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第十八話 義母

「七瀬..」

「なに..」


 あの後


 七瀬が泣き出した後


 身辺で変わった事が一つだけ


 それは七瀬の表情やちょっとした素振りが軟化した事だ。

以前はわざと声を張り上げたり、不自然に笑顔を貼り付ける事の

多かったその顔には今、さっきの涙で少し朱色に染まった涙袋と

鼻頭が月光に照らし出されつつ、口角の緩み具合はあくまで

自然体で、声の速度も鈍重にしてどこかおっとりとした雰囲気を

漂わせている。


「さっきファミレス行った時に言いそびれちゃったけどさ、

食後のデザート的なもの食べたかったりしない?」

「ううん大丈夫だよ..! あ..遠慮とかじゃなくてね。

普通にさっきのでお腹も満たされたし私はもう満足だよ」


「そっか..」

「うんうん! でも、わざわざ気遣ってくれてありがとう」


「う、うっす..」


 昔から自分はどうも、人に褒められる事に慣れていないせいで

今のようにいざ賞賛されようが『どういたしまして』とその一言が

スムーズに出て来ずかといって謙虚さをアピール出来るほどの

技量も持ち合わせていないせいで、母音を子音で噛み砕いたような

曖昧な返答しか持ち合わせていない。


 でも俺は七瀬にこうして感謝されて嬉しくない訳じゃない。


「七瀬..。あのさ、帰るまでの時間も暇な訳だし。

なんかゲームでもやらね..。例えば、、尻取りとかマジカルバナナとか、、

歴史人物を思いつく限り言いまくるとか..」

「あぁ! それ結構楽しそうかも!! 

じゃあ日本の歴史人物縛りの尻取りでもやろっか!」



 ♢


 歴史人物(日本人)縛り尻取り


 結果は、あまり芳しい物ではなかった。俺は四回戦中全敗

正直歴史に登場する偉人達の名前はかなり知っている自負があり

過去には徳川家18代目までの将軍の名前、日本の総理大臣の名前、

時には平安時代の女流作家や平家物語のキャラに至るまで、趣味で

暗記していた当時の記憶はいまだに健在であるーー


 しかし、七瀬の持つ膨大な知識量はそれをはるかに凌駕した。


 というより、こっちがやっとの思いで

捻り出してもそれに対する七瀬のレスが

あまりにも早いせいで、思考がその都度掻き乱される。


「ヤッタァ! マタカッタ!!」


 しかし俺の敗北という対価を経て今や七瀬はすっかり上機嫌。

さっきまでのシオらしい態度はどこへやら?


「うっせー、まだ本気出してないんだ」

「トカイッチャッテ、ホントウハマケタノガクヤシインダ!」


 多分、七瀬はゲーム機を持たせると人格が豹変するタイプだ。


「..」


 でも記憶喪失の頭にアドレナリンが分泌されるのは

本人にとってもきっと良い刺激になるはずだからここは敢えて

図に乗らせておく。そう、敢えて。敢えての敢えてーー


 だからこの女がさっきからムカつく顔で

横から煽ってくるのに反抗するのはグッと堪えるんだ。


「..康太くん....。もしかして怒ってる..?」


 しかし、感情をうまい具合に隠せずに俯いたまま、

普段よりも大股で彼女の前を先導しドシドシ進む俺を見た七瀬は、

敢えて四度敗北を喫した俺が尻取りなどの単なるお遊びをきっかけに

臍を曲げているのだと勘違いしたようだ。


 だからか、こいつは不安げな面持ちで俺の前に立ちはだかった。

返事に答えてくれるまで、この道は通さないといった具合にだ。


「怒ってないよ」

「本当に..?」


 この女は、自分の非情な煽りで他者を不快にさせてしまっている

という自覚症状が、ある事にはあるのだなーーと思いつつ、


 今ので、俺が自分の想像以上にイラついている事が判明した。


「怒ってない?」

「怒ってない」

 

「本当の、本当に..?」


「そうだ。だから前に行かせてくれ」

「分かった..。ごめんなさい..」


 そう言って結局彼女は前の道をあけてくれため、

二人はまた肩を並べながら、街灯の配置感覚の狭くなった

薄暗い歩道を進んでいく。しかしー


 湿気の高い陰鬱な空気の中、

再び堅苦しい空気が生じてしまった事実に

俺は頭をもたげるしかなくなった。


 つくづく、自分は感情の制御と、明るさを維持した状態の会話が

不得手なんだな。何とか体裁を保とうとしても、今みたいに

自分の悪感情が原因で淀みが生じすぐに気まずくなる。


 だから次に続く言葉は、こんな状況を打破するべく

自然と口を紡いで出てきた。

 

「..七瀬、”つ”田梅子だ」

「え..?」


「前回の対戦で俺が詰まって負けた奴の最初の一文字

焦ったせいですぐに出せなかったけど、今パッと

思い浮かべたら出てきた。新紙幣の五千円札の人だ」

「あ..」


「どうした、わかんないのか? 日本人なんて

”こ”から始まる名前の奴多いだーー」

「うん。小林多喜二こばやしたきじ


「オッケー じ、じ、じ....」


 じ??


 濁点..? 『じ』から始まる奴なんていたか..?


 じ、じ、、まずい..。某カード漫画の顎の尖った奴が

頭をチラつくせいで思考がまとまんなーー


「タイムオーバー!!」

「ち、ちくしょう......」


「えー! いっぱいいるのにー」

「そ、そんなにいないだろ..」


「じゃあ、ヒントあげようか..?」

「お願いします..」


 すると直後、七瀬はニヤリと笑った気がした。

また負けた俺に対する当てつけか、はたまた格下に

知恵を授ける事への優越感か..。


 しかし、今度はクルリと俺に背を向け

前で2,3度咳払いーーゴホゴホと苦しそうに

肩を振動させながら、『ん、ん』と喉に絡まった

痰を取るような動作を数度繰り返した後、


 彼女は唐突に歌い出したーー



『春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山』



 七瀬の歌を聞き、それが百人一首である事はすぐに分かった。


 しかし、その発音が何とも言えない絶妙な塩梅で、

たかが一首の朗読がここまで美しい一定のリズムを奏でるとは

正直思っていなかために気づけばほぼ無意識に聞き入っている自分がいた。


「康太ーー」


「康太くん!!」

「え..」


「さて、これがヒントだよ。

この有名な歌を読んだのは、果たして誰でしょう?」

「あ..。じ、持統天皇..!!」


「そう、正解!! 彼女の句って、今の時期にぴったりだよね。

初夏の訪れを表現してるからさ。って、今度は”う”ね..。

う、上杉謙信ーーー」


「オッケー 謙信ね..。ん、ん。。ん?」


「あぁ!!

名前を言うのに気を取られて、尻取りのルールすっかり忘れてた!!」

「よっしゃ!!」


 こうして、俺は七瀬に初めて一勝を納める事。

そして損ねてしまった空気感を再び温める事の両方に成功した。


 ♢


「はぁ、また負けたー」

「やったまた勝ったー!!」


 そして、あの後も尻取りは続いた。しかし結局まだ一度も勝てていない。

いつか負かしてやろうと復讐を誓う中、気づけば二人は

矢場家の所在する高層マンションのエントランスにまで到達していた。


『お帰りなさいませ』


 例のNPCも健在だ。


「ねぇ康太くん!! 部屋戻ったらどんな”プレイ”する?」

「えぇ..。悩むなーーマニアックな”プレイ”はもうサイゼの行き帰りで

あらかた試しただろ..。だったらもう、メジャーなのいくしかないよな」


 なんて会話を交えながら

マスターキーでマンションのガラス扉を開けた時だった。

例のNPCさんに『ほどほどにして下さいね』との謎の文言を付け加えられたため、

二人はイマイチ意図を把握し切らぬままにその場を立ち去る。


 中に入るとそこにある来客用のオフィスにあるソファには、

こんな仕事終わりの時間帯であるにも関わらずまだ人が一人座っていた。


 コンビニで買ったであろうコーヒーを片手に、

丸机の上に置かれたマックブックをカタカタと操作しながら

険しい表情を作る中年程度の痩身の男性だ。


 もっとゆとりを持って働けばいいのになと思いつつ、

目の前の視界から消えた七瀬を見つけるべく視線を右にずらすと、

彼女はエレベーターの隣にある巨大水槽をじっと見つめていた。


「七瀬..?」


 後ろから呼びかけると、彼女は一瞬ピクッと肩を動かした後に

ゆっくりとこちらを振り向いて言った。


「ご、ごめん..。す、凄く綺麗だから思わず見惚れちゃって..」

「あー確かにそうだよね。俺はもう見慣れちゃった感あるけど。

やっぱり美しいのに変わりはないよ」


「うん..。私、、このお魚さんの名前知ってるよ!

カクレクマノミでしょ? 今イソギンチャクの中に入ってった..」

「そうそう。ここの水槽の中泳いでるの熱帯魚だからね。

沖縄の海を再現してるみたいだよ」


「へぇ..。沖縄かーー」

「あれ..。そういえば七瀬って、ここが日本のどこかは分かるの..?」


「う、うん..。東京でしょ..?

だって、外に出ると右に東京タワーが見えたし、

私がさっき行った公園も芝公園でしょ..。不思議、だよね..。

記憶喪失なのに、場所の記憶とか、土地勘みたいなのはあるっていうのかな..」

「う〜ん..。

じゃあもしかすると七瀬はここら辺に住んでいた可能性が高いかな..。

どっか遠くの場所から急に現れたというよりも、割と近場からか..」


 かなりの収穫が得られた。今のところ彼女に関してある程度

定まったと言っても過言ではない情報の中でも、場所を特定する

ものはかなり優良だーー


「でも..」

「ん?」


「何て言うんだろう..。土地勘はあるんだよね..。

でも、ここに住んでいた事は、全くイメージ出来ないの..。

だから気持ちが悪くってーー」

「そりゃあね。仕方ない事だよ」

 

 と俺ーー七瀬も首を一回縦に振る。

とりあえずここでの会話は出尽くしたので、

頃合いを見計らいそろそろエレベーターに乗ろうかな..。


 そんな事を考えていた時、七瀬が不意にこう尋ねてきた。


「ねぇ..。

ところで康太くんの親御さんはいつ頃帰ってくるの..?」

「あぁーーお義母さんが帰ってくる時間..?

仕事も終わったしもうそろそろじゃないかな..」


「ど、どうしよう..。私まだ心の準備が..」

「大丈夫だよ。優しい人だしきっと受け入れてくれるって」


 

 

 しかしこの時、


 俺と七瀬は二点ほど見落としていた事がある。


 一つ目は、水槽の前での会話に夢中で

エレベーターの開閉音に気づかなかった事ーー


 そして二つ目は、、


「ただいま..。康太。

ところで、その隣にいる女性はお知り合いかしら?」


 知らぬ前に接近し、いつからか背後に立つ母の存在を、

今に至るまで認識出来ていなかったという事だ。












 








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