第78話「言語の正しさとは辞書に載っているかではなく、相手に伝わるかどうかである」
という訳で、何とか他の食べ物が残されていないか、という期待を胸に抱いた俺は台所へと移動すると、手始めに冷蔵庫の扉を開く。尤も、この捜索の行き着く先を俺は既に知っている筈なのだが、昨日の探索ではインスタントラーメンを発見した時点で満足していた為に、他に見た物は残念ながらあまり覚えてはいなかった。
ともあれ、そうして開いた冷蔵庫の中を食い入る様に見回してみるが、そこに残されていたのは既に何度か世話になっているペットボトルのお茶と、いくつかの調味料だけだった。その他の食物に関しては、恐らくは俺が腐らせて無駄にしない様にと持ち出したか、或いは同じ様な理由で計画的に消費した、という所だとは思われるが、この瞬間だけはその両親の配慮を恨まずにはいられなかった。
なお、俺が未だ中学生かそこらの頃には、その残された調味料の一つであるマヨネーズを直接食す、みたいな事が一瞬だけ流行っていたのだが、その当時からそうであった様に、俺にはとてもその様な真似をする気にはなれない為に、此処でもそれを食料として数える事は出来なかった。
しかし、こうして一箇所目の探索は空振りに終わったものの、その扉を閉じる俺の胸中の期待感は寧ろそれ以前よりも高まっていた。というのも、こうして冷蔵庫に食料が残されていない理由が、たった今俺が推測した通りのものであればの話ではあるが、それは逆に言えば、保存が利く物であれば昨夜頂いたインスタントラーメンと同様に残されている可能性が十分にあるという事だった。
という訳で、俺はこの眼前の冷蔵庫という家電に存在するもう一つの機能、則ち冷凍室の扉に手を掛けると、妙に勿体振った動作で徐にそれを引き出す。だが、気温差により生じる白い煙の様な水蒸気、いや厳密にはそれが細かい液体に戻ったものだったとは思うが、兎に角その白い靄がある程度晴れた後にこの瞳が捉えたのは、この胸中に抱いていた期待に応える様なものではなかった。
だが、その光景がその期待から完全に外れているという訳でもない為に、俺はそれにどの様に反応をすれば良いのかが良く分からず、その先程見た冷蔵室よりは狭い収納場所を暫しの間ただぼうっと眺めていた。というのも、そこに収められていたのは確かに食料ではあるのだが、それは冷凍のカスタードクリームの今川焼き、或いは大判焼きであり、流石に昼食にしようとは思えない類の物だった。
とはいえ、未だ自身で食料を用意していないという状況を考えれば、贅沢を言っている場合ではない事も確かである上に、繰り返しにはなるが何よりも昨夜の今で同じインスタントラーメンを食べる事は御免である。概ねその様な思考に基づき、俺はそれを他に何も見付からなかった際の昼食、というよりも一時的に腹を満たす為の食料とする事にすると、今度はその扉を勢い良く閉じるのであった。
斯くして冷蔵庫の探索を終えた俺は、次は流し台の下の、より厳密にはその少し左の収納スペースを開くが、そこにあったのは件のインスタントラーメンだけだった。そしてその瞬間、昨夜にそれを見付けた時の記憶が甦り、他に昼食になる様な物は残されていない事を悟ると、俺はこの捜索をここで中止する事に決める。尤も、厳密には記憶が甦ったというよりは、昨日の探索の順番から考えてこのラーメンより右側には食料は無い筈だと気付いたのだが、まあ何れにせよ大した違いがある訳でもないだろう。
ともあれ、その結果は期待した様なものではなかったが、昼食となる食料の捜索が終わった事は確かなので、俺は仕方が無く再度冷凍庫の扉を開いて先の今川焼きを取り出すが、その冷たさに耐え切れずに直ぐにそれを流し台の上に置く。
いや、流石に大袈裟ではないかと思われるかもしれないが、昔から冷え性である、というかあらゆる感覚が通常よりも過敏である……と思われる為に、俺はこういった冷凍食品等の冷たい物体に限らず、缶のホット飲料等の一定以上の温度を持つ物も、長時間持っている事は出来なかった。尤も、それでも今の様に一瞬で耐え切れなくなるというのは自身でもどうかとは思うのだが、まあ冷凍食品を無駄に長時間持っている必要も無いという事で良しとしよう。
などと、いつも通りに自身の根性の無さを正当化しながらも、俺は食器棚から適当に平らな皿を取り出すと、今川焼きの袋を開封してその中の二つをその皿の上に置く。無論、それだけでは昼食とするには量が絶対的に不足しているのだが、流石にこれだけでそれに十分な量を賄うのは人として間違っている気がする為に、此処は先述の通りに一時的に空腹を誤魔化すに留めておく事にする。
なお、この食品の呼び方には諸説あると思うが、この辺りでは大判焼きと呼ぶ事が多い為、かつては俺もその呼び方しか知らない程であったが、考えてみれば俺は此処で過ごした時よりも長い間を都会で過ごしており、気付けばそこでの一般的な呼び方である今川焼きの方がしっくり来る様になってしまっていた。無論、それは別に喜ぶべき事でも悲しむべき事でもないのは分かっているのだが、今此処でこうして考えてみると、何となく寂しい事である様な気がする事は否めなかった。




