第二十九話 発情
「....。まずいな..。結構傷が深いんじゃないかこれ..」
「まぁあんなに盛大にこけたからねー!
それよりも驚くべきは、機械人間である私が、出血したって事..」
この事態に、謎はますます深まるばかりであった。
「さてと..。絆創膏はでかい奴2枚で足りるかー..。
なんだか昨日からやたらとお世話になっている気がするのだが..」
「そうね..。康太も昨日怪我したばかりって、、
それに七瀬さんも..。あれ? そういえば七瀬さんは?」
「あー..。なんかお使いの用はあるのかって尋ねられたから、
とりあえずお前の油と、他にも数点、近所のスーパーに買いに走らせたよ..」
「ふーん..。じゃあもう仲直りはしたのね」
「いや..。それがまだ出来てないんだよ..。さっき買ってきた鰻弁当も、
結局食べないまま行っちゃったわけだし..」
「ふーん......。時間がかかりそう..」
まるで独り言のように、
栄田は大きい絆創膏を赤黒い患部に貼り付けながら言った。
返事は求めていないような口振りで、片方だけが発光した珍奇な瞳は、
ガラス越しの太陽光に照らされて細まる。
「康太..。その、、さ..。
七瀬さんも一緒だと水臭くて言えなかったけど..。これだけは言わせてよ..。
ありがとうってーー私、とっても康太に感謝しているから」
「どういたしまして」
「ふふっ、、言いたい事はこれだけ..。
というわけでさ康太。七瀬さんが帰ってくるまで暇なわけだし..。
二人でなんかやろーよ!!」
「お、それはいーね! 二人でやる..か....」
俺は自分の部屋の中をぐるりと見回した。
栄田の座る七瀬用の掛け布団と、その近くにある本棚の中にある漫画ーー
ではなく、本棚の上に置かれたボードゲームに目をやった。
しかしそこにあったのは複数人でやるものの、
二人だけだと物足りないようなものばかりだ。
ポケモンのカードゲームも昔やっていたのが今も父の部屋に入っているが、
第一栄田がルールを知っていなければ面白くないだろう。
「うーん..。というかさ、栄田は昨日、どこで寝てたの?」
「え..。私は昨日はずっとここで寝ていたけど..」
と、足元の掛け布団を指差す栄田はどこか眠たげだ。
「バカ言うなよ。そこは七瀬が使っていたはずだぜ」
「ううん..。七瀬さんなら昨日はずっと、康太。
貴方の横で寝てたよ..。酷いうなされようだったけどね..」
と、栄田が言った時、俺は思わず『はぁ』と声を荒げたくなったが堪えた。
確かに俺が寝落ちするまでは下にいたはずの七瀬が、知らぬ間にベッドの中に
入り込んできたと言うのは、彼女が寝ぼけていたに違いないのだが..
「うなされてた..?」
「そう..。なんて言ってるかはよく分からないんだけどね..。
悲鳴? みたいな感じで、聞いてるこっちも..、少し、怖かった..」
「ふーん..。じゃあ悪夢でも見てたんだろ?
少なくとも寝てる俺は気付かなかったわけだし..」
「そうね..。康太も大分疲れていたみたいだし、お腹を出しながら
いびきまでかいて寝ていたよ」
「あぁ..。それは俺の癖みたいなものだよ..」
「ふふーーそうなんだ。
普段は真面目そうに見えるのに無防備な姿だったから、
なんだか可愛いかったよ」
「か、可愛い..?」
「あ。もしかして可愛いって言われるのあまり好きじゃないタイプ?」
「べ、別にそういうわけじゃないけど..。俺なんかちっとも
可愛くないから、勘違いしないで欲しくてさ..」
「あはは! そー”ゆ”う所が可愛いんだって!」
「....。確かに、あまりそう言われると良い気分にはならないかも..」
「あぁ..。言い過ぎちゃってごめん..」
「..ぷ....」
可愛いーーそう、誰かに言われたのは初めてだった。
だからその響きが自分にとっては新鮮で、笑いを堪えずにはいられなくなった。
「あっははーー」
きょとんとした顔を作る栄田、彼女はまさか、自分の率直な発言が
こうもストレートに俺の笑いのツボを刺激したとは知る由もないからーー
「あぁもう! 康太は急に笑い出すし、結局、、
二人でまだ何も出来てないじゃん!! 私遊びたいよー!」
「はぁ..。だから遊ぶったって遊ぶものがないんだよ..」
「うー..。じゃあ康太、、マッサージはどう?
私揉んであげるよ! aiだし、人体のツボと破壊の手段は心得ているんだから!」
「おい..。後半なんかすげー不吉な言葉が聞こえたってのは置いといて..。
マッサージは遊びじゃないだろ..。サービスだよサービスーー」
「ううん..。私にとってマッサージは遊びだよ!
だって面白いじゃん。人間の身体を好き放題弄れるのって..」
「お前はマッドサイエンティストかなんかか?」
「というわけで、康太。横になってよ!」
「話聞いてないなお前..」
「まずは骨盤の歪みとスマホ首を治してあげるから。
骨が折れるくらいの衝撃と痛みは走るかもだけど安心して。
多分治るよ..。そう、多分..。0.1%の確率で死ぬけど、大丈夫..」
「え..。いや、遠慮しとくよ..」
「遠慮しなくて良いの! 人の厚意にはあやからないと損だよ?」
と言い終えた栄田は、俺の身体を無理やり羽交い絞めにし、
掛け布団の上に押し倒そうと必死にもがく。しかも下手な抵抗を
させないためか、脇下に回された彼女の手先は爪が立っている。
「や、やめろ! 俺ワキガだぞ! そんなとこに腕を回したら臭くなるぞ!」
「ふん..。嘘だね..。康太のアポクリン腺はそこまで発達してないから!」
「畜生..。お前そんな事まで分かるのかよ!」
「えっへへ..。そーなんだよ! 私は人の身体に触れただけで、
その人の内部構造まで分かっちゃうの。だからマッサージは上手くーー」
「隙あり!!」
俺は、今し方自慢話を一通り話し終え有頂天になっている栄田の身体を
振り払うため、後ろに全体重をかけた。
彼女を俺の身体、そしてベッドの
側面にプレスさせれば、痛がって勝手に絞め技を解くはず..。そう判断したのだが、、
「痛い!!」
どうやら打ち所が悪かったようで、栄田は先程負傷したばかりの肘を、
再びベットの縁にぶつけてしまったらしい。
自業自得といえばそれまでだが、反射で後ろを振り向いた時、
頬を朱色に染め、片方の目に涙の膜が張っている彼女の顔を見ると、
そういった類の発言は全て消え去ってしまっていた。
「私、、康太にマッサージをしようとしただけなのに..」
と、涙目で掛け布団の上にちょこんと座り、
やや怒りの色の入った顔でこちらを凝視する栄田。
俺も何か言わないとダメか..? でもその前にぶつけた肘の状態が心配だ。
そう思い、彼女の片腕に向かって両手を伸ばしたその時..
「隙あり!!」
「え..」
俺の両腕は栄田に捕まれ、ちっとも自由が効かなくなってしまった。
多分このまま布団に押し倒すつもりなのだろうか?
涙に気を取られ油断していたが、
栄田は俺にマッサージをする気満々であるらしい。
「そうはさせるか!!」
だから、俺は布団に倒れ込んだ次の瞬間、身体を一回横にローリングさせ、
なんとか栄田の組み手から逃れる事に成功した。
人体を破壊するマッサージなんて、冗談でも施術を受けたくなんかない。
そこから畳み込むように、俺はマウントポジションのまま彼女の両手を掴み返した。
「....」
しかし、これでは俺が栄田を襲っているみたいな格好だ。
こんな姿勢を維持して、今仮に七瀬が入って来たとしよう..。
さっきあんな事があったのに、人間型の機械相手にーーなんていよいよ確信犯だ..。
だから俺はまず、彼女の両手を解放した。
小さくて、冷たくて、そして、震えているーー栄田の手がそこにはあった。
そりゃそうだ。体格差のある、それも男に強引に押し倒されたら
誰だって怖いに決まっているのにそんな単純な思考にも至らず、
俺はただ善意でマッサージをしようとしてくれた栄田に酷い事をしてしまった..。
彼女と視線が一致した。
いつもは挑発的で、人を小馬鹿にするような態度ばかり取るあいつの瞳は、
怪我の痛み以外の要因か、涙で潤んでいた。
「栄田..」
そんな時だった。解放した彼女の手は、気づけば俺の腕を再び掴んでいた。
もはや冷えも震えもない彼女の手のひらは、俺の素肌に確かな熱気を与えーー
それでいて
「なーに..」
言えるわけがなかった。
彼女に腕を掴まれ、顔の距離を、お互いの吐息がかかる程の距離にまで近づけられー
「照れてんの? 康太..」
妖艶な瞳で、煽るような目つきで俺を小馬鹿にし挑発してくる栄田ーー
人間ではないただの機械に、、
こうも胸が、ざわつくなんてーー




