第四十六話 新橋のSL
「さて、今日の朝ご飯は何を作ろうかな....」
そう考えていた時、
栄田は厨房の前にあるダイニングルームが見渡せるよう長方形に
切り抜かれたスペースの死角からヒョイと顔を出し、
ボケーっと包丁を手に取り、
野菜を何切りにしようか悩んでいる自分に声をかけてきた。
「康太..。お祭りって何時から..??」
「16時から..」
「へぇ、意外と遅いんだねぇ..」
「まぁ実際そんなものだよ。だから午前は別のプラン組んでるんだ」
「え? 本当に?? どこ行くか聞いても良い??」
「良いよ..」
「少し、、ここから移動するけどね....」
♢
現在時刻は7時30分ーー
俺たちはついさっき家を出発したばかりで、今は田町駅にいる。
「えっと、、電車に乗るんだよね..。それで切符..??」
「そう。ここをこうして、大人一名を押して、上の駅名が書いてある
場所の下にある数字が運賃だから、それを選んでこうして..」
「へぇ..。じゃあ今回は210円もするんだね」
「そうだよ、、」
と軽く指示しただけなのに、栄田は難なく電車の切符を入手する事に成功した。
「あっついね〜..。それに人も多いし..」
「まぁ仕方ないよ..。この時間帯でもそこそこ混雑する駅だからね..」
と、俺はぐるりと駅構内を見渡した。
どこもかしこもサラリーマン達で埋め尽くされており、そんな彼らは皆一様に
白いYシャツの袖を肘の位置まで捲り、この暑さからかハンカチで頻繁に顔を拭っている
汗っかきの人もちらほらと見受けられる。
「みんな、偉いよね..」
その時、栄田が俺の後ろでポツリとそう一言漏らした。
「こんな暑いのに、嫌な顔一つしないで出勤しているって....」
「うん..。俺もそう思うよ..」
事実、俺は本心からそう発言したつもりだ。
ここに来て沢山の大人達に囲まれる度に自分はいつもこう感じるーー
今は16歳、そして新卒の社会人1年目としての正規ルートを辿れば
その時は22歳だから、後6年で俺は無知のまま、この社会という渦に放り込まれるのだと。
そう考えるだけで漠然とした恐怖のようなものが押し寄せてくる。
自分はどんな大人になっているのか? とか、いくらぐらい稼げているのだろうか? とか、
しかし後者に関して言うなれば、ここで働けているようなサラリーマン達だーー
スーツを着れば皆同じように見えてしまうが、彼ら一人一人がそれなりの
エリートコースを歩んできたのは、ほぼ間違いないだろう。
なんて考えながら、俺はリュックから取り出したパスモを改札口にかざした。
ピッという音が一回鳴り、自動改札の仕切りが開く。対して栄田は、数少ない切符の
投入口付きの自動改札を見つける必要があったため少し出遅れた。
「もう!! 不便。何で切符を入れられない改札があるわけ?」
故に彼女は少々ご機嫌斜めのようだった。
改札選びに戸惑っただけではないーー
そこをくぐろうとした時、猛ダッシュで反対側から駆け抜けてきた
おじさんサラリーマンにドンと身体を当てられ『邪魔だ!』
と怒鳴られたのが更に彼女の怒りに拍車をかけたのだろう
「それに何なのあの人! 私が先だったのに..」
「....。本当だよな..。でもああいう人たまにいるんだよ、ここら辺..」
朝早い出勤で時間に追われると気が立ってしまう人がいて、そういう人の
感情を汲んでやれないわけではない。でも公共の交通機関を利用している以上
もう少し周りへの配慮をして欲しいものだ。
「はぁ..。こんな陰鬱な話はもうおしまい!
折角の楽しいデートがつまらなくなったら嫌だもん!」
「それもそうだ..」
「うんうん! ところでさ、これからどこに行くの?
結局家を出る前も教えてくれなかったじゃん..」
「着いてからのお楽しみ」
「ふふ..。昨日とは違って今日は焦らすんだね..」
「まぁな....」
「ふーん..」
正直、変に期待値を上げすぎるのはあまり良くない気がした。
それでも今日一日、俺は心ゆくまでデートを満喫するつもりで、
気分が高揚し普段は言えないような事も口をついて出てきてしまった。
なんて考えていると、
横を歩く栄田は頬を赤らめて俺の顔をじっと見つめているのが認識出来た。
「ごめんね..。暑くって、、私手..しっとりしてるかも」
「良いよ。気にならない」
高音、高湿度の環境下に充てられ彼女の掌から吹き出た汗は、俺の
乾燥肌をしっとりと濡らしていた。こうやって、女性と手を繋ぐのはいつぶりだろうか?
「それより栄田、暑いって、、お前帽子はもう被らなくて平気なの?」
「うんーー平気..。私もう、、機械じゃないから....」
「....??」
そして今日の朝、俺の家を出た時から生じた栄田の口癖に関するある違和感ー
彼女は今までずっと自分の事をaiと自称しており、
それを誇りに思っているような雰囲気を装っていたのから一変..
「私は、、機械じゃない..」
と、ここに来るまでに彼女はもう何度もそのフレーズを繰り返した。
「....。まぁ、別にそうならそうで良いけどさ..。あんま無理すんなよ?」
「あぁもう!! 全然分かってないなぁ! 鈍いよ!!」
「へ..??」
「....。ムゥ、、一度決まちゃった認識ってどうしてこうも崩れないかなぁ..」
などと、独り言のようにボソボソ囁く彼女はこの時、
俺の応答を求めていないように目を伏せた。全くどうしたと言うのだろう?
「ねぇお願い..。今日一日だけは私がaiだっていう認識は捨ててくれない..?」
「うん..」
「あれ? 意外と素直..??」
「そう、かもな..。実は最近俺ずっと気になってたーー」
そう最後まで言い切る寸前の所で、白線の内側に二列になって並ぶ俺達の
前を山手線の電車が通過した。ファンという警笛を鳴らしながらゴォっと風を
切り、急停止する車両から生じた風圧で自分の長い前髪は靡く。
そんな電車が来たのは、エレベーターで駅のホームに降りてから恐らく
1分も経っていないタイミングだったと思う。この駅は降りる人も多いが、
乗る人も多いから、車内は既に満杯の人に覆われていた。
これでは人波に呑まれた栄田をどこかで見失ってしまうかもしれない。
ただでさえ低身長の彼女が大の大人達に囲まるーー故に俺は電車に乗り込んでからも、
決して栄田の手は離さないようギュッと握りしめて、もう片方の手で吊り革を掴んだ。
そして田町駅から二駅先ーービジネスマンの聖地、新橋駅に辿り着いた時、
「降ります!!」
俺がそう言うと、車両内はまるで流動性を帯びた生き物のように
うねり、他の下車する乗客と共に俺たちは外に排出された。
「ふぅ..。やっぱり通勤ラッシュはしんどいな..」
「だねぇ..」
「え..。栄田は知ってるの? 通勤ラッシュの意味??」
と、俺はふと疑問に思って聞いた。
「うん。それくらい知ってるよ!」
「どこで? 何で知ったの?」
「さぁ?? じゃあこっちも逆に聞くけど、
康太が火は触っちゃダメって気付いたのはいつ?」
「..?? いや、知らない..」
「でしょ? 私のもそれと同じ感覚っていうのかな?
いつから知ったとかじゃなくて、既成事実みたいな、そういう感じで、、
へへ!! おっかシーよねぇ..。記憶喪失なのに....」
「....」
「康太聞いてる?」
「あ、あぁごめん。上の電光掲示案内板見ながら進んでてつい..。
ここの駅かなり広いから迷いやすくて困るんだよな..」
「へ?? 私達、もうこの駅で到着じゃないの??」
「いやいやそんなわけないだろ? ここなんて本当に、デートで
かろうじて見れるのなんてSLくらいしかないよ(偏見)」
「えぇ!? SLがあるのこの駅??」
「まぁ、、あるにはあるけど実際に動く奴じゃないよ..。
ただ昔使われてた奴の先頭車両が、今も保存されているだけ..」
「それでも良い! 私一回は本物のSL見てみたかったんだよねぇ..」
「なら別に良いけど、、何でそんなSLに執着するのさ..?」
「だって、『銀河鉄道の夜』に出てくるんじゃん!
私あの小説大好きなんだよねぇ..。ね? ジョバンニ??」
「はは..。それを言うならお前は親友のカムパネルラか?」
銀河鉄道の夜ーー主人公ジョバンニの友人カムパネルラは
”優等生”という設定上、お気に召したのか栄田はクスリと笑った。
二人は、新橋駅近くに位置するSL広場に足を運んだ。
♢
「ねぇね康太!! 私あれに乗りたい!」
黒塗りの車両は、地面より少し高く積み上げられた赤煉瓦の上に位置している。
平日出勤のサラリーマン達を眺めながら、彼女はそんな汽車を指差しこう言った。
「駄目だよ。あれには乗れない、乗れない奴なんだ..」
「そうなんだ、、じゃあ一緒に見るだけって感じ?」
「あぁ..。だから言ったろ、別に何か..」
特別面白いものではないーーと、そう言おうとした時だった。
「ううん..」
と栄田は首を横に振った。
「特別だとか、他より優れているだとか、、そういうのじゃなくて良い..。
私はただ、康太とここに来れたってだけで凄い嬉しいの!」
「ほ、本当に..??」
「うん! 確かに康太が、私を楽しませようと色々練ってくれてたのは
凄い凄い嬉しいけど..、、もっと気楽に楽しんでこーよ!」
「そ、そっか..」
それは、、無理だーー
「そうだね..。じゃあ、そろそろ乗り換え場に移動しようか!」
誰かに見せる『素の自分』なんて所詮、
『素の自分』という演技をしているただの自分ーー
つまり気楽に、愚直に楽しんでいるように魅せるのも演技で、
デートが成り立つのはその背景に何重もの計画が練り込まれているに過ぎないのだ。
俺は思わず鼻から漏れ出そうになる細い息を必死で堪え、
思考は常に栄田に対するある一点の情念へと注がれたーー
「ふふっ..。今日は腹が捩れる程楽し〜いデートプランを
考えているからな栄田ーー」
「ん?? 康太今何か言った?」
「ううん。何も?」
と、俺は嘘をついた。
次なる目的地、
東京湾とレインボータワーが一望出来る絶好の場所に位置した、
『潮風公園』に向かうためーー
今回は、康太=ジョバンニ
栄田=カムパネルラ
という設定付けをする件がありましたが、『銀河鉄道の夜』の結末を知った上で
今作を読み返して貰うと、単純なネタでは無い事が分かっていただけると思います。




