第三十二話 クズと天使
『思い出した、、よね..??』
少し遠慮がちな口調で声を発する天使は、
先日今と同じような夢の中の空間において接した彼女との印象とはまた異なり、
どこか俺に対して引け目を感じるような、そんな様子が見受けられた。
「思い出した」
と、冷酷な機械のように平坦な声で呼応する俺ーー
「栄田と七瀬は、もう死んでいて、そいつらを成仏させるのが俺の使命。
でももしそれが出来なかったら、俺は一週間後に死ぬ。だろ?」
『うん..。その通りーー』
「なあ..」
俺は、天使に睨みを効かせる。
するとその瞬間、彼女の体がブルっと微振動した気がした。
『は、はい..』
「一つ聞いて良いか。どうして昨日、
お前は俺のここでの記憶を消したんだ?」
『それは、、』
天使は、今にも消え入りそうな声で最初の言葉を述べようとしたが、
その後数秒沈黙を続け、ようやく続きを語り出した。
『矢場君には、、彼女達を成仏させる気なんてないと思ったからよ..。
どうせ死ぬ。なら、ここでの出来事を覚えさせておく必要性はない..と』
「そっか..。じゃあ、何で今になってまた呼んだんだ?」
『......』
『......矢場君が、、生きたいと思ったから、、
だから、彼女達の事を成仏させてくれると、そう判断したの..』
「うん..。その通りだよ..」
事実、天使の証言に嘘は無かった。
死のうと思っていた自分に訪れる一週間後の死は確定されている。
それなのに、、自分は生きたいと願ってしまった。だから恐らく俺が
突発的な吐き気や悪寒に見舞われたのはこの辺りが噛んでいるに違いない。
だが、今問題なのは俺の身体に生じた異常の事ではない。
何故、一度は死のうとしていた自分が生に縋ろうとしているかだ。
「栄田と..、、これからも一緒にいたいから..」
『好きなの? その娘のこと』
「....。出会ってまだ一日しか経ってないけど、好きだよ..」
『....。それが、君が生に固執するようになった理由なのかしら..?』
「そうだ..。だから俺は死にたくない。
彼女達を成仏させないで、一週間後も、その先も生きていたいんだ..。
だから、お願いだよ..。俺は、、死にたくない..」
『......』
そして気づいた時には、俺は天使の足元に縋り、人生で初めて土下座をした。
足元の得体の知れない床に額を擦り付け、心の底から懇願した。
例えその結果として俺がどんな罰を受ける事になっても良いから。
あの二人と、一緒に楽しく過ごしていければそれで..。
『無理よ』
しかし、そんな俺に浴びせられた天使の一言
それが何を意味しているのか、耳に入ってきた瞬間はまるで理解出来なかった。
「え..?」
『無理よーー。本来死ぬはずだった人間はどう足掻いても死ぬ未来しか待っていない。
彼女達を成仏させなければ絶対にーー』
つい数分前までの、遠慮ガチの天使の姿はもうそこには無かった。
下手に出た俺に対して増長し、態度がデカくなったというわけでもなく、
俺の双眸を射抜く視線は鋭く、それでいて俺に忠告してくれているという事が、
痛い程伝わってきた。
だからそんな天使に対し、俺は子供じみた反抗をする気力も、
またさっきのように懇願する気力さえも失われ、残ったのはただ、
変えようもなく、かつ救いようのない自分の未来だけだった。
『良い? 貴方に残された時間はもう、後6日しかないのよ..。
でも、あの二人を成仏させれば、また一から人生をやり直せるの。
死にたくないんでしょ!! だったらもう、残された選択肢は一つしかない..』
「..二人を、成仏させる....」
でも、そうすれば栄田とは金輪際会えなくなってーー
『違うでしょ!』
と、恐らく俺の内心を見透かしたであろう天使は声を荒げた。
『会える会えないでいったら、どの道会えなくなるでしょう..。
でもね、、死んじゃったらもう、、
あの子達を思い出す事も出来なくなってしまうのよ!!』
「あ..」
確かにーー
もし死んでしまったら、俺は栄田の事を忘れてしまうのだろうか?
死後の世界がどうなっているかは定かではないが、そこら辺に詳しい天使が
言っているのだから、恐らくそうなのだろう。
「分かったよ..。天使..」
『うん! 覚悟は決まったみたいね..』
「俺、、二人を成仏させるよ..」
♢
そう、決意し腹は決まった。
グズグズしていた、優柔不断だった自分の思考は一つに統一されたのだ。
目的は二人の成仏ーー
その為にも、まずは彼女達の失われた記憶を取り戻さなくてはならない。
残り6日、その間に色んな体験をさせ、少しでもその糸口を掴みさえすればーー
だがここが最大の難所だ。まさに時間との勝負。
それまでに二人の記憶が戻らず、成仏してくれなければ俺は死ぬから、、
俺はまだ、死にたくないから....
天使と夢の空間で話し、随分長い時間が経っていたようだ。
時計の長針は既に3をさしており、カーテンでUVカットされた日差しは
俺の部屋全体を柔らかに包み込んでいる。そんな空間内で俺がいるのは
掛け布団の上ーーそれに頭には普段使っている枕よりも柔らかい感触があり、
「康太! おはよう!」
顔の上、その至近距離にあるもう一つの顔ーー
その顔は満面の笑みを浮かべていて、やがて手を伸ばしたかと思えば、
指先が俺の鼻先にチョンと触れる。
「何してんの..?」
「鼻つまんでんの。何秒耐えれるかなと思って..」
「やめてくれ..。多分20秒ももたない..。
元小児喘息持ちで、今もあまり肺は良くない..」
「そ、そうなの!? ごめん..」
「..それよりこれ、膝枕?」
「うん..。ちょっと恥ずかしいけど、どうかな..?」
「最高だよ..。出来ればずっとここで寝てたい..」
「ふふ、ありがと! お世辞でも嬉しい」
「お世辞じゃないよ..。というより栄田..。
少し、横向いて良いか、、? ずっと仰向けだし、
寝返りうちたい気分だからさ..」
「....? 別に、良いけど..」
と、栄田の了承を受け、俺はすぐに身体を横にした。
俺の頭髪が腿に触れたのか、栄田の下半身がピクリと動く。
彼女の体温が、直に頬に触れた。
「はぁ..。横になってもあったかい..。最高だよ..」
「もうーー流石にそこまで言われると照れて....」
時間がいつもの十分の一くらいのスピードで流れた。
俺の顔からは、普段はあまり漏れる事のない液体がとめどなく溢れて、
それが栄田の腿の体温と絡み合ったからだ。
それなのに、彼女はちっとも不快だという意思表示をする事はなく、
それどころか俺の髪を、ゆったりとした手つきで何度も撫でてくれた。
さらりさらりと、行ったり来たり、その小さい手が俺の頭を往復する度に、
ますます顔から出る液体の量は増えていく。
悲しくて、切なくてーー
どうしようもない俺の未来を、彼女を代価に変えようとしている
自分の浅ましさといったものが酷く情けなく見えて、罪悪感は募るばかりで、、
もう、そんなやり場の無い感情を、ただ”被害者”の側で発露させる当事者の自分は、
この世界の誰よりも愚かな人間である気がしてならなかった。
「今日は外..暑いよね..」
しかし、栄田が俺が横を向いてから言ったのはこれっきりで、
彼女はもう、これ以上俺の涙に言及する事は無く、
この世界の誰よりも優しい態度で、以降も頭を撫でるという同じ所作を反復した。




