第二十一話 不機嫌
洗面台で洗顔し歯を磨いた後に台所に立つ
目の前に置かれたまな板の上にあるのは昨日
購入し冷蔵庫の中で一晩腐らせておいた新鮮なお野菜たち
こいつを鋭利な包丁で刻んで、一品目は野菜の盛り合わせ
二品目は何にしようか悩んだ挙句、
チョイスしたのは親子オムレツ
親子オムレツとは俺が勝手に命名し考案した特殊な
製法のオムレツの事で、文字通り通常のオムレツに鶏肉
を足し合わせるという単純なもの。
え? それって親子丼じゃね? という
ツッコミはやめて頂きたい。親子オムレツは親子丼とは別物だ。
だって、まずライスがない。
それに、オムレツは親子丼とは違い形を整える手間暇がかかる。
五つ星ホテルのシェフが朝のバイキングで作るレベルのものでは無いが、
若輩者の俺とてもう何十、いや何百とオムレツを作り続けてきたか?
自身の成長のために犠牲となった鶏卵は数知れず、
そして今日も新たな卵が4個犠牲になる。
そんな計量カップにいれた卵を
菜箸でクルクルかき混ぜている折、厨房にやって来たのは七瀬ー
「私も何か手伝おうか?」
「料理出来るの?」
「いや、あんま得意な方じゃないけど..」
「だったら良い。足手纏いになるだけだから」
「....」
片手間に、思った事をつい口に出してしまうのが
俺の欠点である。あらかじめ言おうと思った内容を客観視し
一歩引いて冷静に俯瞰するだけーー
口で言うのは簡単だが、これを実際にやってみるのは難しい。
「あ、、嘘だよ! 足手纏いだとか冗談だから!
えっと、、俺は卵の方やるからさ七瀬は鶏の胸肉を切るの
手伝って欲しいなーなんて..」
しかし、目線を再び七瀬の側に向けた時、
そこに彼女の姿はなかった。今の一瞬で機嫌を損ね、
頬を膨らませながら去っていったのが容易に想像つく。
もう分かってはいるが、
七瀬はああ見えて意外と怒りの沸点が低い。
だから面倒臭い女と一括りにすればそれまでだが、
彼女に関してそう結論づけるのはいささか性急すぎる。
トントン
まな板に打ちつける包丁の音と共に本来七瀬に任せるべきだった
肉を切りつつ、さっきフライパンに投入したばかりの卵をひっくり
返す作業を並行して行う。
小学校の時からトライアンドエラーを繰り返し続けた工程だから
今ではもう慣れたもので、頭を使うよりも先に自然と手の方が
動いてくれる。やはり、何事においても反復は大切。
世の中には料理を全くしないという男もちらほらいるらしいが、
俺には理解出来ない感性だ。食は生命維持のために必要な
最低限の行為なのに、何故自らの手で狩りをし調理するという
人間性を放棄するのだろうか?
♢
我が家はリビングと、ダイニングルーム、キッチンがワンルームに
集約されているのもあり、(プライベートな空間を確保したいのもあって)
リビングは基本的にあまり使わない。単身赴任で海外に出向する前は父が
晩酌をきめながら三流芸人の寒いエンタメを見ていたが、
それ以外はサッカーワールドカップやオリンピックとか
そういう非定期なイベントでも起こらない限りは家族全員で
集まって団欒を楽しむという事はほぼなかったし、何より誰にも干渉されず
自室で黙々と作業をしていた方が俺は遥かに気が楽だった。
しかし現状、
本来三人用の生活スペースに過剰な人員が発生したため、
例の二人のどちらかにはリビングで生活してもらう事になる。
「いただきます」
「いただきます..」
「いただきまーす!」
それを決めるために、ダイニングルームに二人を集めた。
七瀬と、、
「栄田。消去法的に、お前がリビングで生活する事になると
思うがそれで良いか?」
栄田愛華
七瀬同様、仮住まいする期間の形式上の名前である。
aiだから”えい田あい華”、名無しだから”なな瀬し帆”。
恐ろしいくらいに捻りのない凡庸で面白みもない名前である。
それでも、彼女たちはそこそこ気に入ってくれてはいるみたいだ。
演技じゃなかったら良いんだけど..。
「うん!」
朝の眠気を覚ます、快活な声で栄田は俺の提案に応じる。
そんな彼女の第一印象は”明るく素直な良い子”。ただ彼女はaiだ。
自分に好意が仕向けられるようマインドコントロールされていると
考えるとゾッとするから、あまり深くはツッこまないでおこう。
「で..。七瀬はどうする..?」
「私は..」
さっきの件で怒っているのか、七瀬の表情は暗い。
「康太くんと同じ部屋で良いよ。
”足手纏い”にはならないから」
「......」
そして自分の放った冷徹な一言を鸚鵡返しされると、
途端に罪悪感を帯びてくる。いや、そうなるようにしてるんだ..。
「七瀬..。やっぱさっきのこと怒ってる..?」
「ううん。怒ってないよ」
「嘘だね! 心拍数のリズムが乱れた!」
「違うよ栄田さん。今心拍数が上昇したのはね、
康太くんの作ってくれたこのオムレツが美味しかったから。
適当な事、言わないの」
「美味しい..。そっか、ありがとう..」
「あっはっは! 二人とも心拍数が上がりすぎだって!
そんなに照れるような事かな〜」
『お前 (あなた) は黙ってろ(なさい)!』
ふぅっと、ここで七瀬は一呼吸ついた。
慣れない怒声を発したせいで、少し疲れたようだった。
それに、目を伏せながら黙々と
事務作業のようにオムレツをスプーンで掬って
口の中に放り入れる彼女の所作は到底味の良さに感動している
ようには見受けられない。
「七瀬。俺さ、つい無意識にさっきみたいな心無い発言を
しちゃう事がたまにあるからさ。
あれが本心じゃないのは分かって欲しいのと、
それで傷ついたりしてたら、ちゃんと声に出して教えて欲しい..。
じゃないと....いつまでも煮え切らない悶々とした空気が
尾を引くのが、少し、、嫌だったり..」
「......」
それでも、七瀬の手は一瞬止まったかと思いきや
再び元の動作へと戻っていった。
もうすっかりいじけていて何を言っても反応がなさそうだ。
そしてそんな光景を一人冷静に見つめてか、俺の右隣で
格安のサラダオイルを飲み干す手を止めた栄田がふと
こんな事を口にした。
「七瀬って..、やっぱりガキンチョじゃん..」
発言を間に受け、七瀬は手にしていた銀製のスプーンを皿の上に置く
「え..」
「だから、いくら何でもワガママが過ぎない?
康太はさ。どう言っても説明つかないような私たちの身の上を
ちゃんと理解してくれて、ここに居させてくれてるんだよ?
それだけじゃない。康太は温かいご飯も作ってくれる。
お風呂も、歯ブラシも、洗濯も、それに美容だって気を遣ってる。
そこまでしてくれてるのに、一体何様なのって話だよ。
何言われたか知んないけどさ、些細な事ですぐに不機嫌になって、
見ざる聞かざるの二点張り!」
「え、栄田..。流石にそこまで言わなくても..」
「ううん。こういう人は一回ガツんと言わないとどんどん
つけ上がって横柄に振る舞っちゃうタイプだから。
とにかく七瀬、康太に謝んなよ!!」
「っ分かってるよ! ごめんなさい! これで良い?」
「何、その言い方?」
「....ごめんなさい」
「康太の顔ちゃんと見て言って」
「おい栄田..。マジでそれ以上はやばいって..」
これは推測だが、というか一般論として、人間の怒りの
感情の発散方法には主に二種類あると思う。
一つは随時発散型
そして二つ目は”蓄積型”
そして七瀬の場合は絶対的に後者であるはず。
恐らくちょっとしたストレスが積もりに積もり重なって、
ある一定のラインを超えたら爆発するタイプーー
診断終了と同時に、俺の背筋は凍り付いた。
『まずい、これは何とかしないと手遅れになーー』
バン
遅かった。
恐らく怒りの臨界点に達したであろう七瀬は直後、振り上げた拳を
思い切り机の上に叩きつけ、理性のタガが外れたのか感情面は露わになった。
顔は頬を中心に朱色に染まっており、
度々口から漏れ出る排気音は、フゥ、フゥと一定のリズムを刻む。
「ふざけないでよ!! 私は、、
私は感情のないあんた(栄田)みたいな機械とは違うの!!」
「なな..」
「ねぇ..。私何かあんたに謝んないといけないような事した..?
ねぇ..。今までの私の立ち居振る舞いで何か気に触るようなことあった?
こっちはさ..。昨日みたいに気が昂りやすいあんたに振り回されてまた
追い出されたくないから、無理して良い子を演じているのに、、
何よ!! せっかく料理まで手伝ってやろうとしたら足手纏いって何?」
「ご、ごめ..」
「康太は謝らなくていいよ。それよか七瀬ーー
無理して良い子を演じる? それは結構。勝手にやれば?
でもさ、それが思うようにいかないからって逆ギレしてー」
「逆ギレなんかじゃない!! 全部康太くんが悪いの!!」
「はぁ..? ふざけんな..」
二人の会話は見るに堪えないものだった。
七瀬は俺への恨み辛みを発露させ、一見それを静止し
場を取り持とうとしているように思える栄田でさえ、当の七瀬の
証言には一切耳を貸さず、彼女のみを一方的に攻めている。
そして俺も内心、七瀬にキレていた。
昨日、彼女を探した際にコケて擦りむいた傷口に絆創膏を貼ってくれた事。
一緒に食べたサイゼの料理の味。生理用品を買って気まずくなった事。
それに、泣きながら俺に「ありがとう」と言ってくれた事。
あれが全部、良い子の殻を被った演技だったとーー
「落ち着け栄田。七瀬、二人だけで話そう」
「..。化けの皮剥がれた私に、今更何の用?
もしかしてまた追い出す? うん、それでも良いよ..」
「バカだなお前」
「はい..?」
「不器用すぎるだろ。何泣いてんだよ」
「フェっっ..。な、泣いてないし..」
図星を指摘され、気の抜けた返事で七瀬は頬を伝う涙を拭いた。
それもあろう事か俺の服の裾を使ってだ。彼女の透明な体液が衣服に
付着し、合成繊維のパジャマの素材には濃いシミが出来る。
「ティッシュ使え」
「うん..」
「康太..」
その後七瀬はしばらくの間、ティッシュから顔を離さないでいた。
激しい負の感情をある一人の男にぶつけた事への自責からかはたまた..、、
「ぶっっっ」
「ダメだよ康太くん..。まだ笑っちゃ..」
「え? え?」
突如の事態に、慌てふためく栄田。
それもそのはず、普通に考えれば意味がわからない。
さっきまで仲違いしていた二人が共に笑い合い、悲しさとはまた別の感情で
歓喜のあまり涙腺が緩んでいるその姿を目撃すればーー
♢
話は台所での七瀬との対話時までに遡るーー
「足手纏いだとか冗談だから..」
七瀬はいなくなった。
しかし直後すぐにキッチンの、
俺から見て真正面から彼女はひょっこりと顔を出す。
さっきまでの悪感情はどこへやら? すっかり晴れやかな表情を携えてー
「そう? なら私も何か手伝うよ!!」
実は、この親子オムレツの鶏肉をカットしたのは俺ではなく七瀬。
だって普通に考えて、
オムレツの形成と鶏を刻むのを並列して行うなんて不可能だろう?
まな板の上で器用に包丁を捌く彼女、そして傍に置かれた飲みかけの
サラダ油を見た時だった。
「ごめん。本当に、単純なイタズラ心からだったんだ..。
栄田の性能がどの程度優れているのか知りたかったから、
七瀬と一芝居打って、どのタイミングで嘘と見破るかを..」
「はぁ..。クスー栄田さん。あなたの心拍数測定、
故障しているんじゃない..?」
カァ
全ての種明かしを終えた時、栄田の顔は真っ赤に紅潮した。
「き、気付いてたよー! 最初っから嘘だったってね..!
でも君たちがどんな演技をするか興が湧いてね。
最後まで確かめさせてもらった次第さ!!」
かくして、波乱と喧騒の朝食は終わりを迎えた。




