第9話「孤独は自意識を肥大化させ、肥大化した自意識は結果として人を孤独にする」
しかし、そういった感情やそれに伴う気力の低下が原因で為す事が出来ない行動がある事は確かだが、そうではない行動が存在する事もまた然りであり、食事というものもその後者の一つの様だった。尤も、その準備の段階をも含めての話であれば、その限りではない事は経験からも既に知っていたが、少なくとも現状の様に既に眼前にその対象となる物体が置かれているのであれば、実際に何を考える必要も無くそれを胃袋に収める事が出来た。
「……ごちそうさまでした」
斯くして、孤独による寂しさに重さを増す胸中とは裏腹にものの数分で目の前のラーメンを完食し、箸を置きながら再度柄でもない挨拶を口にする。だが、とてもそれを直ぐに片付けようと思える様な精神状態ではなかったが、例によって肉体の要請には従わざるを得ないのが人間というものであり、渇きを訴える喉を潤す物を探すついでに、未だ僅かに湯気を立てるどんぶりを持って台所へと向かう。
先ずはその中身をシンクに空けて適当に器を水で冷やし、何か無いかと無駄に動作の流麗さを意識しながら冷蔵庫の扉を開くと、そこには未開封の2リットルの緑茶のペットボトルが数本保管されていた。至れり尽くせりだな、などと誰にともなく呟きながら、扉側のポケットの最も手前に置かれていた一本を手に取り、少し考えてからそれを流し台の淵に置く。そして、食器棚から某菓子店のプリンの容器を転用したコップを取ると、軽く水洗いしてからそこにお茶を注ぎ、それをやや大袈裟な動作で一息に飲み干す。
自然と零れた溜め息を一つ吐きながらコップを置き、再度そこに中身を注いでからお茶のボトルを冷蔵庫の元あった場所へと戻すと、今度はそのコップを持って再び食卓へと戻りその椅子に腰掛ける。そして再び、今度は意図的に先程よりも大袈裟な溜め息を一つ吐くと、先程から棚上げにしていた事柄についてを漸く考える事にする。その場合、より以前から棚上げにしている荷解きは無論更に遅れる事になってしまうが、それも現状では致し方ない事だった。
さて、ではこうしてわざわざ腰を据えて何を思案するのかという話だが、言うまでも無く先程の両親からの連絡に関してである。尤も、その瞬間こそ突然の事に何が何だか訳が分からなかったのは事実だが、その後時間の経過と共に一定の平静を取り戻しても尚、その意図が推測出来ない程に俺は愚かな人間ではないつもりである為、その思案の結論は既に殆ど出かかっている様なものではあるのだが、それが正しいものかを改めて検討するだけの時間は、悲しい事に十分過ぎる程に残されていた。
とはいえ、流石に先程の電話とメールで言われた馬鹿の一言だけでは、その裏にある意図を推測する事はどの様な名探偵でも不可能であると考えられ、俺の中で出かかっているというその結論も当然ながら別の側面から導き出されたものだった。則ち、それらの連絡が来たタイミングと、その直前までに自身が遭遇した出来事を照らし合わせた結果現時点で考えられるのは、その出かかっている結論のみだという事である。
つまり、どちらから連絡を取ったかは定かではないが、先程の若菜との一件の顛末を知る事になった両親が、それを繰り広げた息子に対して共通して思った事が、馬鹿の一言……いや一方はそれを四度も連呼していたが、兎に角その一言だったという事である……というものが現時点での仮説であり、それは同時に殆ど結論にもなっているという事である。
一見すると、それはあまりにも飛躍し過ぎた推測の様にも思えるだろうが、良く考えれば俺の帰郷を若菜達が知っている時点で、それは両親からの情報以外にはあり得なかった。また、両親の性格を考えれば俺達の再会の顛末を知りたがる事は何も不思議ではなく、それ以外に両親が俺の行動を知る術は無いと考えられるのであるから、やはりこの仮説はもう結論であると考えても良いのだろう。
則ち、俺よりも余程人生経験が豊富であり、対人のコミュニケーション能力にも明らかに優れている両親の目から見て、先の俺の若菜に対する言動はその一言で済ませられる様なものであったという事が確定してしまった訳である。だが、ではどうすれば良かったのかという事は、両親よりも人生経験が乏しく、コミュニケーション能力も不足している俺には残念ながら皆目見当も付く事は無かった。
無論、何も知らずに二十年振りの再会を果たしただけであれば、俺も昔の様に振る舞う事は出来たのかもしれないが、あれだけ大きな娘が居るという事実を知った後では、やはりあまり馴れ馴れしく話す事にはどうしても、この様な結論を出した今となっても抵抗を覚えずにはいられなかった。
だが、こうして思考が若菜の娘である春菜の事にも到った所で、これまで気が回らずにいた事実に漸く気付くと、それまで何となく靄が掛かっている様だった思考が一気に晴れた様に感じられ、先の両親の言葉にも一定の納得を感じられた気がした。そして、同時に自身が最初から舞い上がっていた事にも気付くと、甚だの羞恥を覚えて一気に頬を紅潮させる。というのも、春菜は最初からはっきりと名乗っていたのだ。私は「柴田春菜」である、と。