表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/58

第二十五話 その声

「忘れられるって..。どういう意味?」


 余程の辛い事が藤森の身に生じたのか、

だとすればここで鯉に餌をやるというおおよそ頭を使わない作業

によって、いっ時の思考停止状態をえているのだとすれば?


 しかし、そんなん俺が推論する余地もなく、

眼前の藤森は自身の目から滴り落ちる瞼をポケットから

取り出したハンカチですぐに拭った。


「本当は服の裾でゴシゴシしたいのですけど、

この神社の制服? みたいなものだし、場所も場所ですから、

汚したらバチが当たっちゃいそうです」

「それより..。今の涙は....」


「あはは! ちょっと目にゴミが入っただけですよ!

気にしないで、それよりも見て下さいよ! 鯉達が真下に

群がってきていますよ!」

「うわ..。キモ..」


 と反射で口にしてしまった。池は不衛生で、この夏の暑さで

水面が蒸発しているのもあって、ほとんどドブのような匂いがするし、

それに鯉の餌の匂いも足されればそれはもう酷い酷い悪臭だ。


 そんな環境下において、鯉達が群がり白波を立てながら

バシャバシャと水飛沫を上げている様など到底美しいものではない。


 しかし藤森はどういう感性か、これを高く評価しているようだから

今までずっと自我を消していたのにここにきて初めてそれが漏れたと

気付いた時には、彼女は少し目を伏せつつ哀愁の漂う色を浮かべていた。


「そうですか..。あまり気に入らなかったようですね」

「ごめん..。俺、魚はそこまで好きじゃないんだ..」


「..。分かりました! じゃあ、康太くんは部屋で寝ている

二人の介抱を引き続き..。いや、もうその必要はないですね」

「その必要はないって、どういう事..?」


「はい。必要は無いーーつまり、もうこの神社からお二人を

連れて、早いところここを抜け出した方が良いという事です」


 餌を鯉に向かってぶっきらぼうに投げつけながら、

藤森はなおも冷静に語った。


「理由はまだ言えません..。けど、とにかく

早いうちにここから出て行って下さい。それに

もう一つ付け加えておくのなら、もう金輪際

あの二人を神社等には連れて行かないで下さい」

「ま、待って..。さっきから言ってる事の意味が..」


 しかしこれ以上の有無を言わせぬような気迫がその時の

藤森にはあった。俺の想定以上の事を見透かしているような、

まるで俺の知らない世界を見ているような、そんな威厳と

愛嬌を足して二で割ったような上目遣いである。


「康太くん」

「なに..?」


「少し境内を散策しませんか?」

「いやちょっと待て!! さっきまで早く出て行った方が

良いだとか言い出すと思えば今度はのんびりウォーキング?」


「はい。早くと言っても、まだ少しだけ猶予がありますから」

「そうなの..?」


 まるで要領の得ない藤森の話に、

俺の頭はまるで処理し切れていない。

しかしそんなんお構いなしと行った具合に、藤森は境内を散策し出した。

俺も彼女に続く。そして最初に向かったのは愛宕神社の売店だ。


 参拝を終えて右に歩くとすぐの場所にある、

古風でこじんまりとした小さな売店で、売り物は建物の外に

陳列されており、中では巫女服姿の女性達が参拝客の買っていく

商品(主に御守り)を、赤字で神社名の記された小さな紙袋に

詰めて手渡す光景がしばしば見受けられるが、今日は

藤森以外の巫女さんはいないようだった。


「何か欲しい御守り、ありますか?」

「大丈夫。今年の正月に来た時にもう買ったからさ。

ほらこの紫色の奴ね。学業成就だからって、一年ぶりに

帰省した俺の父さんに、半ばゴリ押される形でだけどね。

だから今日は良いかな..」


「..。そうですか..ならあの、、康太くん..」

「今度は何? そんなしおらしくなっちゃって..」


「買わないんだったらその、、これ、、康太くんにあげます」


 そう言って、彼女は商品棚の中から赤色の御守りを

無造作に一つ取り出しそっぽを向いたままそれを手渡してきた。


「え..。悪いよ..。くれなくてもちゃんと買うからさ..」

「だからあげるって言ってます..」


「でも........。何でもない。ありがとな藤森。

大切に使うよ、これ..」

「う、ううん..。こっちこそ、受け取ってくれて有り難う康太くん。

あの..それじゃあ次は一緒に御神籤引きませんか..?」


「え、あぁ..。別に良いけど..」


 すると藤森は、近くにあった御神籤の箱をわざわざ俺のいる

方まで担ぎ込んできた。木製のそれは、ガラス張りになった上面に

円形の穴が空いていて、そこから手を突っ込み取り出す形式に

なっているようで、近くには硬貨の投入口がついている。


「じゃあ開示しますよ!!」

「良いよ!!」


 因みに、おみくじを引く前に俺と藤森はある決め事をした。


「私は大吉でした! えっとー待ち人近くにあり..。

あぁこれ多分康太くんの事ですね。でえっと恋愛は..、

今の相手は避けた方が....。何ですかこの御神籤??

私に嘘の情報を垂れ流してきます!!」


「はは..。まぁ、御神籤なんて所詮気休め程度だからね。

何の根拠もない結果に一喜一憂しちゃ駄目だよ。それに、

ここの神社は大吉の排出率が高いらしいしね。でも、

俺は何が出ても動揺なんて絶対しないから..」



 出世の階段を上り切り、右に少し進んだ場所に位置する

1階建て長屋の茶店はちょうど木陰に位置しており、壁に面した

木製の椅子に座って外でラムネを飲むだけでもそこそこの納涼感が

得られる。


 真昼間なのにみんみんと騒ぎ立てる蝉はいささかやかましいが、

荘厳な社殿の美しい眺めを見ていると、思わず見惚れてしまうあまり

そこまで気にならなくなってきた矢先の事。御神籤の運勢勝負に敗れ

彼女の分の飲み物 (ラムネ)まで自腹する羽目になった俺だが、

先ほどから長椅子の隣に腰を据える藤森が話しかけてきた。


「康太くんは、夏休みは普段、どんな事をしているんですか?」

「そうだな..。最近は割と本読むのが増えたかな。

前はアニメ化もされてるようなジャンプとかマガジンのメジャーな漫画を

読むのが多かったんだけどさ。そういう藤森はどうなの?」


「私はまぁ..、こうしてバイトをしている日を除けば、

お友達とキャンプに出掛けたり、家族と国内日帰り旅行に行ったり..。

あぁでも、今年の夏で一番楽しかったのはオーストラリアの留学ですね。

一週間の短期留学で、私自身あまり英語は得意な方じゃないのだけれど

ホームステイ先の人がとても優しい方で、特に最終日に連れて行ってくれた

動物園。私生のコアラを抱っこするなんて経験初めてでーーー」


 その後も、藤森の話は膨らむは膨らむは、、

宮古島でダイビングしたーとか、ユニバのハリポタゾーンで

買った杖が空港の保安検査場で引っかかっただとか、、

正直彼女以上に充実した夏休みライフを送る人間が果たして

この世に存在するのかが甚だ疑問で仕方がない。


「当たり前の事ですが。命は有限ですよね。いつ死ぬのかなんて分からない。

もしかしたら明日死ぬかもしれない。だから私はいつ死んでも良いように、

今日という一日を幸せな事で埋め尽くしておきたいんです」


 そう和気藹々とした雰囲気で語る彼女の瞳は陽に照らされたのもあるだろうが、

どこまでも光に満ち溢れているように見える。からと言ってそれに対し俺は、、

なんて卑下する気は毛頭ないが、それより寧ろ今は、申し訳ないという気持ちに

かられその衝動をどうにも抑えきれなくなり、とうとう言ってしまった。


「じゃあさ、、藤森は俺なんかといる意味ないじゃん」


 卑屈になった訳ではなかった。でも、

卑屈になっているように聞こえてしまった自分の声は、

湿った空気に乾いた振動として微かな余韻も残さず消えた。


「そんなわけ、無いですよ..」

「いや、僻んで言った訳じゃ無いから気は使わなくていいよ。

ただ、唐突に疑問に思って口にしただけだから」


 もうここにはいられないと、俺はまだ半分ほど残っていたラムネを一瞬で

乾瓶に変え椅子から立ち上がった。


 俺とは別次元の、幸福に満ち溢れた藤森の日常を俺なんかが

けがしていい訳がなかったんだ。


「待って下さい康太くん!! もうすぐ飲み終わるので!」

「....」


 しかし立ち上がった勢いのまま逃げ出す度胸も自分にはなかった。

結局俺は再度長椅子に座り直す事になり、隣でずっとチビチビラムネを

飲む彼女を待ち続けた。その待つ過程で、会話は生じなかった。


「飲み終わりました! お待たせしてすみません..」

「良いよ全然..。それよりも、この後は..」


 もう帰りたい、いや、お願いだからもう帰らせてくれと、

この場で頭を下げ額を地面に擦り付け懇願しても良いくらいだった。

そしてそんな俺の願いは受理されたのであろうか?


「そうだね..。もうそろそろ二人を連れ出さないと..!!

いよいよ取り返しのつかない事になっちゃうから」

「だからその取り返しのつかない事って何..??」


「ごめんね..。説明している暇はないの..。でもいつか話すから!」


 いつかーーそのいつかは、もう二度と来ないだろうなと思いつつ、

俺は藤森に促されるまま、昏倒した七瀬を背中におぶり、対する藤森は

栄田を抱え、急勾配で危険な出世の階段は使わず、脇にある比較的勾配も

ゆるい蛇行した坂道を下って何とか下の鳥居の近くにまでたどり着いた。


「はぁ..。とりあえずここまで来たならもう大丈夫..。

後は鳥居を潜れば意識も戻るから安心してよ..。康太くん..」

「何が何だかさっぱりだけど、、ありがとうな..」


 逃げたい。もう、藤森の顔も見れない俺は、

何とか二人を鳥居の外まで潜らせた、事態はその瞬間であった。


「康太くん」


 俺の名を呼ぶ誰かの声に、既視感のようなものを感じた。

未だ俺の背で意識不明の七瀬と、酔っ払いのサラリーマンみたいに

涎? を垂らしながら幸せそうな面で眠る栄田のものではない。


 その声の主は、怖くて、逃げたくて、

俺がもう振り返れなくなってしまった遥か後ろの方から響く。

かといって声質や抑揚の癖的にも、藤森のものでは無さそうだ。


 じゃあ一体..。今のは誰が....。


「....康太くん」


 そして数秒後、俺の背中で眠っていた七瀬が目を覚ました。










 


 



 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ