第三十九話 教師
胸から浮かび上がる立体映像に表示された残り時間は後僅か3分
この時間内に栄田愛華にある一定量以上の油を臍窩(おへその事)から摂取
させないと、彼女の人格にまつわる全データが消去されるらしい。
とはいえ、もうこの家にそんな彼女のエネルギー源となり得る油がない以上は
手の施しようがなく、俺はただ今も一秒一秒、タイマーの値をすり減らしていくのを
眺めながら絶望する事しか出来なかった。
残り時間2分 40秒ーー
『人生は、幾つになってもやり直しがきく!』
しかし手遅れになったこの状況で頭の中を走馬灯のように駆け巡った
のは誰の受け売りかは分からないが、
もう何万回も世界中のどこかにいる人間が吐いたであろう綺麗事で、
その言葉の主は俺にまだ諦めるなとそう訴えかけているみたいだった。
でも、、果たしてそれは誰の言葉なのだろう?
などと逡巡した挙句栄田の胸元のタイマーが二分を切った刹那、
脳が弾け飛ぶような感覚と共に自意識は6年前の小学四年生だった時に繋がった。
♢康太の過去 1
人生は、幾つになってもやり直しがきく!
これは俺がまだ小学校4年生だった時の、クラスの担任の言葉だった。
生徒からの人望も熱く、熱血漢で曲がった事は大嫌いな先生。
名を神山和義と言い、年の頃は30代半ばー
教師としてもアブラののってきた浅黒系のイケメン先生で
既に結婚しており子供も出来ている。そんな彼は、
良くも悪くも愚直で一部脳筋と揶揄する連中もいたが
当時の俺からしてみれば芯の通った立派な人物で、少なくとも
イジメを学校の体裁の為に隠蔽したり、間違った言説で未熟な子供達を
懐柔させ扇動したりと、そういう屑な教師陣の中では比較的マシな方だった。
そして彼を称賛する
エピソードは俺の記憶の波から引っ張り出してきても枚挙が無い。
それにもう6年も前の話だから、仮に思い出してもその記憶の信憑性は如何なものか?
だからこれから語るのは、いつでも思い出せる、忘れもしない事実の話。
さて、場面は当時俺が通っていた芝山小学校に切り替わった。
全部で計4クラスの創立百年を迎えた歴史のある公立校ーー
子育ての支援制度が充実している事からファミリー層の人気も高く
生徒数は過飽和状態で1クラスあたり大体30人前後。
男女比はほぼ1:1、大なり小なり程度の違いはあれど和義先生の掲げた
『一致団結』のスローガンのもとにそこそこ団結したクラスではあった。
年に一回開催される運動会、学芸会、音楽会ーー
結局そのどれも優勝したり、何か素晴らしい結果を残した訳ではなかったが、
先生は行事が終わるたびに顔を涙で埋め尽くし、結果云々についてを咎めたり
賛美するよりもまずは、生徒一人一人の努力を誉めてくれた。
だから人と比べて足の遅い早生まれのA君だって、サビになると声の転調する
ソプラノ歌手のB君も、先生の前では皆平等に扱われた。
それなのにーー
「おい●●。お前のせいで運動会負けたんだけど?
最後のクラスリレーで皆んながこれまでリードしてきた分を追い越されて、
謝罪も無しで済ませられると思ってるわけ??」
どこにでも、人の能力に優劣を付けたがったり、誰かを戦犯扱いして
容赦無く袋叩きに出来るような人間はいる。
そして問題なのは、
そういう人として欠陥がある人間が権力を持ってしまっているという事だった。
それも自分の成した事ではなく、生まれた時点で手に入れたに等しい”親”の権力ーー
つまりだ。当の本人はただの放蕩息子
それでも例えばそいつがかの有名な実業家の子供だったら??
同学年の生徒や、あまつさえ従うべき教師でさえも高圧的に振る舞う問題児
それでも例えば、そいつが区の教育委員会の委員長の息子だったら??
それだけで箔がつく。
運動会はただ、親が子供の勇姿を見て褒め称える行事では無い。
区の町内会役員、教育委員会、こういうどこの誰かも知れない有力者達へ向けた
学校側のいわば広報活動のための行事だ。
だから今回、教育委員長の息子がその勇姿をお披露目した会で負けた。
そして先生がその負けた原因を作った生徒を”褒めた”というのはかなり不味かったようで
恐らくドラ息子がお家に戻りあいつのせいで負けたなどと泣きついたせいか、
和義先生はある日、授業まるまる一時間潰し校長室に呼び出された。
恐らく犯した失態と今後の処遇についての取り決めだろう。
しかし当時の俺はそんな事を想像するほど出来てなかったから、
いつになく険しい表情で戻ってきた先生と”最後”の帰りの学活を済ませ
お別れの挨拶をした。ただ、明日日直の当番だった俺は先生に呼び出された。
一日前なのにもう日誌を渡すらしい。というのも
四年生もそろそろ終わるという事で、これから日直当番になる人は一人
1ページ日誌の空欄ページにクラスの感想を書く事になっていたのだが、
思いの外皆んな凝ったのを書いたり人によっては挿絵も入れているから、
俺も何か嗜好をこらすんだったら時間があった方が良いとの事だったが、
まさかこんなのを家で書くわけないだろと思ったーー
でもこの時の和義先生はいつになく元気がなく、
いつもの明るいスマイルはもうどこにも見受けられなかった。
「あのなーー」
「はい?」
「先生はさ、もしかすると来年から別の学校に移る事になるかもしれないんだ」
寝耳に水だった。そんな素振り見せなかったのに、何故いきなり
そんな事を言い出すのか? でも、先生は自分の発言に対する質問を
求めていないように見えた。
だから俺は悲しそうな顔を作り、
「そう、、ですか..」 と子供ながら、悲観めいた演技をした。
そしてこれが、和義先生との”最後”のやり取りだった。
「さようなら!!」
この会話の4分13秒後ーー
先生は例のドラ息子を殴り、自らの教職員人生に終止符を打った。




