第8話「どれだけ孤独を愛すると自称しても、結局人は社会的な生物である」
しかし、その試みも功を奏する事は無く、何もする気が起きずにその後もそこに立ち尽くしていたのだが、それを良しとしないと俺に訴えたのもまた俺自身だった。真夏そのものという服装から露出した俺の皮膚は日没と共に急激に下がった気温への対策を要求し、こんな時にも空気を読まない俺の胃袋はサービスエリアでの昼飯以来の食物を寄越せと喚き立てる。
それらは単なる生理現象である事は理解しながらも、その自らの肉体の行動に何となく人情の様な物を見出した俺は溜め息を一つ吐くと、それに応える為にも踵を返して玄関の扉を開ける。そこでは先程から無駄に電力を消耗し続けていた電球が赤みがかった光を未だ灯し続けており、その事にも何となくの温かみを見出した俺はもう一度溜め息を一つ吐くと今くぐったばかりの扉の鍵を閉め、今日一日道交法に反抗し続けていたサンダルを脱いで愛しの我が家へと上がり込む。
その際、築40年を迎えた床が立てた軋む音を聞かない振りをし、洗面所で手を洗った流れでそのまま台所へと向かうと、何か食える物は無いかと辺りの棚を物色し始める。先程の急な来客もあり、未だやり残した事が多く残ってはいたが、取り敢えずは何かを腹に入れなければ、失われた気力が戻る事は無い様にしか思えなかった。
程無くして、幸運な事に独身男性の強い味方であるインスタントラーメンが見付かった為、その途中に見付けていた手鍋を軽く水洗いし、水をいい加減に入れて火に掛ける。そのラーメンが両親が俺の為に取って置いた物なのか、或いは単に転居する前に消費し切れなかっただけの物なのかは定かではなかったが、何れにせよ有難いと思った俺は心の中でおざなりに感謝を告げる。
その直後、まるでそれを見計らったかの様に右ポケットのスマートフォンが震え出し、珍しい事もあるものだと思いながらそれを取り出すと、そこに表示されていたのは奇遇な事に母からの着信を知らせる画面だった。その偶然には正直かなり驚いたが、ああ、引っ越しが無事に済んだかの確認かと直ぐにその用件に思い当たると、それが通話アプリの類ではない純粋な電話である事に妙な納得感を覚えながら応答の操作をしてそれを右耳へと当てる。
「もしも――」
『ばーか! ばか、ばか、ばーか!』
俺が気だるげに応答の言葉を言い切る前に、突然受話口からは年甲斐もない小学生の様な悪口が、耳が痛い程の大声で連呼される。
「はあ!?」
無論、突然の事に訳が分からない俺はそう疑問の声を上げるが、その時には既に受話口から聞こえて来るのは無機質な電子音だけになっており、画面を見ても通話が終了した旨が表示されているだけだった。あまりにも突然の出来事に、罵詈雑言を浴びせられたにもかかわらず怒りの類が湧いて来る事は無く、俺にはただその場で呆けている事しか出来なかった。
だが、そのまま暫しの時が経過してある程度の冷静さを取り戻すと同時に、本気で怒るという程ではないにしても、どういうつもりなのかを問い質したいという気持ちが湧いて来た為に、それを実行する為にスマートフォンを操作しようとした時だった。右手に持ったそれが再度小刻みに震え出し、画面を見ると今度は父親からのメールが来た事を知らせていた。
そのメールという連絡方法に再度時代を感じつつも、その内容を確かめる為にスマートフォンを操作していくが、何故かその内容は何となく予想出来ている様な気がしていた。そして、やがて実際にそれを確かめると、そこに表示された内容はやはり概ね予想した通りのものだった。
ばーか。画面に表示されたのはただそれだけの文字列だったが、今度は先程とは異なり突然の事ではなかったにもかかわらず、不思議な程に怒りの類の感情が湧いて来る事はなかった。それ故に、ただ冷静にそれがどういう意味かを問う内容を返信するが、その返事が来ないであろう事も何となく予想する事が出来ていた。
それが幸か不幸かは意見の分かれる所だろうが、やはりその予想は正しかった様であり、少なくとも先程火に掛けた鍋の水が沸騰し、そこに投入した袋麵が茹で上がるまでの間には、それ以上両親からの連絡が来る事は無かった。だが、その事にも不思議と怒りが湧いてくる事は無く、先にどんぶりに粉末スープを空ける我が家の伝統の製法でインスタントラーメンを仕上げると、その上に箸を置いてテーブルの方へと運んで行く。
「……いただきます」
そうして運んだラーメンの前に座ると、何となくそう言ってからそれを箸で掴み、息を数回吹きかけてその熱を冷ましていく。元来、俺は別に独りの時にもそういった挨拶をする様なタイプの人間という訳ではなかったが、今日という一日に経験した出来事のあまりの濃さ故か、今は少しでもこの静寂を誤魔化したい気分だった。
とはいえ、その後の食卓には面を啜る音が響くばかりであり、その懐かしさを感じる味に少々の安心感を覚えはしたものの、たとえ約二十年という月日の殆どをその様に過ごして来たとしても人は孤独に慣れる様には出来ていないらしく、その時間には一抹の寂しさの様な感情を抱かずにはいられなかった。尤も、その度合いが普段よりも殊更に大きい事は確かであり、その原因についても最早考えるまでもなく自明のものとなっていた。