとラウムがそっと背に手を当てて支えてくれた。思わずセリカはラウムの上着の腕の布をぎゅっと握ってしまう。唇をきゅっと結び、それからハッとしたように顔を上げて、ラウムへと目を向ける。


「王太子殿下はご無事ですか?」


「それが・・・どうしても木が動かないようなのです」


 驚いて、木の方へ目を向ける。屈強な兵達が何人も木の幹に手を掛けて動かそうとしているのを見つめ、もう一度ラウムへと視線を戻す。


「ずっとあの様子なのですか?」


「ええ、そうです。色々と手を尽くしているようなのですが・・・」


 考え込むように目線を下におろし、すっと顔を上げるとセリカは聖なる木へと足を向けた。


「聖女様、近付かない方が・・・」


 木の下で潰れているだろう2人をうら若き女性に見せまいとラウムは止めようとするのだが、セリカはまっすぐに木へと目を向けて首を振る。


「私が行かねば、動かないと思います。その為に呼ばれたのでしょう」


「しかし・・・」


 ラウムは心配げに瞳を揺らし、セリカの背を追う。

 セリカは倒れた聖なる木の傍にそっと膝まづき、ゆっくりとその幹の表面へ手を伸ばした。その指が触れた瞬間、聖なる木から光が溢れる。

 ラウムは咄嗟にセリカの体へと手を伸ばし、その腕に中にセリカの体を抱き込む。ぎゅっと抱きしめ、目を瞑っていると、小さな手がラウムの腕をそっと叩いた。


「ラウム殿下、大丈夫です」


 セリカの声にラウムが目を開けると、そこは真っ白い空間だった。目を瞬いて、腕の中のセリカへと視線を落とした。その視線を受け止めたセリカがもう一度ラウムの腕を叩いて頷いた。


「大丈夫です」


 もう一度そう言い、立ち上がろうとするので、ラウムは抱き締めていた腕をほどき、セリカに手を貸し立ち上がる。


「ここはどこですか?」


「私にもわかりません。・・・でも聖なる木の力がこの空間には満ちています」


 視線を巡らせるセリカの視線が一点で止まるのと、重々しい声が響いたのはほぼ同時だった。


『我が巫女よ』


 姿は見えない。でも確かに感じる重厚な気配と聞き覚えのある声にセリカは腰を深々と折る。


「我が主よ。お召しに従い参りました」


 自分をこの場へと導いた聖なる木へと敬意を表する。後ろではラウムも礼をとっている。


『巫女よ。我は穢れをこの身に溜め過ぎた。わが身は近く耐えきれず、朽ちていただろう。今回、王家は我が巫女を蔑ろにした。なので、加護を早期に切り、我は身を休めることにした。巫女達には、これまで我のために尽くしてくれたこと、感謝している』


 加護の終了を宣言され、セリカとラウムは目を見張る。

 長い時間、穢れを吸い取り、魔物を寄せ付けないようウィンダム王国を守り続けてくれていた聖なる木が疲弊していたことはセリカも理解していた。セリカ達聖女は、聖なる木の溜めこんだ穢れを浄化し、木の健康を保つのが役目であったのだが、人が浄化しうる量以上の穢れを溜め込んでいたのだ。だが、聖なる木の命が尽きるのはまだまだ先のことであると思っていた。それが、ここ数年急激に聖なる木の衰えが進んだのも事実。


「私が不甲斐ないばかりに・・・」


 歴代の聖女に比べて浄化能力が劣るのだろうとセリカが肩を下げる。


『巫女のせいではない。・・・巫女よ。我は長く生き過ぎたようだ。王家が我との約定を忘れてしまうほどに』


「約定・・・?」


 問い掛ける様な眼を後ろに立つラウムへと向けるが、ラウムは困惑したように眉を寄せ、首を横に振る。


『遠い遠い昔に交わされたものだ。詳しいものはもう伝わっていないのだろう。それでも我が望んだ我が巫女を慈しみ守るということは守られてきたから、我はそれで良しとし、我も王家の望む加護を与え続けていたのだよ。だが今代、我が巫女は王家に蔑ろにされ、力を発揮しきれていなかった。王家がそういう態度をとるのならば、我も約定を違え、加護を終了しても良いのではないかと思ったのだ』


「約定がどういったものだったのかお伺いしても・・・?」


『今となってはもうどうでもよいだろうが、教えることに否やはない。・・・とても簡単なことよ。『我を癒しうる力を持つ巫女を遣わせるから、その巫女の身を守り、心に愛を満たせ。巫女の心が愛で満ちれば満ちるほど、巫女の我を癒す力は強まり、我は力を発揮し続けることができる。我が生き続けられるのなら、この地を守り続けよう』というものだ。この地の代表者として、王家の者が巫女に愛を注ぎ続けるとの約束だったのだよ』


「王妃にするというものではなかったのですか・・・」


 苦々しげにラウムがポツリと言葉を落とした。それならば、自分の心を押し殺してこなくても良かったのか。そうしたならば、聖なる木を失うこともなかったかもしれない・・・?

 セリカが嫌な思いをすることも・・・?


『我にとって、人間の地位などどうでもよいことだ。巫女の心に愛さえ満ちていれば、我は良いのだから』


 ラウムの握り締めた拳が力の入れ過ぎで、ぶるぶる震えていた。


『ふむ。約定が歪んで伝えられたせいで不幸が生じたようだな』


 セリカは意味が分からず小首を傾げる。


『・・・ふむ。王家の者よ、我と取引する気はあるか?』


「取引・・・ですか?」


『そうだ。我がいなくなると困るのだろう?』


「・・・何の準備もしてきませんでしたから、確かに困りますね。我々は貴方に甘え過ぎていたようです。貴方を失うなんてことは考えておりませんでした」


 ラウムは苦しげに顔を伏せた。


『それが分かっているのなら、我との取引に応じるべきだ』


「その取引とは・・・」


 ふわりと空気が揺れた。聖なる木が微かに笑ったようだった。


『なに、時間稼ぎのようなものよ。そなたらには二つの選択がある。このまま我と取引せずに大勢を犠牲とする道。そして我と取引して、少数の犠牲で済ませる道』


「犠牲・・・」


 セリカが不安そうにラウムへと目を向ける。

 ラウムはセリカへ困ったような顔を向け、眉を上げて見せる。それから、どこに存在するのか判然としない聖なる木へと視線を彷徨わせて言った。


「私は犠牲は少ない方が良いと思うが、貴方のいう犠牲とは具体的には何なのでしょうか? それがはっきりとしなければ、選択することはできません」


『取引をしないのならば、このまま汝らは我の加護を失い、この地は我がいなかった頃のように無防備な土地となる。取引をするのならば、我は我に僅かに残った力を集め、汝らに託すとしよう。それを大事に育て、この地の守りを強固にするも、その僅かな加護があるうちにこの地を守る別の手を探っていくでも、それがあれば汝らが考える為の時間稼ぎになるだろう』


「我が主よ。取引をした場合の少数の犠牲とは何なのでしょうか?」


 取引をしなければ、この地の平穏は終わりを迎え、昔のように魔物に怯えて暮らしていくよりなく、この地の大勢の民が犠牲となるのだろう。他の聖なる木を擁する国に逃れることも考えられるが、土地には限りがあり、その聖なる木がこの国の聖なる木のように限界を迎えることも考えられる。それならば、少数の犠牲でこの地の平穏を延命できるのであれば、そちらの方がいいに決まっている。だが、その少数の犠牲が何なのか、聖なる木ははっきりと口にしていない。それを聞かなければ、安易に選択することなどできない。


『なに、汝らにとっては大したことではないだろう。今、我の下にある者達の魂だ』


 聖なる木の下にいる者達とは、アリオンとカリーナだろうか。彼らの魂をどうするというのだろう。


「魂をどうされるのでしょうか?」


 セリカは固い顔で声を絞り出す。まるで悪魔の囁きだ。

 空気がフッと震えた。聖なる木が笑ったのだろうか。面白そうな響きの声がその場にこぼれた。


『我が巫女は優しいな。己を虐げてきた者を憂えるとは。我にとっては己の行いを己で償えというだけのつもりであるのだがな。・・・あ奴らには、我の穢れを半分負ってもらう。この辺りを結界で封鎖し、長い年月をかけて浄化する。我がこの身に抱えている穢れを分けることによって、我は結界の維持と力の分離を行うことができるだろう。浄化しきるまでは、あ奴らもこの地に縛られることになるが、いつか浄化が終了した時には、天に還ることができるだろう』


 聖なる木の提案はまさに甘露のようであった。もう死んでしまった2人の魂をここに留め置くだけで、何万人もの人間を救うことができるのだ。

 セリカはラウムへと視線を向けた。禁断の選択に彼を巻き込むことに少しの罪悪感を感じつつ、1人で抱えるにはあまりに重い選択に彼に助けを求める様に見つめた。

 ラウムは固く握りしめた拳を震わせ、噛みしめた唇からは血が一筋流れた。顎から一滴血が零れ落ちた時、ラウムは強い光を眼の奥に宿し、目を上げた。セリカと一瞬目が合うもすぐに目を逸らし、中空を見据える。


「聖なる木よ! ウィンダム王国の王族として、貴殿と取引しよう。私は王族として決断する。民を守る為、兄であるアリオンの魂を捧げよう。兄上も王族としてその責務を果たすだろう」


 この決断はラウム自身がしたものだと宣言する。セリカに重みを持たせるつもりはなかった。特権階級を享受してきた王族が担う重責だと。この先浄化にどれだけの歳月がかかるのか分からないが、今度こそ間違いのない聖なる木の望みを伝え続け、この地の民を守っていくのだ。聖なる木に頼り切らない道を模索していかねばならない。全てを背負う覚悟をラウムはしたのだ。そのために、自分の幸せは手放すことにした。聖なる木がいうには聖女は必ずしも王妃にならなくても良いのだ。ならば、セリカは王家から解放し、幸せになって欲しい。こんな負債だらけの王家にいる必要なんてない。

 その時急に左袖が引っ張られた。驚いてそちらへ視線を向けると、セリカが切羽詰まったような困ったような顔でラウムの顔を覗き込んでいた。


「ラウム殿下・・・駄目です。お1人で抱え込まないで下さい。私も共に負います。今この場にいるのはあなた一人でなく、私もなのですから」


 ラウムは眉をキュッとしかめた。セリカの言葉にとても心を揺さぶられた。だが、それを受け入れるわけにはいかないと頭を振る。


「いえ、これは兄上の過失によって生じたことです。王家が責を負うべきです。・・・貴女は、もう何年も苦痛を負わされてきたんです。自分の幸せを求め、貴女の人生を生きて良いのです」


 セリカは首を振り、ラウムの右袖をも握りしめた。


「いいえ、聖なる木には私が必要なはずです。どうか、私も共に・・・」


 ラウムが兄の行いを嫌悪し、セリカに同情しているのを知っていた。同情でもよかった。彼の優しさはアリオンに傷つけられた心の傷を僅かなりと和らげてくれていたから。いつかその優しい眼差しを別の令嬢に向けられるのだと考えると胸がチクリと痛んだ。その痛みから目を逸らし、アリオンの隣に立ち続けた。セリカにはそれしか道はなかったから。セリカにとって、聖女という役目を捨てる選択はなかった。それが自分を押し殺すことになろうと。自分がその役目を捨てれば、大勢の民が苦しむと知っていて、捨てることなどできるはずもなかったのだ。それがここにきて突然、ラウムに自由になっても良いと言われても、「はい」と頷けるはずもない。自分は聖女としての生き方しか知らない。自由にと言われてもどうすればよいかわからないのだ。ならば、自分の心を少しでも救ってくれていたラウムの役に立ちたい。自分の幸せを求めよと言うなら、自分のしたいことはこのまま聖女の役割を果たすことだ。


「・・・しかし・・・」


『王家の者よ。少数の犠牲を選ぶのであれば、我は我が巫女を必要とする』


「彼女以外に巫女となれる者はいないのですか?」


『今はいないな。我は我が巫女以外選ばぬ。お主に我が巫女を託そう。お主が大事に愛しむがよい。お主なら、同じ過ちを犯すこともあるまい。そもそも最初に申したはずだ。汝らに託す、育てよと。我はお主と我が巫女2人に託すと申したのだ。お主1人では足りぬ』


 目を見開き、固まるラウムの手をセリカは正面から握った。


「ラウム殿下。共に頑張りましょう。私はあなたを心から信頼しております。あなたはいつも誠実で、私にも親切にしてくれていたではないですか」


 そう言って、にっこり微笑むと、ラウムは眉をキュッと寄せて頭を振った。


「私が誠実なんてことはないっ! 私はあなたが兄上に冷たく接せられ、心を痛めているのを知っていて、何もできずにいたのだから・・・」


 セリカはキュッと握る手の力を強めて、さらに笑みを深めた。


「ラウム殿下、私達はまだまだ未熟です。これから一緒に、共に頑張っていきましょう。あなたはこれからの私の人生を好きに生きよと申しました。私は私の意志で、あなたと生きる道を選びます。・・・だから、一緒に頑張ってくれませんか?」


 セリカはこれからだと言ってくれている。ならばと、セリカの握る手の上から左手を重ねた。


「これから、でもよいのでしょうか?」


「よいと思います。・・・むしろ、共に生きるのが私では、嫌なのではないかと・・・そちらの方が心配です・・・」


 自分は特別美しいわけではない。ラウム殿下はもうすでに、心に決めた令嬢がいるのかもしれない。アリオン殿下の時と同じことになるかもしれないと急に不安になる。

 顔を伏せてしまったセリカの顔をそっと覗き込み、ラウムは優しく微笑んだ。


「貴女が隣にいてくれるというのは、とても力強いし・・・私は・・・うれしい・・・」


 消え入りそうな声で嬉しいと呟くと唇を噛み、顔をうつむける。


「・・・私は、不謹慎にも兄上が木の下敷きになった時に喜んでしまった・・・」


 セリカは驚き、目を見開いた。ラウムがなぜ喜んだのかわからなかった。彼は別に王位に野心を持っていなかったはずだ。アリオンを支え、彼が王になったら臣下に下るつもりであると常々言っていたはずだ。なぜ、という疑問はセリカの口からは出なかった。セリカが口を開くよりも早くラウムは自嘲気に笑い、続きを吐きだしたのだった。


「私は、これで貴女を手に入れることができると思ってしまった。聖女様・・・セリカ嬢、私はずっとあなたを慕っていた。兄上が貴女を蔑ろにするのが口惜しかった。憎かった。貴女の婚約者がなぜ私ではいけないのか。なぜ、聖女は王妃にならなければならないのかと。なぜ、私は兄上より先に生まれなかったのかと・・・ずっと・・・」


 話している途中で力なく膝を地につけ、先程までセリカの手を握っていた手もするりと抜け落ち、その手はラウムの膝の上で拳を握る。

 セリカは膝をラウムの前に付いた。そっと手を伸ばし、ラウムの頬を包み込んだ。


「ラウム殿下、私はあなたにとても助けられていました。あなたがいたからこれまで頑張ってこれたのです。これから共に頑張るのがあなただから、私はこれからも聖女であろうと思ったのです。私は・・・あなたじゃなきゃ、嫌です!」


 ラウムはセリカと目を合わせ、自分の頬を包むセリカの手に己の手を重ねた。


「セリカ嬢・・・」


 セリカがにこりと微笑んだ時だ。2人の側に強い光が生じた。思わず目を瞑った2人の耳に声が届く。


『この場は封じる。一年に一度、巫女に浄化をしてもらえればよい。年に一度、この日に場は開かれる。そして、主ら2人にこれを預ける。育てるも破棄するも主らに任せよう。巫女よ、我はこれで今使える力を全て使った。主らが生きているうちに再び見えることはなかろう。幸せにおなり。そなたの幸せが我の幸せ、そして力になる・・・』


 その声は次第に小さく遠くなっていって消えていった。

 ふと目を開けると2人の重ねた手の近くに小さな聖なる木の苗木が浮いていた。周りで聖なる木を起こそうとしていた騎士達は風で飛ばされたように少し離れた場所に倒れたり尻もちをついており、一様に驚きで目を見張っていた。目を合わせたラウムとセリカは、ゆっくりと周りを見渡す。倒れていたはずの聖なる木もその下敷きになっていたはずの2人の姿もない。『場を封じる』という聖なる木の言葉が頭を過ぎる。ラウムが先に手を解き、立ち上がる。温もりが遠ざかり、少し寂しく思ったセリカの手元にそっと苗木が下りてきた。その苗木をしっかりと受け止めると、確かな重量がその手にかかる。その重さが先程のことが夢ではないと教えてくれているようだった。そっと苗木を抱き締める。

 立ち上がったラウムは一番近くに尻もちをついていた兵へと歩み寄り、片膝をつく。


「何があった?」


 茫然とした顔をラウムへと向けた兵は、ラウムに気付くと慌てて居住まいを正した。


「ラウム殿下っ! 正直に申しますと私もよくわかりません。突然強い光が生じたかと思いましたら、気付くとこうしておりました」


 強い光とはセリカが聖なる木へと触れた時に生じたあの光だろうと予想を付けつつ、その兵へ怪我人がいないか確認するよう指示をし、兵とは逆方向へと足を向け、別の兵へも何が起こったか確認する。誰もが強い光が生じて吹き飛ばされたと口を揃えて言う。そして光の中に取り込まれ、かなりの時間を過ごしていたように感じていたのだが、話を聞く限りでは光が生じてからそれほど時間が経っていないとのことだ。一通りの状況を確認すると、座り込んだままのセリカの許へと戻る。


「聖女様、立てますか?」


 片膝をつきつつ、顔を覗き込む。


「ラウム殿下、場は閉じられたのですね?」


 真っ直ぐ見つめてくるシャンパンガーネットの瞳へと頷きを返す。


「はっきりと何が起こったかわかる者はいませんでしたが、状況的にはそのようです」


 セリカの手元へと視線を向ける。


「その木が聖なる木が残された力か・・・。ひとまず陛下へ謁見をして、報告をしなければなりませんね。早めにその木を植えた方が良いでしょうし、何よりも事態はとても重いものです。陛下の指示を仰ぎ、動かねばならないでしょう」


 重い溜息を吐いたラウムの顔を見上げて、セリカは小さく笑った。


「重い案件なのは確かですが、ほぼ事後報告ではないですか」


 ラウムは肩を竦めて、首を振る。


「指示を仰ぐ暇などなかったでしょう? お叱りは甘んじて受けますよ」


 ふふっと笑いを零したセリカは、苗木を抱き直し、立ち上がろうとしながら言った。


「私も共に参りますわ。あなたの独断ではないとお話し致しますわ」


「助かります」


 囁くような声でそう言ったラウムは、セリカが立ち上がるのに手を貸しつつ、自分も立ち上がる。そうして、近くにいた兵へここの封鎖と怪我人は救護室に送ることを指示し、ラウムを見つけて駆け寄ってきた従者へは陛下への謁見の先触れを指示した。そうしてから、セリカをエスコートしようと手を伸ばし、ふと首を傾げた。


「その木は聖女様でなければ、持てないのでしょうか? 私でも持てるのならば、お預かりしたいのですが」


 セリカは一つ瞬き、苗木を見つめ、ゆっくり首を横に振った。


「はっきりとは判りませんが、地面に植えるまで私が持っていた方が良いように思います。・・・心配はいりません。重さはほとんど感じません。木の手触りを感じなければ、本当に持っているのかと思うくらいです」


 途中心配げな顔をしたラウムへ笑顔を向けて、片手で抱えて見せる。少し顔を緩めたラウムはセリカの空いた手をとり、城内へと足を向ける。


「謁見の許可が下りるまで、応接間で待ちましょう」



              ☆



 その後すぐに謁見の許可が下り、アリオンから婚約破棄を告げられてから聖なる木との会話、封じられた場のこと、託された苗木のことまで時間を掛けてじっくりと王へと報告した。王は頭痛を堪える様にこめかみを押さえて2人の話を最後まで聞くと、深く息を吐きだした。


「セリカ嬢、アリオンが済まなかった。何と愚かなことを・・・。・・・ラウム、よくやった。問題の先送りといえばそうかもしれないが、とりあえず猶予ができたことは僥倖だ」


 トントンと肘掛を指で叩くともう一度深く息を吐き、ラウムへと目を向けた。


「アリオンのことは気にするな。自業自得だ。己の行いの責任を取らせねばならない。ハリヤ子爵令嬢は、巻き添えではあるが・・・国の為だ。ハリヤ子爵家へ十分な慰謝料を支払い、令嬢のことは飲んでもらうことにしよう」


 それからセリカの持つ苗木へと目を向ける。


「城の庭園にその木を植える場所を早急に手配する。セリカ嬢にはもうしばらく不自由を掛けるが、もう少し待ってもらえるだろうか?」


 セリカはしっかりと頷く。


「もちろんです」


「うむ。今日中には地に植えられるようにする。・・・ラウム、この先のことを話し合わねばならない。しばらく忙しくなるだろう。今日この後、私は臣を集め、このことを協議する。この先のことを話し合うのは明日以降とする。おまえはこのままセリカ嬢に就き、苗木を植えた後は休んでいい。セリカ嬢もだ。2人とも今夜はゆっくりと休んでくれ。明日以降は忙しいぞ」


 慌ただしく立ち上がり、部屋を出て行こうとする王へラウムは慌てて声を掛ける。


「陛下、明日の式典は如何するのですか?」


 額に手を当て、王は再び大きく息を吐いた。


「他国より賓客も招いている。中止にするわけにいくまい。この後のことは式典を終えてからにするほかないか。・・・数日の遅れは問題になるだろうか?」


 ちらりとセリカへと視線を向けた王へ、セリカは軽く首を横に振る。


「数日でどうこうなるものではないでしょう。今までの聖なる木に比べれば、護りの力は弱いですが、すぐに全てがなくなることはないでしょう。私もこの木が早く力を付けるよう今まで以上に祈りを込めましょう。国民が安全であるように」


「そうか」


 ふむと頷く王へ、ラウムはもう一言声を掛ける。


「陛下、聖なる木に頼り切るのはやめましょう」


 王の目が静かにラウムを見返す。


「その辺のことはしっかり話し合わなければならない。おまえがその案を強く推すのであれば、これからのことをしっかりと考え、意見をまとめておくが良い。とりあえず、重臣には今日のことを話しておく。其の上で今後のことを式典後に話し合うと伝えておこう」


 そう言い置いて、今度こそ部屋を出て行った。

 ふぅーと前髪をくしゃりと握りしめ、ラウムはどかりとソファに腰を下ろした。それから、ハッとしたように隣に座るセリカへと目を向け、慌てた様に手を振った。


「失礼しました」


 フフッとセリカは笑い、姿勢良く伸ばしていた背をそっとソファの背凭れへと預けた。


「お疲れですから仕方ありませんわ。私も正直疲れました」


 上目遣いにラウムの目を覗き込んで、セリカは鮮やかに微笑んだ。


「ラウム殿下、私達は運命共同体になったじゃないですか。2人でいる時は肩肘を張るのをやめませんか? ずっとそうしていたら、お互い疲れてしまいますもの」


 静かにセリカの目を見返したラウムは、ふっと口元を緩めた。


「では、敬称と敬語をやめませんか?」


 セリカは目をぱちぱちと瞬いた。


「え?」


「私はセリカと呼ぶので、ラウムと呼んでくれないか? 婚約者になってくれるのだろう?」


 セリカは口をパクパクと開閉する。うん?と促すようにラウムが軽く眉を上げてみせる。


「ラ、ラウム・・・様」


 王族であるラウムをどうしても呼び捨てにするのは抵抗があり、様と消え入りそうな声でつけ足してしまう。

 ラウムはしょうがないというように肩を竦めて見せる。


「すぐにとは言わないが、早く慣れてくれよ」


 そんな会話を交わしていると近衛兵がやって来て、奥庭の方へと案内される。案内された場所は、王宮の奥、王族専用に整えられた庭園の一つだった。美しく整えられていただろうその場は急きょ場所を開けられたようで、ぽっかりと黒い土の部分ができていた。

 その場に待機していた庭師がセリカの持つ苗木を受け取ろうとしてか手を伸ばしてきたが、セリカは軽く首を振って断り、苗木を持ったまま土の所へと歩み寄った。庭師が木を植えられるよう事前に穴を開けていてくれたようで、ぽかりと空いた土の部分には深さ60cm程の穴があった。

 穴の近くにしゃがみこんだセリカのすぐ横にラウムもしゃがみ、片手でセリカの腰を支え、もう片手で苗木の上の方を支えた。ラウムに支えられながらセリカは手を伸ばして、そっと苗木を穴の中へと置いた。セリカがそのまま手を伸ばして土を掛けようとすると慌てたように庭師がそれを止める。


「それは私どもにお任せ下され」


 と叫ぶように言うなり、3人程がスコップ片手に駆け寄ってくる。


「任せよう」


 セリカの腰をポンと叩きながら囁き、ラウムがセリカと共に後ろに下がる。

 庭師達は手際よく木の根元に土をかぶせ、あっという間に整えると一礼して下がっていった。

 残されたセリカは植えられた聖なる木にそっと歩み寄ると、木に両手をかざすと祈りを捧げる。するとパァーっと光が溢れ、ほんの少し聖なる木が大きくなったように見える。


「どうなったんだ?」


「これでこの地に定着したと思います。拒絶はされませんでしたので、これでこの地の加護は継続されることでしょう」


「そうか」


 ほっとしたようにラウムは少し顔を緩める。


「これからどうするのですか?」


 セリカが問うと眉をキュッとしかめた。


「父上との話し合い次第だが、遅くとも私が王位を継いでからでも聖なる木に頼らなくてもよい体制を作っていくつもりだ。おそらくは他の聖なる木を持つ国々もいずれは同じ状態になるだろうから、各国との連携も図っていきたいと思っている。・・・とりあえずは今すぐ危機的な状態になることはないという安心感があるのは助かる。体制を整え終わるには数年・・・下手をすると数10年はかかるだろうからな。セリカには苦労を掛けるとは思うが・・・」


 ラウムの腕に片手を添え、セリカは微笑んだ。


「私は聖なる木の聖女です。もとよりこの木に尽くしていこうと思っておりました。私は私の精一杯でこの木を守り、聖なる木の加護が少しでも長くこの国にあるよう頑張りましょう。ですから、体制を整えることに時間をじっくり掛けて下さい。無理なさいませんよう。無理なくゆっくりでよいのです。政治のことは私にはわかりません。こんなことしかできませんが、私はあなたの力になりたいのです」


 ラウムは柔らかく笑み、セリカの頭をポンと撫でた。


「セリカこそ無理しないように。私達が生きている間にある程度の道筋を作れることを目標にしていこう。すぐに解決を見出そうとすると失敗しかねないからな」


「そうですね。私達2人で身命を賭して成しましょう」


 セリカも微笑んで頷いた。




            ☆




 こうしてウィンダム王国は新たな道を歩いて行くことになった。

 ラウムは1年後アリオンの喪が明けたのちに新たに立太子し、王太子となった。立太子と同時にセリカとの婚約が発表され、その半年後には盛大な結婚式が挙げられた。

 王太子夫妻は積極的に諸外国へ赴き、各国間の連携を深め、国に属さない魔物討伐を専門に行う組織を作り出し、その組織は積極的かつ精力的に魔物を狩っていく。

 各国は資金援助をしてその組織を支え、それまで魔物に怯え聖なる木の加護の範囲内で縮こまって暮らし、国家間の交易は細々としていたものだったのを次第に盛んにし、世界を広げていった。

 人の行動範囲が広がるのに比例するように魔物の行動範囲はどんどん減っていくことになる。


 ウィンダム王国のラウム王は後に交易王として歴史に名を残し、その妻であるセリカ王妃もまた最も偉大な聖なる木の巫女として名を残した。


 そして、ウィンダム王国の王宮内にある封じられた場は、2人が死んだ後もセリカの跡を継いだ巫女によって浄化を続けられたという。魔物が減ることにより、聖なる木が吸収し浄化すべき穢れが減り、封じられた場の浄化も進んだということだったが、それでも浄化が完了し場が開かれるまで長い永い時間がかかったという・・・


ちょっとした補足です。

最後、セリカのことを『最も偉大な聖なる木の巫女』と書きました。これまで聖女としてきたのにここでなんで巫女?となる方もいるかと思いますが、間違いではありません。聖なる木が『我が巫女』と呼んでいたということで、この事件後聖女ではなく、巫女と改められたという裏事情ありということで。

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