第81話「愛と呪いは紙一重」
尤も、仮に実際はこの今川焼きがそこまでの温度を持っていなかったとしても、結局俺には耐えられなかった事は確かなので、少なくとも他に誰が居る訳でもないこの状況に於いては、何れにせよそれで何が変わるという訳でもなかった。
という訳で、俺は再度意識を思考から食事の方へと向けると、この様な事を考えている間に少しは冷めていないか、という期待を抱いて再度その今川焼きを手に取る。相変わらずその表面には冷たさが残っていたが、その間に内部の温度が浸透して来たのか、当初よりはやや温かく感じられる様な気がした。まあ、それは先程もこうして手に持っていた為なのかもしれないが、例によって何れが真実であれ別に構わなかった。
しかし、こうして再度今川焼きを手に取ったは良いものの、やはり先程の地獄の様な経験を思えば、もう一度それを口に入れるのにはそれなりの覚悟、或いは根拠が必要だった。だが、その経験故にその前者を持つ事は困難である為、必然的に俺はその後者を用意する事になる。
とはいえ、口に入れて確かめるという事は阿呆以外の何物でもなく、また一度口に入れたという事を措いても、そのクリームに手で触れる事にはそれなりの抵抗がある為、単純な方法でその根拠を手にする事は難しい。概ねその様な思考に基づき、俺は別の方向からそれを用意する事を試みる。
則ち、先程自らの歯で作ったその今川焼きの断面を自らの口の方へと向けると、俺はそこに向けて執拗に息を吹きかける。それにより「そこまでしたのだからもう先程の様な熱さは残っていない」という根拠を作り出す事で、臆せずにこの今川焼きを食す事が出来る、という訳である。
まあ、要するに先程メーカーの指定よりも長めに温めた事は完全に無駄だった、どころか自身にとって損にしかなっていない訳だが、内部まで冷たいままであるよりはマシだと思う事により、此処では自身の失敗は認めないでおく事にする。というのも、食事くらいは後悔を抱えない状態でしたいものである。
ともあれ、そうして暫しの間息を吹きかけ続けた俺は流石に十分だと判断した所でそれを止めると、予定通りその行動自体を根拠としてその今川焼きに噛り付くが、努力の甲斐もあり一先ずは火傷する様な熱さは残されてはいなかった。
しかし、その涙ぐましい努力の結果、それを受け続けた部分、則ち息を吹きかけていた部分は完全に冷め切ってしまっていた上に、その周辺の生地の部分も概ね同様の状態となってしまっていた。そのくせ、それより奥の方のクリームは未だ熱さを保っており、先程の様に即座に吐き出してしまう程ではないものの、俺は結局は自らの口内でその熱さと戦う羽目になる。
要するに、最早或る意味では逆に器用な事に、電子レンジで温めるだけという古来から簡単な事の代名詞とされている調理方法でさえ、やはり失敗をしてしまった事は否めない訳だが、そこにも救いがあるのがこの世界の素晴らしい所である。普段はこの表現を嫌味として使う事が多い俺ではあるが、今回は本心からそう思う事が出来ていた。
というのも、確かにその温度的な事だけで言えば最早言い逃れが出来ない程の失敗作となったこの今川焼きであるが、その味に関しては特に問題は無く、概ね想定通りの甘さを持つ美味なものだった。いや、流石にそこは冷凍食品のそれとしては、というレベルに収まってはいるのだが、そういった類の、則ち値段や利便性を優先した食品であっても、素直に美味いと思えるという点に於いては、俺は珍しく自身を本心から評価していた。
尤も、それでも無論不味いと思う物が無いという訳ではないのだが、多くの場合はそれら自体に実際に何らかの問題があるか、或いは単純に味覚の好みの問題である事が多い。例えば、以前自炊で鶏肉のトマト煮……的な物を作った際には不注意でそれを焦がしてしまい、仕方が無く水を足した結果最終的に呪物の様な物が出来上がってしまったのだが、流石にそれは自身でも不味いと断言せずにはいられなかった。
なお、それでも一応鶏肉自体の旨味は感じられた上に、そもそも勿体ないのできっちりと完食はした辺りも、珍しい自身の評価対象な部分である。まあ、そもそもが自身の責任による物なのだから当然といえばそうなのだが、昨今ではその当然が出来ていない人間も珍しくはない様に思えていた。
などと、例によって思考が脱線してしまったが、それが功を奏した為かは不明だが、次の一口は先のそれとは随分と様相が異なっていた。その表面に残る冷たさは相変わらずではあったが、それにさえ目を瞑ればその温度には特に問題は見受けられず、それこそ「良い感じの温度」と言っても差支えの無い状態だった。
それ故に、俺のこの今川焼きに対する味の感想も必然的に一段階上昇し、全ての食品の中でも比較的美味い方に分類し直される。いや、流石にそれは過剰な反応な気もしないでもないのだが、この様な方法が恋愛に於いても一つの技巧として語られている様に、一度落としてから上げられた時には評価も甘くなるものなのだろう。
なお、全くの余談ではあるが、味覚というのは元より人それぞれに異なっていて当然のものである上に、この様な些細な精神状態の変化によってでさえ、こうして容易に変化するものである為、もし何らかの食品に対する評価が他者と異なっていたとしても、何も気にする様な事ではない。その時々の自身の味覚を素直に受け止め、その食事を素直に楽しめば良いのである。
尤も、負の方向に違っていた場合にはその限りではないのだが、そこはそれ、持ち前の演技力で何とか周囲を、そして自身を騙せる様に頑張ろう。間違っても、公衆の面前でその味を罵倒などはすべきではない。




