第91話「まだ小説を書いてるよ」
という訳で、俺はいつもの様に動画でも見ながら作業を進めようと考えてパソコンの電源へと手を伸ばすが、そこでふと思い付いてその方向を急に変えると、テーブルの上に雑に置かれた小物類から目的の物、則ち携帯型の音楽プレイヤーを探し出してそれを手に取る。今日では、その機能は概ねスマートフォンに取って代わられた感はあるが、俺は未だにそのやや時代遅れの電子機器をそれなりには愛用していた。
というのも、世の多くの人はそれを克服しているからこそその様にしているのだろうが、スマートフォンを音楽プレイヤーにする事の第一の問題点としては、やはりバッテリーの問題が挙げられる。当然ながら、パソコンがある以上は音楽プレイヤーを使用する機会は概ね外出時に限られるのだが、その際に音楽を再生する事に電力を使えば使う程、スマートフォンの本来の目的に費やせる電力は減ってしまう、という訳である。
いや、所謂モバイルバッテリーを使用すれば良いだろう、と現代の技術に適応した方々には思われるかもしれないが、その存在を知るよりも音楽プレイヤーを購入した時期の方が早かった事を措いても、未だ俺がそちらを愛用している事にはまた別の理由も存在していた。まあ、それは例によって俺個人の問題でしかないのだが、その個人的な問題の重大さの度合いで言えば、先述のバッテリーのそれを遥かに上回っていた。
則ち、俺は自身の耳に異物を入れている事に耐えられないので、所謂耳掛け型のイヤホンというこれまた少々時代遅れ感のある物を愛用しているのだが、現代のスマートフォンには最早イヤホンジャックという古の技術は搭載されていない為に、それで音楽を聴く事が殆ど自動的に封じられているのだった。
尤も、ちゃんと探せばUSB接続が可能だったりそもそも無線で使用出来る耳掛け式のイヤホンも存在しているのかもしれないが、これから音楽を聴く方法を模索するならば兎も角、既にその為の手段を用意出来ている今となっては、最早その答えはどちらでも構わなかった。
なお、耳に異物が入る事が耐えられないのならば、耳掛け式のイヤホンは兎も角ヘッドホンタイプの物であれば、スマートフォンに対応している物も恐らくは豊富に存在していると思われるのだが、端からそちらを使用するという選択肢すら浮上していなかった事にも無論それなりの理由がある。
と言っても、それもまた頭部の締め付けに耐えられないという事と、耳を覆われている事に耐えられないという例によって俺個人の、それも極めて感覚的な問題に過ぎず、随分とわがままボディだなと言われればその否定も難しいのだが、まあそれも仕方が無い話ではある。
しかし、今回は些細な事なので大した問題ではないのだが、たとえ世間の大多数には理解されない話であっても、それが生来のものにせよ後天的なものにせよ感覚的な問題であるのならば、本人としてはそれと付き合って生きていくしかないのだ。
ともあれ、その様な事を考えながらも音楽プレイヤーを手にした俺は、それに接続された耳掛け式のイヤホンを着用して音楽をシャッフルで再生し始めると、何曲かを飛ばして現在の気分に合ったものを聴き始める。
いや、つい先程ゲーム内の背景音楽を称賛し、それを退屈な作業に耐えられる理由の一つに挙げていたではないか、という話ではあるのだが、別にそれが虚偽であったという訳ではない。既に状況は変化している、というだけの事である。
また、これまでの言動からも想像が出来ると思うが、俺がゲームをプレイしながらでも音楽を聴き始めたという事は、当然ながらそれだけが目的であるという訳ではない。この行動は言わば準備運動か、或いは幅跳びの前の助走の様なものである。
則ち、俺は自身の耳に付けられたイヤホンが、現在聴いている楽曲のイントロを奏で終えると同時に息を深く吸い込むと、その歌い手の過去の歌声に合わせる様に、またそれなりの大声で歌を歌い始めるのであった。
それは例によって二十年程前の楽曲であったが、それが個人的に好きな楽曲のベスト3に入るものである事を措いても、現代の流行曲と比較しても何ら見劣りするものではなかった。いや、無論それは俺個人の感想に過ぎないのだが、ついでに個人的な感想を述べてしまうのであれば、俺としては寧ろ最近の楽曲には色々と気になる点があった。
というのも、無論全ての楽曲がそうという訳ではないのだが、最近の楽曲は無駄に複雑過ぎるというか、「俺達の音楽は難解で芸術性が高くて誰にも真似出来ないぜ」という様な意図が透けて見えるというか、逆に聴く人間に対して伝わり辛くなってしまっている気がするのである。
とはいえ、重ねて言うがこれは俺個人の感想であり、この「ベスト3に入る程好きな曲」が演者本人達からしてもアルバムの中の一曲に過ぎないという事からも、俺の感覚の方がずれているという事は明白である。
だがそれでも、それこそ重ねてでも言いたいのだが、人は自身の感覚と付き合って生きていくしかないのである。そして、それと付き合って生きていても良いのだと、少なくとも俺はそう信じている。




