第90話「世紀末は遠い過去の話だ」
斯くして、俺は次の仕事……もといコンテンツの現場、もといゲーム内の城下町へ赴いてそのコンテンツである討伐任務を受注すると、その対象となる地域へと移動して対象となる魔物を探し始める。その際、アイテムを用いてキャラクターの移動速度を高めるという要素があるのだが、かつてはゲームという基準では比較的広大なこの世界を素の移動速度で走り回らなければならなかった事を思い出すと、便利な時代になったものだとちょっとした感動を覚えてしまう。
尤も、実際にはそのアイテムの登場から数えても既に十年近くは経過しているのだが、個人的に学生ではなくなって以来というもの時の流れがあまりにも早過ぎて、いや無論厳密にはそう感じられるというだけなのだが、二、三年前だと思っていた事が十年前であったりする事が割と良くあるという程度には、そういった時間の感覚が完全に狂ってしまっていた。
それ故に、これまでに散々強調していた二十年振りという言葉も単に計算上そうというだけであり、正直に言えば感覚的には精々その半分程度のものなのだが、その計算と俺の感覚のどちらが正しいのかと言えば、まあその答えは考えるまでもなく自明だろう。
それはさておき、この現在進行中のゲーム内コンテンツは、週毎に数体から数十体の魔物を討伐する依頼をこなす事で一定の報酬を貰えるというものなのだが、仮にもオンラインゲームなので当然魔物を倒す度に一定の間隔で新たに出現する事を措いても、適当に辺りを見回すだけでその依頼で倒す数以上の魔物がわらわらと蠢いている事も多い為、週毎にそれだけの数を討伐する事にどれ程の意味があるかは甚だの疑問を感じざるを得なかった。
いや、ゲーム内では当然様々な事がデフォルメして表現されている為、そんな事を言い出したら切りが無い事は無論理解しているのだが、先述の様にこういった思考は既に俺の習性となってしまっており、この様なゲームのみに限らず、最早俺には何かしらの創作物等を純粋に楽しむという事は出来なくなってしまっていた。
尤も、この様な傍から見れば難癖をつけているだけの思考をしながらも、何だかんだ俺はこういったゲーム等の創作物を楽しんではいるので、それこそ先述の様に、物事の楽しみ方などは各々の自由である事を考えれば特に問題は無い筈なのだが、偶に誰かが純粋に物事を楽しんでいる様子を目にした時等には、多少なり悲哀に近い感覚を覚える時がある事は否めなかった。
そして、こちらは全くの余談なのだが、その事の、則ち物事を純粋に楽しむという事の最たる例として思い出すのは、やはりかつて長い時間を共に過ごしていた幼馴染である若菜の事なのだが、昨日の帰郷から現在までの僅かな期間で得られた情報だけでも多大な苦労をして来たとも思われる今でも、果たしてその純粋さを保てているのだろうかとは思わずにはいられなかった。
まあ、少なくともその僅かな期間での接触のみから判断する限りでは、俺には若菜の内面は二十年前と殆ど変わっていない様には感じられたのだが、言うまでもなくそれはあくまでも俺の感想に過ぎず、その実際の所は本人にしか分からない。尤も、俺自身の事を他人にも適用するのであれば、本人にも良く分かっていないという可能性は十分に考えられるが、それでも本人より分かっている人間は居ないという事もまた確かだろう。
ともあれ、いつもの様に思考が著しく脱線しながらも、ゲーム内ではしっかりと件の週課をこなしていた結果、気付けばその業務、もとい討伐任務も既にその完了を報告する段にまで進んでいた。尤も、それは一人目のキャラクターの一つ目の任務が完了した、というだけであり、その任務は各キャラクター毎に二つ受注可能である為、未だ同様の作業があと七回は残っているのだが。
とはいえ、そのコンテンツが最早作業以外の何物でもない事は確かだが、一応は討伐する魔物の種類や地域にも差異があり、その中には所謂ボスモンスターと戦うという物が含まれる事もある等、一応は飽きが来ない様な配慮はされている事で、何とかゲームをプレイしているという体は保つ事は出来ている為、その作業もそこまで苦痛になるという事はなかった。
いや、流石にその作業だけを行っていてはその限りではないのだが、何だかんだ背景音楽が優れているという事と、この様な下らない思考でも良いので何か別の事をしながらであれば、まあ多少なり楽しんでプレイする事は出来ていた。なお、その際に眺める可愛らしい女性キャラクターの姿もその楽しみの一端を担っている事は、無論言うまでもないだろう。
ともあれ、そういう訳で何とかその作業を続けていた訳だが、二人目のキャラクターが二つ目の任務の報告を終えた、則ち作業が全体の半分を過ぎた時、遂にそれにも限界が訪れる。則ち、この作業を始めた当初辺りには、過去を振り返ったり幼馴染の事を考えたりして気を紛らわす事が出来ていたのだが、やがて物思いのネタが尽きた今となっては、それを続けるのには動画等の他の娯楽の力が必要になってしまったのであった。




