第74話「或る行動が面倒だという事と、それが苦痛であるという事は必ずしも一致しない」
ともあれ、そうして約二メートルの余計な移動の末に目的地である洗面所へと辿り着いた俺は、早速手に持ったタオルの全体に水を含ませると、水道を止めてから力一杯にそれを絞る。
なお、全くの余談ではあるが、俺は昔からこうして水拭きをする際の雑巾の濡らし具合をどの程度にすべきかが良く分からず、ついぞそれを知らぬままこの歳になってしまったのだが、その長い年月で代わりに学んだ事もあった。則ち、そういった「良く分からないもの」は、大抵は適当にやっても問題が無いものである、という事を。
という訳で、俺は手の甲等に付いた水気を、その知見に基づいて適当に水気を含ませたそれとは別の手拭き用のタオルで軽く拭き取ると、和室へと戻る為に妙に軽い足取りで歩き出す。というのも、俺は確かにものぐさで掃除など滅多にする事は無いのだが、それは時間を仕事や娯楽等に費やす方が優先度が高かったり、別に部屋が多少汚れても生活に大した影響が無いと思っているというだけであり、こうして一度始めてしまいさえすれば、掃除という作業自体は案外楽しいものだった。
それ故にだろうか、一連の作業を続ける内に次第にテンションが上がって来た俺は、これまでは何となく控えていた行動を遂に解禁してしまう。則ち、俺は和室に戻るまでの短い道中に於いて、ふと明らかに現状では不要な程に深く息を吸い込むと、いきなり大声で歌を歌い始める。
無論、その奇行以外の何物でもない行動は以前の住処であればそう易々と行えるものでもなかったが、田舎万歳、或いは一戸建て万歳とでも言おうか、現状ではそれを咎める者も居らず、またこの行動が何らかの問題に繋がる可能性も限りなく低かった。尤も、では俺が前の住処でこういった行動を慎んでいたのかと言えば、まあ流石に夜間に関しては控えていた上にある程度は声を抑えてはいたものの、残念ながら否定の答えを返す事しか出来ないのだが。
ともあれ、そうして凡そ二十年程前に流行っていた歌を歌い始めた俺は、それが未だAメロも終わらない間に目的地である和室へと辿り着くと、その中の更なる目的地である件の壺のある空間の前にしゃがみ込む。しかし、こうして順調に作業が進む事は無論良い事ではあるのだが、そこで俺の楽しい時間は早くも一旦終わりを迎える事になってしまう。
というのも、そもそもこの掃除という行為はその場所の多量の埃の堆積を理由に行われるのであり、それを無駄に散らせないという意味でも、その散った埃を無駄に吸い込まないという意味でも、流石にその作業を歌を歌いながら行うのはあまりにも愚かだと言わざるを得なかった。
とはいえ、その事を当然理解しているとしても、俺が一度歌い始めた歌を直ぐに中断するのは、というよりもテンションが上がった状態でその要因となる行動を中断するというのは珍しい事であり、俺はそこに自身の精神の成長を見出して妙な感心を覚えてしまう。
尤も、だからといって普段の俺がこの状態で歌を歌い続ける程に愚かだという訳ではなく、その場合には一曲を、或いは一番のサビまでを歌い終えるまではそこに近付かず、部屋の中央辺りでリサイタルを開催していた事だろう。
まあそれはさておき、件の壺と掛け軸の前で屈んだ俺は先程濡らしたタオルを八つ折りの状態にすると、それを用いてその空間の底面を拭いていく。なお、このタオルの濡らし方と同様に、俺はこういった掃除を行う際の正しい方法というものを未だ知らぬままであるのだが、その解決法もやはりそれと同様のものだった。則ち、たとえその効率が多少上下しようともそんな事は別に大した問題ではなく、こんなものは埃がある程度取れさえすればそれで良いのである。
などと、いつも通りに自身の浅学を正当化しながらもその場所に堆積した埃を拭き取っていく内に、俺はまた改めてと或る事実に気付いていた。則ち、その埃の量に何度もそのタオル……もとい雑巾の使用する面を変更する羽目になり、今使用しているタオルがその面を多く備えている事の有難さを感じた事で、俺は先の失敗というか、その時点での自身にとっての不都合が、時には後の自身にとっての好都合になり得る事を実感していた。
というのも、もしあっさりと雑巾が見付かっていたり、或いは無事に鋏を探し当ててタオルをいくつかの雑巾へと切り分けていた場合には、この埃の量を相手にしては何度かそれを洗いに向かう必要がある為に、今回の探索で無駄にした以上の時間や労力を余計に費やしていたかもしれないと思えば、結果的にはそれらが見付からなかった事は俺にとって好都合であったとも言う事が出来た。
尤も、それではもしそれらが首尾よく見付かっていた場合には、それが俺にとって損であったのかといえば、決してその様な事はない。何故ならば、その場合にはそもそも今回の様な、タオルを雑巾にするという選択肢自体が登場しないので、この様な比較がされるという事自体も起こらない為である。
則ち、経過や結果がどの様なものであれ、見様によってはそこに妥当性を見出す事も出来る、という事……なのだろうか。最早我ながら何を考えているのかも良く分からないまま、俺は引き続きその場所の埃を拭き取り、付近でそこに置かれる時を待っている本達の居場所の為にも掃除を続けるのだった。




