第三十五話 不発
=You are a robot
栄田が提示した謎の文言に、俺はベッドの上で頭を捻った。
「当たり、、前じゃないか..?」
「うん..。でも不自然だと思わない?
こんなわかりきった事を、お母さんは何で最後にプログラムしたのか..」
”最後”。と栄田が強調したいのはそこのようだった。
確かに彼女の発言を受けた今、
俺も自明だと考えていた事象を再考する結果となっている。
「その前のプログラムされたデータは..?」
「だめ、、全部消去されていて見る事が出来ない..」
「うん。じゃあ、さっき怒ってた理由は..?」
「..。別に怒ったわけじゃないけど、、
康太に指摘されて、凄く頭が痛くなった。
記憶に、過去に、何か触れてはいけないような気がしたの。
それで自然にあんなぶっきらぼうな言い方になったのはごめんね..」
「そーなんだ..。なら別に良いよ..」
「本当に..?」
と、栄田は改めて確認を求めるためか、俺の方へ視線を送った。
ブルーカラーの綺麗な瞳が、水晶のような輝きを放ち、奥底で揺らいでいる。
「本当だよ」
「じゃあ、証明して..」
そう言いながら、彼女は両腕を横に広げ、
上半身をムッとこちらに突き出してきた。
七瀬が本来寝るはずの掛け布団を占有しながら、
その上で茶道部顔負けの見事な正座を組んだ状態でーー
だからそんな栄田の意図を推察するのは数十秒もかからなかった。
「良いよ」
「うん..。正解..」
と、耳元で囁く栄田
正面から抱き合う形となったせいか、彼女の小さな顔は今
俺の肩の上にちょこんと乗っている状態であり、そこから定期的に
生じる荒い吐息やらが至近距離からかかってくる。
冷房はつけていて部屋はキンキンに冷えているから汗なんて
かかないはずなのに、密着した体勢を維持したせいか二人の体温は
溶け合いみるみる上昇していった。
それに、ドクンドクンと心音が間近から聞こえて来る。
こんな状況を何度も何度も頭の中で咀嚼し、自分なりに解釈し、
先程からまるで嫌がる素振りの見せない彼女そっちのけで天を仰いだ。
しかし天とは言ってももっぱら、あるのは単色光を放つLED電球のみで
他には天井にあるシミの数でもそらんじるのがセオリーなのだろうが、
梅雨の時期になってもカビの一つも生やさないよう除湿を心がけている手前
それは一つも観測されず、ただひたすらに無意味な時間となってしまった。
「..。栄田..」
「何..。康太....?」
「..いや、何でもない......」
「そう..。でも私は何でもなくはないよ康太..。大好き..」
「ありがとう..」
「..泣くほど嬉しいの..?」
「嬉しいに決まってるじゃん..」
「良かった..。私、ずっと不安だったから..。
あの時、、康太はただその場の雰囲気に呑まれて私としただけだって、
ずっとそう思ってたから..」
「そんなわけ、無いじゃん..」
「うん..。痛いほど伝わってきたから、安心して..」
いや、そうでもない、、か..。
無意味に消費されていた時間に与えられた意味をただ噛み締めた俺は、
この幸せな時間が未来永劫続いて欲しいと心から願うばかりだった。
そして今の会話を通して、俺は栄田に、嘘を一つも重ねていない。
だから栄田も俺に嘘は言わないだろう..。
しかし、それが俺からの一方通行の期待である事を認識する度に、
何度も身体が震え上がったし、自然と涙もこぼれ落ちた次第である。
それでも、俺はこれを聞かないといけない..。
自分にかけがえの無い感情を与えてくれた彼女もまた、
ここでの生活に満たされ、無事成仏してくれるのかを..。
「栄田..」
「ふふ、、今度は何でもないなんて無しよ..」
「分かってるよ。ただ、一つ教えて欲しい..」
「はい....」
とここで、俺はフゥッと一呼吸つき、
恐らく人生史上五本の指には入るであろう覚悟の必要な行為に及ぶーー
「栄田、、お前も、満足してるかどうか..。
それこそ酷い誇張表現だけれど、、もう『死んでも良い』くらいに..」
まるで時間が静止したかのような深い沈黙が場を支配したが、
時計の秒針の音がその比喩表現を否定し、カタッと長針の示す目盛りをずらした。
それを見て、自己喪失感に見舞われていた自分は何も言わなくなってしまった
栄田を横目に立ち上がり、外のバルコニーへと繋がる窓ガラスの方へ移動した。
ただ作業で脳を埋め尽くすためにガラスを指でキュッとなぞる。
外との気温差で結露が生じており、指先は冷たい水に濡れた。
そんな指を、ただボォっとした面持ちで眺めると栄田はここにきてようやく
立ち上がり俺の方へと歩み寄ってきた。
かと思えば、今度は背中を思い切り叩かれた。
今までに見た事のない、儚げで美しい表情を浮かべながら、
彼女の肉体は徐々に朧げになり、今にも空気と同一化して消えてしまいそうでーー
「栄田..。俺!!」
そんな彼女を見て、俺は否定されるかもしれないと、、
消極的な姿勢でいた数刻前の自分をぶん殴りたい衝動に駆られた。
なんで最後まで信じてあげれなかったのだろう..。
なんで、栄田は、、俺の事が本当は好きじゃないって、、
短い間だったけど、その意思表示を沢山してくれた彼女の心理を
分かりきっていたのに、、
「分かってるよ..。だって私、aiだから..」
「私、康太の事、心の底から愛してるよ!
もう、死んじゃっても良いくらい!!!」
♢
「はー良いお湯だった〜..。
康太くん、栄田さんは......??」
「七瀬か..」
何もない虚無の空間に現れた七瀬は、
事のあらましなどちっとも分からないから無垢な表情で語りかけてきた。
そんな彼女に今は、、少しイラつく..。
「うん。七瀬だけど、栄田さんは..?」
「七瀬」
「何..?」
「なんでもない..」
と、さっき栄田と語り合ったやり取りを繰り返してみた。
それでも、心の中に泥のように溜まった虚無感は増すばかりで、
俺はもう何のために生きていれば良いかその境界はすっかりぼやけ霞んでしまった。
もう、これ以上七瀬に敢えて自分から投げかける言葉も無い。
まぁ強いてこの状況について貴方の感じた事を好きに述べよと問われたなら、
風呂上がりの七瀬のパジャマ姿がチョー可愛くて興奮を抑えきれませんなんてのは
冗談で、ただもうどうでも良いからこんな時間早く終わってしまぇってマインド
しかしいつまでも七瀬に扉の近くに突っ立っていられると、
それをいちいち目の端に捉えないといけないという無駄な労力が生じるし、
誰かの為に気を使って生きていくなんてもう、自分の本分では無い。
その誰かの為に生きるという、昔自分が人生最大の美徳でありそうする事
こそが史上であると殊勝に心がけていた数分前の俺はもう死んだからーー
何で..
「ところで、栄田さんは?」
もう、扉の近くで立つのをやめ、わざわざベッドの隅で体育座りを少し
崩した変な格好で座っている俺の方へと近付き、吐息のかかる位置でこう囁かれた。
何で..
栄田ーーと、その声が鼓膜を震わせた瞬間、スピーカーで何倍にも拡張されたかの
ようになったそれは頭の中をひっきりなしに掻きむしり脳細胞を破壊した。
そのせいで中枢神経が麻痺ったのか、反射で立ち上がったものの目眩が生じ、
足元のおぼつかないまま俺は再びその場で倒れ込んだ。
何で何で何で..
「康太くん!! あ、、栄田さんどこに行っていたの..」
「少し外の空気吸ってたの..。って、、康太!! 大丈夫!!」
何で、、と疑問符をいくら重ねても事実がある以上認めざるを得ない。
俺が好きで、その為なら死んでも良いと言った栄田ーー
16年生きて、あの瞳には嘘は宿っていないという確証があった。
それにあの時、栄田の身体は確かに消えかかっているようにも見えた。
でも、一歩及ばなかったーー
「栄田..」
栄田愛華は、成仏しなかった
第一部 『人間と機械』編 開幕 !!




