第四十九話 鼻歌
朝食のために用意したサンドイッチが濡れてしまったかどうかは
持参したリュックサックの中を確認してみないと分からないーー
だから俺は全体的に水の付着した黒のリュックを地面に置いて、
チャックを開け中に入れられたそれを手に取り..
「あ、そうだった。俺プラスチック容器の中にサンドイッチを詰めたから、
初めから濡れる心配なんてなかったんだ....」
「なんだぁ..。良かったぁ....」
「うん。ただ元を正せばお前のせいなんだかんな。ちゃんと反省しろよ」
「う..うん。康太、、ごめんね。服も濡れてて気持ち悪いよね..?」
「別に..、暑いしそのうち乾燥するから問題ないだろ?」
「そうだね。と、ところで康太?
その大きなリュックの中には何が入っているの?」
「あぁ..。えっと、、雨具と、水筒二つ、スマホのモバイルバッテリーと
有線のイヤホン、後は財布くらいだよ」
見た目の重量感の割に、中身はスカスカなリュックサックは、真ん中の方が
不自然にへっこんでおり、歪な形の皺を作っていた。
「へぇ..。スマホ関連のものが多そうだけど、やっぱりスマホは大事なの?」
「ん? まぁそりゃ..。だってスマホなきゃ、なんも出来ねーし..」
なんて話していると、
先の話の槍玉に上がったばかりのアイフォンからピロンという通知音がした。
「あ、なんだろ?」
故に俺はスマホを徐にポケットから取り出し、ホーム画面を見るとそれは
ラインの公式アカウントの通知、隙間バイトの勧誘だったーー以前利用していた
時に追加していたから、今でもこうしてたまに連絡が来る。
そしてそれがわかった事に安堵した俺は、再度画面を暗くした。
「ふーん....。そんなに..?」
「だって、実際に周り見てみろよ」
そう言って、今いる場所の近くにいる人達に目をやりながら説明した。
ーあそこの子連れの主婦は、自分の子供が遊んでいる間にスマホを見てる。
ご飯の献立を調べたり、家族と連絡を取ってるのかな?
ー向こうの海沿いを走っている人は、手首にアップルウォッチを巻いている。
自分の心拍数とか、目的地までの距離、ルート案内をしてくれるから
ーあの芝生の上でたむろしている学生っぽい奴らは、フレンドマッチが
出来るオンラインゲームをやってるね。
「俺もスマホは好きだよ。昔は紙派だったけど、漫画なんか今は全部
デジタルで読んでるしーー」
「康太..」
「え..? なに??」
しかし栄田の表情はこの時、かつてないほど曇っていた。
濁って覇気のない瞳、
そして真一文にギュッと閉じられたその口元は何かを言いあぐねているようで、
でもその上手い伝え方が分からないから必死で模索している時の感じに良く似ていた。
「その..」
数十秒近い時間が経過した。
彼女はようやく硬く結ばれた口を開き、ポツリと一言呟いた。
「私とスマホ、どっちのが好きなの..?」
しかしそれはあまりにも小さい声だったから、
多分本人は自分に言い聞かせる腹づもりか、
はなから独り言に過ぎなかったのかもしれない。
そうして、少し苛立ったような空気を一瞬纏った彼女は直後
被っていた麦わら帽子を取って、それを俺のリュックの開いた口に突っ込んだ。
ーあと、これも..
そう言って、今度はポケットから取り出した紙ティッシュも突っ込んだ。
「え? 何してるの..?」
「別に..。ただ、康太に私のものも持っていて欲しかっただけ..。
デート中なのに、私以外の何かに夢中になって欲しくなかった..」
「えっと、要はスマホいじるなって事?」
「うん..」
と栄田は首を縦に一回ふった。
「だって、だってずっと言えなかったけど..。康太、電車の中とか、駅の中でも
ちょくちょくスマホいじってたじゃん..。もしかして、私といて楽しくない
のかなって、、私に、興味ないのかな、ってずっとずっと不安だったから....」
「あ....」
思い当たる節は多々あった。というのも俺は重度のネット依存で、
数分に一回は無意識にスマホを見てしまうところがある。だからー
「違う。別に..栄田といて楽しくないとか、興味がないわけじゃないけど..。
SNSの通知とかがどうしても気になっちゃってさ..、ってそんなの言い訳か..。
ごめん。もういじんないし電源は切っておくよ..。だから、本当にごめん..」
素直に謝る事にした。
栄田に対し、悪い事をしたという後ろめたさがあったからだ。
「うん..」
そうして、そんな俺の謝罪をはぐらかすように曖昧な返事をした彼女は
何を思っているのかさっぱり分かんないけど、許してくれたら嬉しい。
なんて上手くすり合わせの効かない感情面に振り回されつつも、俺たちは
前へ前へと歩き続けた。あまりサイズ感のない噴水はもう随分後ろの方にあり、
階段を僅かに登った先から見えるのは一面を覆い尽くす凪いだ海の水面
そして遠くの方に見える都会の建造物諸々と、コンテナ船から荷下ろしする
為に使われる朱色のクレーンが多く、午前の熱気に充てられ蒸発した海水は臭かった。
ただそうは言っても海風が吹くおかげで納涼感は得られる。
俺たちは階段を下る中途の石段に腰を据え、リュックからサンドイッチを取り出した。
種類は三つで、具は右から順に、卵、キャベツベーコン、蒸し鶏とトマト
全粒粉で隠し味にブラックペッパーが加えられているそれは、自分の手作りで自信作。
会心の出来栄えだという自負はあるものの、果たして満足してくれるかどうか?
「うん! とても美味しい!」
「ほ、本当..??」
「うん!!」
だから、満面の笑みでそう答えてくれた事が嬉しくて堪らなかった。
「そっか、、嬉しいな..」
そして、普段あまり人に褒められる事に慣れてない自分は、
照れ隠しの意味合いも兼ねて少しだけ鼻の下を掻いた。
「..。本当に、嬉しい....」
「フンフフフンフンフンフフフン..」
「..? 栄田..??」
すると、潮風に揺られながら、彼女は鼻歌を口ずさみ始めた。そして
なんの脈略もないあまりにも突発的な行為である事に驚きを隠せない自分は言った。
「歌、、好きなの..?」 とーー
あまりにも漠然とし過ぎていたし、単純に上手いねと煽ててれば良かっただけなのに
(まぁ、煽てるまでもなく栄田は本当に歌ウマだったが..)、栄田は一呼吸ついて言った。
「うん、大好きだよ!
気分が良くなったり、気持ちが良い時は自然と..」
歌っているーーという結びを、彼女は省略した。
「歌って、良いよね! 活力が湧いて、元気も出るから。
だから私は歌が大好き、なんだっ”た”と思う、本当に好きだった..」
「うん、俺もーー」
と、後に続くセリフを全て言い終える前に、この時、
栄田はまるで何かに取り憑かれたかのように一人でに話し始めた。
「『お母さん』がね。良く、私に歌って聞かせてくれたんだ。
私がちゃんと眠れるようにって、子守唄を何章節か..。聞かせてくれた。
でも、私はいつもそれを最後まで聞く前に眠っちゃうから、最後の方はうろ覚え。
だから自分で勝手に頭の中で作曲して、それを今度は『お母さん』に聞かせる番
だったはずなのに、『お母さん』どうして??」
「えい..だ..??」
「フンフフフンフンフンフフフン..」
「は..?」
「えっへへ..。ごめんごめん!
私歌が好きで、気分が良くなったり、気持ちが良い時は自然と..」
「いや..。それ、、さっきも...」
「フフフフンフフフフン..」
しかし、栄田はそんな事をまるで気にも留めていないようで、
自分の発言の明らかな異常性をちっとも把握せず呑気に鼻歌を口ずさみ続けた。
「歌って、良いよね! 活力が湧いて、元気も出るから。
だから私は歌が大好き、なんだっ”た”と思う、本当に好きだった..」とーー
その台詞をもう一度繰り返し、
サンドイッチを半分食べ終えた彼女はゆっくりと立ち上がり言った。
「ご馳走様! 康太!!」
『お母さん』という不可解なワードを、もう二度と反復せずに。




