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第96話「自身が受ける影響に相手の意図は必ずしも関係がある訳ではない、という話」

「ええっと……もしかしてなんですけど、ご自身ではお気付きでなかったんですか? もしそうなら、もしかしたらお伝えしない方が良いのかもしれませんけど……その、高見澤さんの美声は普通に外まで丸聞こえでしたよ? それで、そんな事をしているくらいなので、結構お暇だったのかな……と思いまして」


 しかし、そんな俺の半ば雑談気分での気楽な質問に対して春菜から返されたのは、まるで某クロコップの右ストレートの如き強烈な一撃、もといそこからリバー・ブローに繋ぐかの様な見事な連撃だった。いや、無論春菜には俺を攻撃する様な意図は無く、寧ろ言動からして俺に対しての配慮を持っての返答である事は理解しているのだが、結果的にはそれを耳にした俺のダメージは中々に深刻なものとなっていた。


 というのも、まあ薄々気付いていた事ではあるのだが、やはり俺の「美声」は周囲にしっかりと響いていた事をこうもストレートに伝えられては、俺の性格的にもやはり一定以上の羞恥を抱かないでいる事は難しかった。


 いや、繰り返しにはなるものの、無論その事には俺も気付いていなかった訳ではないのだが、そんな事をしている人間とは誰も関わり合いにはなりたくない為に、その事を指摘する者が現れない事でそうでない可能性も同時に存在している、という状況にある事でそれを気にせずにいようとしていた俺にとっては、その事実を正面から叩きつけられる事が精神への強烈な一撃となる事は否めなかった。


 とはいえ、先述の通りその事自体には俺も既に気付いていたので、それだけならばダウンを喫する程のダメージを被る事は無い……筈だったのだが、その一撃を堪える為に踏ん張ろうとする間も無く続けて放たれた次の一撃には、実際に倒れこそしないものの俺は精神的にはスタンディング・ダウンを取られかねない状況になっていた。


 則ち、周囲からどう思われるかは兎も角としても、俺自身としては時間を忘れる程に楽しかった先程のリサイタルを「そんな事」だの「お暇だった」だのと言われた事に、俺の精神的なダメージは更に加速したのであった。


 尤も、重ねて言うが春菜には別に此方を馬鹿にする様な意図がある訳ではない事は明白であり、そもそも客観的に見れば、四十を迎えようという大の大人が平日の午後から独りでリサイタルを開いていればその様に思われるのも当然であるのだが、その前に貰った一撃目によって、というよりもそれ以前の段階で既に精神の平静を欠いていた俺には、それこそ当然ながらそんな事を考える様な余裕は存在しなかった。


 ともあれ、そういう訳で再度長時間の、少なくとも体感的にはそう思える程の沈黙を貫いていた俺だったが、やはりその間も春菜はただ黙って俺の返事を待っていた。少しでもその事を重圧に感じてしまう自身を恨みながらも、俺は漸くその春菜の言葉にどの様な答えを返すべきかを考え始める。


「……いや、まあ薄々とは気付いてたけど、こうして面と向かって言われると流石にちょっと恥ずかしいかな。まあそれは兎も角、暇だったのかと言われたら確かにそうだったけど、さっきも言った様に別に待たされたとは思ってないから大丈夫だよ」


 その暫しの思考の結果、そういえば久しぶりの件がスルーされている事に気付いたものの、此方も此処ではその事を無視する事にして、未だ黙したままの春菜に漸くの答えを返す。それは例によって一切の虚偽を含まないものではあったが、こうして返答までに結構な時を費やした以上、そうは思われなくても仕方が無い事だった。


「それなら良かったですけど、やっぱりお伝えしない方が良かったですかね? ところで、もう準備って出来てますか?」


 その心配が杞憂である為かは分からないが、俺の返答を聞いた春菜は俺とは対照的に即座にそう答えると、その結びの質問に俺が答える前に矢継ぎ早に次の質問を口にする。俺はその気の早さに改めて若菜との差異を感じながらも、こうして俺自身にとってはそれなりの問題も相手は然程気にしていない事を明示してくれた事で、自身の気が随分と楽になった様な気がしていた。


 なお、もしこの会話の相手が若菜であったなら、恐らくは羞恥を感じさせた事への謝罪から更にその話を掘り下げていた事だろう。無論、別にどちらが優れているという訳ではないが、この場面ではこうして話題が直ぐに切り替わってくれた事は正直に言えば有難かった。尤も、もし相手が春菜であったなら、そもそもこれまでの様な話の展開になっていたかという事は措いても、これ程の精神的な動揺を覚えてはいなかっただろうが。


「……いや、何れにせよいつかは知る事だったしね、此処は早く知れて良かった事にしておこう。それで、準備って買い物のって事だよね? それなら大体は出来ているんだけど、未だ家の中に置いて来た物とかもあるから、悪いけどもう少し待って貰えるかな」


 その様な思考に伴う若干の間を置いてからではあるが、当社比では早めのタイミングでその春菜の問いに答えを返す。なお、先の有難さ及びその答えを待たなかった本人の言動から考えても、その最初の質問の方には特に答える必要は無かったのかもしれないが、やはりそのままにしておく事には抵抗があったので、この答えを少しでも春菜が必要としていたら良いのだが。

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