第70話「無駄を楽しむのが人生だが、常に楽しんではいられないのも人生である」
とはいえ、まあ次の行動を事前に決めておくという事自体には、円滑性という意味では一応の意味は無い事もない為、俺はその事を支えにして何とか精神的に立ち直ると、何故か先程から持ち上げたままでいた箱を引き続き持ったまま、先ずはその中身の置き場所の第一候補であるトイレへと向かう。
尤も、先述の通りに最終的にはその箱は自作の献本と共に押入れに封印される運命である為、その箱をそのまま持って行く必要性は乏しい気もするのだが、それ以外の本もそれなりの量がある事を考えれば、結局は運ぶ為の入れ物は必要な気もするのでこれで良かったのだろう。まあ、検討の時点でそれを既に持っていた事は、どう足掻いても言い繕えない完全に無駄な行動であるのだが。
ともあれ、それを持ち続けている事でそろそろ腕に若干の疲労を感じながらも、俺はその本達が入った段ボール箱を持ったままトイレの前へと辿り着くと、我ながら……もとい我としては器用な動きでその扉を開く。トイレのそれである以上、その扉は無論外からは引いて開ける物である為に多少の苦労はしたものの、俺の前には特に問題無く求めていた情報、則ち実際のトイレ内の状況が映像として現れる。
既に帰郷後にも何度か入っている事もあり、当然ながらそれは概ね事前に想像していた通りの光景であったが、直前にした少しの苦労の為か、それを目にした俺は何故だか妙な程の感動を覚えていた。だが、それに浸る様な状況でない事は今の……則ち明らかに無駄な行動をしていた上に、それを理由とした気力の消失の最中にある俺にでも明白である為、俺は直ぐに此処ですべき作業へと移る。
そして、かつての記憶とも総合した結果、このトイレの窓がある方角は恐らくは北側である上に、それに用いられているガラスもやはり分厚いすりガラスであった事からも、直接的に日光が差し込む事は無さそうではあった。
しかし、それでも何というか、電灯を点けずとも明るさは感じられる程度には光が入っている気がする上に、そもそもその下の部分、則ちこの箱の中にある本を置こうとしていた場所は想像よりも狭く、トイレットペーパーを置くという、恐らくは本来の役目を果たすだけでもその為の空間は失われてしまいそうだった。
つまるところ、俺が事前に想定していた件の本の置き場所の第一候補は、その当てが外れて不採用になってしまった、という事になる訳だが、意外にもその事への落胆は無いに等しかった。それが、こんな事もあろうかと既に他の候補が用意してある為なのか、或いは俺の無意識は記憶にあった光景から既にこの結果を知っていた為なのかは分からないが、無駄に精神をすり減らさないで済む事は素直に有難かった。
という訳で、俺は未だ箱を持ったままトイレから出ると、その扉を右足で雑に閉じてその場から離れる。そして、そのまま次の目的地へと向かうのだが、無論それはこの箱の中身の置き場所の次なる候補、則ち俺の仕事場と遊び場を兼任する食堂だった。
とまあ、それ自体は別に良いとして、こうして実際に言葉にして表現してみた訳だが、当然ながらその場所は食事にも用いられる事も考えると、流石にこの広い家を狭く使い過ぎな気はしないでもなかった。だが、家族で……とは限定せずとも、誰かと共に暮らす訳でもなく一人で暮らす場合には、結局そうした方が楽というか、自然にそうなるという事を俺はこれまでの経験から既に知っていた。
尤も、無論それはあくまでも俺の場合は、という条件付きでの話ではあるのだが、まあ実際に今回は俺の場合の話であるので、その様に限る事には特に何の問題も無いだろう。仮にこの世の99%以上の人間がそうではないとしても、この現状というか、この一連の思考に於いては何の関係も無い事である。
ともあれ、そうして例の如く無駄な思考に興じていると、その道中が決して長いものではない事もあり、気付けば目的地である食堂へと到着していた。その結果、自身の行動に不意を突かれるというあまりにも器用な事をした俺は、一瞬自分が何をしに此処に来たのかを見失い掛けるが、持っている荷物の重さから直ぐにそれを思い出してその実行へと移る。
則ち、自身が持つ箱の中にある本を置ける様な場所を、眼前に広がる光景を詳細に分析する事で探そうとするが、そんな事をするまでもなくその為の十分なスペースがある事は一目で理解出来た。まあ、この食堂という空間には、かつては幅60センチメートルの水槽を置いていた様な場所もあるのだから、その事は既に予測済みではあったのだが、条件がそれだけではない事は先述の通りである。
という訳で、次は日光の影響を考えながら辺りを眺めてみるが、こちらも結論を出すのに大した時間を掛ける必要は無かった。しかし、その割には、俺は此処を本の置き場にするかという結論を直ぐに出す事は出来なかった。
というのも、カーテンを閉め切ってしまえば日光の影響を気にする必要は無くなるという事は直ぐに分かったのだが、折角この様な庭付きの一戸建てで暮らす事になったにもかかわらず、その楽しみを一部でも最初から無条件でふいにするという事には、流石に一定の勿体なさを感じずにはいられなかった。




