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第三十三話 幸せチェック

 栄田の膝の上で涙腺が緩み、泣いてしまった。


 こんな醜態を晒しながらも、嫌な顔一つせずに微笑みかけてくれる。

寛容で、慈愛溢れるそんな彼女の事が好きだ。


「ところで、七瀬は..?」

 「もう帰ってきてるよ。一時間くらい前かな..?

  気を失っている康太を見て焦ってたけど今は大分落ち着いてるよ..」


「ん? 落ち着いてるって、どういう意味..?

というか、あいつこの部屋にいないけど、どこにいるんだ..?」

 「リビングのソファで横になっているよ。

  かなりの取り乱しようだったし、疲れて寝てるかも..」


「ふーん..」


 心配してくれた事は純粋に嬉しいが、程度の大きさは予想外だった。

取り乱して寝る?? 普通そんな風になるだろうか..。


 「多分、というか当たり前の事だけど..。私達二人にとって康太は、

  いわば生命線のようなものじゃん..。だから急に気を失ったまま、、

  なんて最悪の事態に陥ったら路頭に迷う羽目になる..。

  そういう結末を想像して、、って感じの慌てようだったな..」


「そっか..」


 当たり前ーー


 栄田のその一言が、ついさっきまで安易に死を選ぼうとしていた自分の

浅はかさを浮き彫りにした。俺には想像力が足りて無いから、自分がいなくなって、

この二人がどうなるかまるで考えられていなかった。


 栄田は最悪一人でもなんとかなるとして、、問題はやはり、七瀬だろう。


 俺の彼女設定という事でこの家の滞在を許可されているだけのあいつは、

もし自分が死んだらまずは、その設定が虚であると親にバレ、追い出されるのは必然ーー

そうなれば、あいつは一体どうやってこの先も生活していくのだろうか..?


 警察に保護して貰い、児童養護施設に入るのか..? 

生きてない、幽霊の七瀬あいつが..。

恐らくそれが一番堅実な道ではあるのだろうが、、


 と、俺はこの時初めて、七瀬の視点に立って物事を考えられたような気がした。


「確かに、、もし俺が死んだらあいつは..」

 「大丈夫だよ..」


「栄田??」


 しかし独り言のように呟いた俺に対しどういうわけか、

栄田は悲しそうな顔を作りこう答えた。


 「康太が死んじゃっても..。私が七瀬さんを支えて、、

  そうやって二人で協力しながら生きていくから、大丈夫..」

「栄田..」


 「うん..。だから安心して..」


 と、彼女は俺を説得する。だから尚更不思議で仕方がない。

こういう時普通の人間ならドヤ顔で言っても良いものを、彼女は今にも

泣きそうな顔を浮かべ、絞り出すように声を発す。


「へへ..」


 でも、それに触れてはいけないと、俺の中の何かが叫んだ。

さっき膝上で落涙してしまった俺の事を言及しなかった栄田のように、

俺もまた、彼女の心理に探りを入れるような事はしてはいけないとそう思った。


 そしてその代わりといってはなんだが、俺と栄田ーー


 二人とも、しばらくお互いの顔を見つめ合って、そんな時間が長く続いた。


 やがて動き出したのは栄田で、彼女はそっと俺の肩に腕を回し、

そのまま掛け布団の上に自分を押し倒す。


 何か悪い事をする前の子供のようにニヤリと笑い合って、後は示し合わせるように、

顔を接近させてくる栄田に促されるまま目を瞑る。蕩けるような甘い感触が舌を覆った。


 「....」


 気まずい沈黙が流れた。


 栄田は半ば強硬手段に出た手前、少し罪悪感を抱えているようだった。

そんな彼女にとって、行為前の合意の有無は大事な要素なのだろう。

とはいえ今回はキスだけで終わった。


 前回はそれ以上の事もしたはずなのに、俺も、そして多分栄田も、、

今この瞬間が一番もどかしく、恥ずかしかった。


 でもきっとそれは、俺達が色々と段階を飛び越えすぎたからなのかもしれない。

普通の恋愛だったらまずは、親密な関係になるまで話し合って、ある一定の基準を

過ぎたら恋人になって、そして最終的な到達地が男女の肉体関係といった感じだ。


 それなのに俺たちはいきなり、最初の過程を通り越して最後にいってしまった。

お互いの感情を重ね合わせたのはその後だ(結局俺は言えずじまいだが..)


 だからこの先は、一度中途に戻り、階段を上るように愛を育めばーー


 「康太..。私七瀬さんの様子を見てくるね!」


 なんて悠長にやっている時間は、俺達には残されていない。


 ♢


 さて、俺もずっと一人で部屋に篭っているばかりじゃ鬱屈とした気持ちも晴れない。


 栄田は七瀬の様子を見に部屋の外へ出たが、俺もそうしようと思う。


 七瀬に会ってもう一度、面と向かって『ごめんなさい』とそう伝えるんだ。


 エアコンの冷気にあてられ、すっかり冷え切った金属製のドアノブに触れる。

鳴り止まぬ動悸と、首筋から湧き出る冷や汗ーー


 緊張で胃が痛い。


 

 ガチャ



 見慣れた白い壁面。昔業者が家具を搬入する際に不手際でついた傷ーー

ピカソの絵、モネの絵、ダヴィンチの絵、誕生日祝いのケーキの蝋燭を垂らしてしまい、

はいだは良いものの白い跡が残ってしまったコーティングされた床。


 目線を正面に移す。


 一度だけバルコニーの欄干に烏が止まっているのを見た事があり、

驚かせようと近くにあった金平糖を投げた窓ガラス。


 家電量販店のセールスマンにゴリ押され購入する事になった、

無駄にサイズの大きいテレビ。数年前から愛用しており、ダニが大量に

繁殖しているであろう黒のカーペット..。


 安物で良いのに、一生物だからと、わざわざ北欧製の高いのを

海外からお取り寄せしたL字型のソファーー


 本来ならここで七瀬が寝ているはずだった。というか、

他に寝る場所なんて、残るは母の寝室くらいしか無いのに、七瀬の様子を

見に行くと言った栄田が扉を開けたのは一回切りだから、あいつは果たして

どこに消えたのだろうか? 栄田もいないし..。


 目線を右に動かした。


 その時、パンパンという破裂音が二回鳴ったと思えば、俺の視界をヒラヒラした

紙が覆い、火薬の匂いが充満した。


「え..」


 「康太!! サプライズだよ!!」


「え、、え..??」


「康太くん..」


 目の前にいるのは、栄田と、七瀬ーー

栄田は満面の笑みを貼り付けている一方、七瀬の方はどこか浮かない顔をしている。


「な、七瀬..」


「ごめんなさい!!」


 だからそれは予想外の返しだった。

するとここに来て、頃合いを見計らった栄田が、隣に立つ七瀬の方を向きながら言った。


 「今日の朝さ、七瀬さんが不機嫌になるドッキリ? 

  みたいなの私に仕掛けたじゃん。その時の演技があまりに迫真で

  私まんまと騙されちゃったから、良いアイディアだと思ってパクらせて貰ったの!」


「ごめんなさい..。康太くんを良い意味でサプライズするはずが、、

一度不快な思いにさせちゃってごめん..」

「あ、、ま、マジか..」


 「ふふ..。そんな驚いている康太にーーじゃん!! さっきスーパーから

  帰ってきた七瀬さんが買ってきてくれたんだー! ホールの

  チョコレートケーキ! ザッハトルテ?って奴なんだけど、美味しいのかな..?」


 栄田に手渡された赤色の正方形のパックは、黄色の紐で結ばれている。

中央部の白いロゴが外国語なあたり、海外からの輸入品なのだろうか?


「ありがたく頂戴するよ..。ありがとう七瀬..」

「ううん..。康太くんが喜んでくれて何よりよ..」


 「うへへ..。それよりさーーもう3時だよ?

  どう? ティータイムのお供に頂くっていうのは..」


「あっはは..。栄田。お前はじめからそれが狙いで七瀬に買いに行かせたなー?」


 「ち、違うもん! だって私、ケーキとか..。食べれないし..」

 

「ふふ..。でも”形”だけは楽しみたいんだって..」


 「そーそー! ケーキは食べれなくても、みんなと食卓を囲むのが大事!

  じゃあ私は、七瀬さんが買ってきてくれたであろう高級オイルを頂こうかな」


「あ、、えっとそのね..。

ケーキでもう大分予算オーバーしたし、今後の食費の事もあるから、、

栄田さんはこの特売のサラダ油で我慢してくれないかな..」


 「な、、さ、サラ..」


 ガックリと肩を落とす栄田。


 その背中を思わずポンと叩いた俺ーー


「ドンマイ」


 「うぅ..、、

  そうだよね。康太を喜ばせるために計画した事だから!」


「あれ..? 栄田さん随分康太くんに従順じゃない? 何かあったの?」


 「ま、まぁねー』


 中々鋭い指摘をする七瀬に、俺と栄田は二人顔を見合わして笑う。


 幸福に満ち溢れたこの時間を再確認するように、笑い合う。


 そうでもしないと、もう頭がどうにかなってしまいそうだった。


 




 

 






 




 




 


 



 




備考:


作者はザッハトルテが大好物です。

細心の注意を払ってはいますが、細部(特に食べ物)の描写に

我欲が滲み出でしまう事があるのかもしれません。


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