第五十話 共感
自分の置かれた異質なこの状況を
何度も頭の中で反芻し、咀嚼する、そんな単調な作業を”私”は繰り返す。
康太も栄田さんもいなくなった虚無の空間の中で、果たして
どのように立ち回るのが正解か? それともじっとしていれば良いのか?
二者択一の問題を前に、私は呆然と立ち尽くしていた。
しかし、立っているだけなのは退屈すぎて1分で飽きが来たから
今度はベッドに座りそっと瞼を閉じてみたけれど、充分な睡眠時間を
確保したおかげか緩い毛布に包まれてそのまま寝落ちするような事もなく
イタズラに時間ばかりが消費されていくのが無性に歯痒かった。
頭の中に鳴り響く、時計がカタカタと秒針を刻む音ーー
真っ黒な画角の中にポツリポツリと浮かび上がる無数の光の斑点は、
注視すると瞬く間に消えていった。
「ファ..」
でも私は結局眠れずじまいで今までの行為は徒労に終わってしまった。
それにイビキを少しかいたせいで、口腔内が乾燥し喉が乾く。
「水くらい..。飲んでも良いよね....」
だから私がベッドから起き上がり、
キッチンの冷蔵庫から天然水入りのペットボトルをコップに注ごうとした時だった。
不意に脳内再生された ”水” という言葉によって、
途端に血の気が引いて視界がブラックアウトし、
暑くないはずなのに全身からジッとりと冷ややかな脂汗が吹き出して止まらなくなった。
「あ..」
「どうしよう..。おみーー」
「みず..」
床には、私が倒れた拍子に一緒に落下し割れてしまったコップの破片。
溢れた水は、白のカーペットを濡らしていた。
♢
「康太、この紙幣なんだけどさ。
真ん中に描かれているおじさんって何者なの?」
「あーそれ? 北里柴三郎っていうお医者さんだよ。
破傷風抗毒素を発見した昔の偉い人」
「あ..。この人が破傷風を研究した人なんだね..」
♢
破傷風患者はうまく喋る事が出来ないから
水をくれと、祈るような格好で訴えるしかないのだーー
♢
潮風公園で午前中の時間の大半を潰した俺たちは
行きと同じモノレール乗り場に辿り着き、二駅先にある台場駅に向かった。
行き先はダイバーシティ東京プラザ
現在時刻は午前11時
「ねぇね康太! あそこに大きいロボットが見えるよ!」
そして、遮蔽物のない道幅の広い歩道を進んで行った先に見えてきた
実物大ユニコーンガン○ムの立像に、栄田は案の定、好意的な反応を示した。
「あんなに大きいの、何のために使うの?」
「別に何か目的があるわけじゃないよ。でもまぁ強いて言うなら、こうして
観光客を楽しませる事くらいだから、今のお前を見るにもう十分役目は果たしただろ」
現に、彼女があそこまではしゃぐ様子を見るのは新鮮だった。
しかし何か役割がないものに価値はないと踏んだのか、
途端にその立像を見る彼女の羨望の眼差しも徐々に薄れていくのが感じられる。
「そう、何だね。じゃあ、あんなの維持費だけ無駄に嵩むただの粗大ゴミじゃん..」
「おいおい..。それは流石に辛辣過ぎないか..?
それに今お前が馬鹿にしたそだ..じゃなくてあのロボット、定時になると変形するんだ!」
「へん..けい..?」
「そうそう! そこん所も考慮してわざわざこの時間帯を狙いに来たんだから!」
そう話すうちにも、先ほどからやけに立像を取り囲む外国人観光客が
増えてきたのは件の”変形”する所を直に見る事が出来るからであろう。
しかし、こんな真夏日にわざわざクーラーの効いた屋内から出て来てまで、
こんな子供向けロボアニメの変形シーンなんか見て果たして面白いのか?
故に、俺は直立不動のまま腕を組み斜に構えるような姿勢でいた所、
壮大なサウンドがどこからともなく鳴り響いた刹那、赤色に光り輝き始めたロボットは
徐々にその形状を変化させていき、頭部の最後の変形を終えた時、俺はただ茫然と
その場に立ち尽くしながらそのあまりの衝撃と感動のあまり落涙したー
「すごい..」
「康太、早く中に行こ?」
「え..? ちょっと待って..。もう少し余韻に浸りたいんだけど..?」
「..? 余韻って、何言ってるの康太?
今、何か余韻に浸るような要素とかあった?」
「そ、そりゃあっただろ..。俺、お台場のガ○ダム見るの初めてだったけど、
やっぱ映像とリアルじゃ迫力が段違いで思わず..」
「うん..。だから、そうだね..。
ロボットが赤く光って形が変わっただけだよね..? 感動する要素なんてあったかな..?」
「....」
このあまりのテンションの落差と、
受容されない自分の審美眼に疑心暗鬼になる気持ちー
そしてそれ以上に、
まるで何もなかったかのように平然と立ち居振る舞う栄田に苛立った俺は、
少し皮肉を込めた発言をしてしまった。
「ふん..。そーかもね..。
栄田は木に巻きつけられたLEDライトとかを見た方が喜びそう..」
「え..? それって、どういう意味..?」
「別に..。ただ低予算で馬鹿みたいに騒げる、安上がりな人間って事..」
「......」
今し方の発言を後悔したそんな矢先、ショックで黙り込んでしまったかに思えた栄田
は俺の顔をじっと見据えながら言った。
「安上がりって、褒め言葉だよね?」
「い、いやごめ..」
「だって、安くたって満足出来るに越した事ないじゃん。
あんまり”上”の味を覚え過ぎちゃうと、下げるのが難しくなるんだよ。ね? 康太」
「..そんな。俺、、俺だってそんな高級嗜好じゃないし、、
『木に巻き付けられたLEDライト』だって本当は好きだよ..。
でも、栄田がさっきの見てあんまり喜んでくれなかったから、少し悔しくなって..」
「え? えぇ?? もしかしてそれでいじけちゃったの??」
「それでって言えば、、まぁ、そうなるかも..。
な、なんか分かんない..? 自分が面白いと思って読んでた小説を友人に勧めたら、
『つまんねー』ってそう一言だけ言われて返された時のあのモヤモヤする感じ..。
だって、パッと見つまらなくたって、どこかに面白い箇所はあるはずじゃん..?
そういうとこに共感して少しは評価してくれたっていいじゃん..」
我ながら、
『共感して欲しい』なんて言葉がまさか自分の口から
出てくるとは思わなかった。自分らしく生きろだの、他人の批評を受け入れろだの、
実体のない世間がバーゲンセールのように押し付けてくる”高尚”な価値観を意識しながらー
いざ我が身となって湧いて出てくるこの気持ちは、
共感を得られない事に対する不満の感情だった。
「ふふ..。何でも思った事を口に出すーー
そんな私が好きだと言ったのは康太なのに、早速矛盾しているじゃん」
「う..」
「でもね」
と、栄田は一呼吸ついてから言った。
「確かに、楽しむべき場面で楽しまなかった私が、康太に
少なからず不快感を与えてしまったのは理解出来るよ。よーく分かる。
から、、さっきは照れ臭くて言えなかったけど今本当の事言うね..」
「え..? 何..?」
すると徐々に、栄田の頬が赤く染まっていくのが分かった。
「実はね。さっきのロボットが変形する場面、ちゃんと見てなかったの..。
あんなに無邪気な顔して、真剣に見入ってる康太の顔が魅力的で、
ずっとそればっかりに気を取られてたから..」
「あ....そ、それは本当に感動してて....」
「うん..。そーだね..。私も同じくらい感動した..。
自分の大好きな人が、あんなにも良い表情をするんだって、ね!」
「そっか、嬉しいな..」
さっきまでの苛立ちはどこへやら? すっかり上機嫌になった俺は
後頭部をポリポリとかきながら、照れ隠しでそっぽを向こうとしたその時ー
突如耳に大きな破裂音が鳴り響いたためそこを向くと、
その音の正体は栄田が自分の手を叩いたものであると気付くのにそう時間は掛からず、
さっきの照れ臭そうな表情とは打って変わり、挑発的な笑みを浮かべた栄田はこう言った。
「はい! これが共感の上手い使い方!!
本当に照れるんだからー! 効果はテキメンみたいね!!」
「は?」
「私ロボットにはあんまり興味ないっつーの!!」
そう言われた瞬間、全てを理解した俺は絶句した。
つまりこいつは、はなから俺の顔など一切見ていなかった。
そしてあの変形に何もそそられるものがなかったという事のみが事実なのだと、
そう理解した時点で、
あの切なそうな表情も瞳も全部嘘だったのだと分かってしまった。
「そっか..。じゃあいつまでここにいる意味ないし..。中でゆっくりしよう..」
悔しい気持ちが
さっきの感傷の余韻に勝ってきたせいで足取りは自然と早くなった。
そんな最中、スタスタと歩き続ける彼の背をじっと見つめながら、栄田は呟いた。
「ふふ..。康太の顔、ずっと見てたのが嘘だなんて、一度も言ってないのになー」




