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第83話「授業よりも食事よりも大切な事」

 いや、考えてみれば「かもしれない」どころか、俺は今日既に十分過ぎる程にそれを、則ち望外の「良い事」を味わった気もするが、何と言うか、今の思考はそれとはまた別の意味での話である。というのも、既に遭遇したそれらは恐らくは相手の好意によって訪れたものであり、それを此度の幸運の予感と同列に扱うのは俺には何かが違う気がしていた。


「ふう。ごち」


 ともあれ、斯くして二つ目の今川焼きも丁度良い温度になった事で、何だかんだ言って空腹である俺はそれをぺろりと平らげると溜め息を一つ吐き、誰に、或いは何に向けてのものかも不明な挨拶を口にする。実際、この手の挨拶が本来誰に向けられているのかを俺は未だに知らないのだが、まあこの様に本来の由来や意味を知らずに口にしている言葉や、行っている習慣などは他にもいくらでもあるので、特に気にする必要は無いだろう。


 という訳で、不思議な事に何故だか妙に疲れた様な気もするが、曲がりなりにも昼食……の代わりの一時的な間食を終えた俺は最後にお茶を軽くもう一杯飲み干すと、椅子に深く腰掛けて再度溜め息を一つ吐く。そして、そのままいつもの様に食後の休息を取る態勢に入ってはみるものの、当然ながら満腹になった訳ではない今回に関しては、どうやらそれは不要な様だった。


 というよりも、こうして何もせずに休んでいるとそれが、則ち食事の量を抑えた事による物足りなさが気になって来てしまうが、流石に今川焼きのみで腹を満たすのはどうかと思うのは先述の通りであり、インスタントラーメンでそうする事も御免である事も同様である為、俺はこの腹部の物足りなさを気にしない為に取り敢えずは席から立ち上がる。


 普段であれば、此処で次に何をするかを考える必要がある所だが、幸運な事に、今回はそれに関しては悩む必要は存在しなかった。いや、これもまたこれまでの自身の行動による当然の帰結なのだから、先に述べた事と同様に幸運扱いするのは誤りであると言えばそうなのだが、此方は別に蔑ろにしても構わない上に、その事を自身が認識していない以上は、当人にとっては幸運であると言っても誤りではないだろう。


 まあそれはさておき、何故今回は悩む必要が無いのかという事だが、それは明確にやるべき事が存在している為である。というのも、朝食の時とは異なり今は特に動く事に制限が無い上に、その時にも候補としては上がったものの結局は別の事を優先した家事、則ち洗い物が未だ流しに残されている以上、現状でやる事としてそれ以上に相応しいものは存在しなかった。


 尤も、それは先述の通り既に良い事を味わった為か、或いは単に甘い物を食した事による影響かは兎も角として、俺の機嫌というか精神が偶々良好な状態にあり、それをする事に特に抵抗が無いからこその話ではあるのだが、実際に現状がその様になっている以上は、そうでない仮定を考える必要は無いだろう。たとえ、この現状が俺の日常に於いてどれ程に貴重な状況であったとしても。


 ともあれ、やるべき事が決まった、もとい決まっていた俺はたった今使用した皿とコップを持って台所へと向かうと、それらを流しの空いた場所に置いてからその周辺を見渡す。幸運にも……と言うべきかは例によって分からないが、スポンジも食器用洗剤もあるべき場所に収まっており、最早俺が洗い物をする為の障害となる物は何も無かった。


 という訳で、俺はレバーを上に上げるタイプの蛇口から水を勢い良く出してスポンジを濡らすと、そこに洗剤を適当に含ませてから何度か握る事で泡立てるが、そこでふと、或いは漸くと或る事に気付いて咳払いを一つする。


 則ち、先程は中途半端に終わった歌唱をするには今が絶好のタイミングである事に気付いた俺は、その咳払いの後に息を深く吸い込むと、例によって二十年以上前の楽曲を、その歌い手の若干の声真似をしながら歌い始める。


 なお、その声真似は別に意識をして似せようとしている、という訳ではなく、基本的に所謂耳コピをして楽曲を記憶している為か、或いは最早意識せずともそうしてしまう程にそれが自然な行為となっているのかは分からないが、誰のどの楽曲をどの様な状況で歌う時であれ、基本的に俺は無意識にその歌い手の声を真似るのが癖になっていた。


 とはいえ、その声真似が実際に本人に似ているのかといえば、人は自身の声を反響の関係で基本的には客観的に聴く事が出来ない事を措いても、恐らくは否定の答えを返す事になるのだが、俺が歌い方をその方々に寄せている事は確かだった。


 尤も、先述の通りに自身の声は客観的には聴く事が出来ない上に、そもそも俺は別に歌唱の技巧に関する知識を持っている訳ではない為、その寄せ方はあくまでも俺自身がそうしているつもり、というだけのものなのだが。


 ともあれ、元来歌う事自体が好きである為か、或いは先述の様に現在の俺の精神状態が良好である為か、それともこの歌唱自体の調子が比較的に良い為なのかは分からないし別に分かろうとも思わないが、俺は今こうして歌を歌っている事がただただ心底楽しかった。

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