第四十四話 プログラミング部
今日はいつもより目が覚めるのが30分ほど早かった。
現在時刻は6時30分ーー
カーテン越しにうっすらと日差しが差し込む中、欄干の向こう側に
聳え立つビルの近くを周遊する鳥の群れをおもむろに見た。
こんな朝早くから、彼らはどうしてそんなに元気に飛び回れるのだろうか?
などと平凡な疑念に頭を埋め尽くしながら、やがてアスファルトの上を疾走する
車の音に耳を傾けると、案外人間も鳥と同じなのかと思ってくる。
鳥人間..。と某テレビ番組を彷彿とさせるそんなワードが、頭を掠めた。
しかし彼ら(鳥人間)と違い、今の自分のコンディションは絶不調ー
昨晩、今日のデートプランや栄田の事ばかり考えてしまい、興奮の余り
副交感神経より交感神経の方が優ってしまった俺は、まず寝付くのに時間がかかった。
そしてそのせいで通常時より睡眠時間が少なくなってしまったせいだろうか?
頭がぐわんぐわん揺れるような眩暈と、ハンマーで叩かれたような鈍い痛みが走った。
多分このまま足元のベッドにダイブすれば、二度寝はほぼ確定であろう。
「..それでも、、良いか....?」
ただ、もう少しだけーー俺は栄田の寝顔を観察していたかった。
七瀬の手をそっと握り、寄り添うようにもたれかかりながら寝る彼女の顔を
まだ見ていたかった。
なんてしょーもない理由で、さっきから睡魔との格闘を続けているうちに、
俺は目の前の栄田の顔のパーツのどこかに、触れてみたい衝動に駆られた。
恐らく、それは単純な悪戯心からだった。
もしかしたら俺の指先で目を覚ますかもしれない
栄田のリアクションを期待しての事だった。
でもそれとはまた別に、栄田の輪郭、目の大きさ、鼻の形ーー
その細部に至るまでを、彼女という人間を証明し得る情報の数々を、少しでも
記憶に残しておきたいと、そう思う気持ちもあった。
「栄田..」
だから早速、俺は栄田の耳元で彼女の名前を囁き、鼻をギュッと摘んでみた。
すると彼女は『う..ん..』と低く唸った後に、無意識で俺の腕を払い除け、俺は
思わず吹き出しそうになった。機械である彼女にも、人間と同じく肺呼吸を
しているから、少なからず防衛本能と言ったものがあるのか..、、なんて....。
思うと面白い反面、胸が少しだけ、ギュッと締め付けられる。
自分はもしかすると、まだ栄田の事を一人の女性としてではなく、
機械として捉えているのではないか? と思ったからだ。
機械、機械、機械、機械ーー
俺は、ここに来た栄田に対し人間でない事を自覚させるような言動
をしてきた。そしてそれに対して彼女が自嘲的な返しをするのはもう
数度繰り返してきたやり取りだった。
でも、俺にそう言われるたび、栄田はどのような気持ちになったのだろうか?
俺は昔から、国語の文章題とかで頻出される
問. 『この人物の心情をn文字以内で述べよ』
といった問題が大の苦手だから..。
俺はその、苦手な事を理解しようと何度も頭の中で反芻作業を行なっていたそんな時、
「康太....」
「え..」
透き通るようないつにも増した淡い声で、栄田は
濃青色とエメラルド色が混ざったような眼を開けた。
「栄田....」
「朝早いんだね....」
「ま、まぁ」
「それより..、さっき私の鼻触ったでしょ..??」
「あ..。えっと、、」
言い訳のしようがない。まさか起きていただなんて..。
「ふふ..、、寝込みを襲うのは反則だよ康太..」
「....」
「そしてこれはお返し..、、前にあまり肺は強くないって言ってたよね?
だから3秒だけで許してあげる。後、私が良いって”ゆ”うまでは目を瞑って..」
「はい..」
俺は彼女の指示通り目を閉じた。すると彼女は、”よし”と一言。
その後に俺の鼻をギュッと摘みながら、カウントを続けた。
「3・2・1・0! はい、もう終わり!」
「はぁ..」
1秒と、その繋ぎのペースがゆっくりだったからか、
明らかに3秒以上は鼻を摘まれたせいで、俺の肺は新鮮な酸素を求め
ひっきりなしに収縮運動を繰り返していった。
「肺が弱いって、、本当だったんだ..」
「..まーね....。だからあんまり負荷のかかる運動はするなって医者に言われててさ。
中学は一応サッカー部でFWをつとめてたけど、後半は特にしんどくって..」
「そう、、なんだね..。それで、今は..?」
「もうとっくに辞めたよ。しかもこの肺が完全にイカれたとかじゃなくて、
俺の独りよがりなプレーが、皆んなでボールを繋げるポゼッション重視の
チームの戦術にマッチしなくなっていったのが原因。まぁ実質、戦力外通告?
みたいなもんでさ、監督も俺が退部するって言っても、引き留めはしなかったよ」
「じゃあ..」
「そーだね..。サッカー辞めた後も未練がましく、とにかく身体動かしたくて
高校からは卓球部に入ったけど、結局長続きしなかった。そしてそっからは
ズゥっと帰宅部ーー」
「ふーん..」
と、ここまで俺が話した後に、栄田は不満足げな顔を浮かべ言った。
「でもそれ、康太にとってしてみればどうなのさ?
やりたい事辞めちゃって何もしないのは、勿体無いよ!!」
「それは、、そうだけど..。今更何すれば良いのか..」
すると、今度はニヤリと笑いながら栄田は話を進めた。
「ふっふっふ、、だったら私達で何か新しい部活を作れば良いんだよ!」
「え..??」
「康太ってさ、なんか趣味とかあったりする??」
「ま、まぁ..。プログラミングならちょっとだけ..」
「本当!? 私もプログラミング得意だよ!
某国の機密情報に不正ログインしてハッキングを仕掛けたり、
ランサムウェア攻撃で動画提供サービスを停止させたり!!」
「は、はぁ?? ニ○ニコ動画の件って、まさかお前が..」
「なーんて、冗談に決まってるじゃん! でも私が
プログラミング得意なのは事実だよ。康太が作りたいアプリの概略とかを
教えてくれたら、私がコード表を書いてあげるしね..。というわけで!!
私と康太の二人で、康太の学校にプログラミング部を作ろーう! わーい!!」
「....」
「あれ..。表情暗い..。ああそっか..。康太の高校に行くためには、
編入試験? みたいなの受けないとダメなんだっけ..。いやその前に
戸籍はどうしよう..。康太の妹って設定いけるかな??」
「と”ゆ”うか、私ってパッと見女子高校生に見えるかな..?
言わない限りaiだってバレる事はまずないと思うけど..。ねぇ康太?」
「....」
「康太..?」
「..。そうだな..。作ろう、、プログラミング部..」
「うん!!」
嬉しそうに、そう返事をする栄田を尻目に立ち上がり、
俺は近くにある机の上から何も書かれていない画用紙の切れ端を一枚と、
油性のマーカーを無造作に取り出した。
「康太? 何してるの??」
「何って..、部活作るんだったら、まずはここが何部だって、
証明する表札みたいなものが必要だろ? だから..」
「ふーん..」
栄田はイマイチ納得していなさげだ。
でも、俺はもうほとんど殴り書きと変わらないような汚い文字で、
画用紙の中心部に『プログラミング部』と、大きなゴシック体で記した後で、
未だ困惑の色を浮かべる彼女をよそにーー
「後は..」
例の画用紙の四隅にテープを貼り付けたものを、自室の扉の外にくっつけた。
「出来たよ! 栄田..」
「な、何を作ってたの??」
と、栄田はステップを刻みながら満面の笑みでこちらに近付いてきた。
しかしそんな彼女は扉の外側に貼り付けられたプログラミング部の表札を見るやいなや、
先ほどまでの笑顔を消失させ真顔になった後、口をとんがらせながら言った。
「えー!! 違うよ康太!! 家に作るんじゃないよ。
康太の学校で、どこか空き部屋を部室にして貰うの!!」
「うん..。分かってるよ、、そんな事..」
「じゃあどーして??」
と、栄田はあどけない子供みたいな顔で質問してくる。
彼女のリアクションが俺には苦しくて、胸が張り裂けそうになる。
でもここで彼女達に、
『だって君たちはもう死んでるから』と言う勇気は無い。
だから震えるような声で、今にも漏れ出そうな切なさと、愛しさと歯痒さが
入り混じった不協和音のような感情を必死に咀嚼しながら、俺はこう話を続けた。
「だって、今は夏休み期間中で学校もやってないし、お前が言うような
部室だって借りれない。だからここは、一時的な仮設施設だよ!!」
とーー平然とした顔を装い、冷や汗を手で拭いながら淡々と述べた。
そしてそんな俺に対し栄田は、
「そーなんだ..。じゃあ今日はプログラミング部の発足記念日だね!」
と、ここに来て一番の笑顔でそう答えた彼女を見て、
「うん..、あーごめん..。お腹痛くなってきたからトイレ行くわ..」
好きな人の前で、泣き顔を見せたくないそれだけの陳腐なプライドが働いた俺は、
適当な体調不良を装い浴室の近くのお手洗い場に駆け込み、しばらく泣いていた。




