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第62話「時間だけは誰にでも平等である、というのは詭弁である」

 それから暫し経ち……と言っても現時点ではどれ程の時間が経過したのかは不明だが、少なくとも設定したアラームが未だ鳴動していない内に、俺は薄手の布団の中でふと目を覚ます。その瞬間、思い出した様に畳の匂いが鼻腔をくすぐるが、今回は少し前に同じ様な事をした際とは決定的に異なる事があった。


 則ち、今回は別に迷惑な隣人、もとい隣蝉の歌声で起こされたという訳ではなく、また俺が余程寝惚けて記憶を失っているのでなければ、ではあるが、先の自身の目論見通りにアラームにより目を覚ましたという訳でもなかった。


 それでは、一体何の理由、或いは原因があって俺は予定よりも早く目を覚ます、つまり今回も想定した休息を取る事が出来ないという羽目になったのか、という話だが、悲しい事にその答えを俺は既に知っていた。尤も、無論本当にそうであるという科学的な根拠がある訳ではないのだが、これまでの自身の経験から導かれたその答えについては、やはり悲しい程に疑う余地を感じられなかった。


 則ち、俺が予定した時間より早く目を覚ました原因、もとい俺に十分な休息を取らせまいとしている敵とは、例によって俺自身の肉体である……と、少なくとも俺は本気で信じていた。無論、本当は何らかの外的な要因、たとえば何らかの肉体或いは精神の疾患等がその原因なのかもしれないが、それを特定する方法が存在しない以上は、目に見える相手にその罪を被せるというのも仕方が無い事だろう。


 なお、俺はその様な思考を世の中で実際にしている人間が本当に嫌いであり、かつ本気で軽蔑しているといっても過言ではないのだが、相手が自分自身であれば話は別である。誰に迷惑を掛ける訳でもなく、ただ自身の精神に一定の安定を齎す事が出来る……何と素晴らしい事だろうか。尤も、その安定とやらが常に齎されるとは限らず、概ねその逆の効果になるという事も決して少なくはないのだが。


 ともあれ、こうして寝起きにしては妙に鮮明な思考を展開している内に、その枕詞が外れて完全に意識がはっきりとして来た事を感じた俺は、目を開けて身体をそれがある方向へと転がすと、枕元のスマートフォンへと手を伸ばす。そして、生意気にも主よりも長く眠り続けている愚か者を叩き起こすと、これまでは一種の謎となっていた現在の時刻がその画面の上部にでかでかと表示される。


 午前十一時三十分。それは本来であれば、いや一般的な生活を送る人間であれば寧ろ寝過ぎというか、たとえ休日でも目を覚ますには遅い時刻であろうが、その一般的からあまりにも遠い存在である俺にとってはそうではなかった。


 尤も、転居を機に心機一転した、少なくともそのつもりだった少し前の俺ならばそれに近い意見を持っていたかもしれないが、その時刻の下部に表示されているまた別の時刻、則ちアラームを設定した時刻へと目を遣り、その両者の差を改めて実感すると、やはりその一般的な認識とは逆のそれを抱かずにはいられなかった。


 いや、たかが一時間半早く目覚めただけで何を言っているのか、という話では今回は決してない。というのも、たとえば八時間眠るつもりが一時間半早く目覚めた、というならばその通りかもしれないが、概ね四時間程の睡眠のつもりが二時間半では凡そ四割減となり、とても「一時間半くらいなら別に良いか」と言える様なものではなかった。


 しかも、今回の場合は、というよりも俺の場合はあくまで床に就いた時点から、余裕がある時でもその三十分程後からの計算であり、実際に眠るまでにはほぼ必ずそれ以上の時間を要する俺にとっては、その「たかが」の価値は更に高いものとなっていた。


 尤も、此処まで長々と語っておいて本当に残念な、そして非常に悲しい事ではあるのだが、俺はこういった出来事には既に慣れてしまっていた。そして、それはこの様な睡眠に関する事のみに限らず、あらゆる自らの肉体の裏切りに関してもそうであるし、またそういった肉体の裏切りのみに限らず、それこそ先の蝉の件の様な外的な要因による不都合についても、俺は最早諦めに近い感覚で俯瞰的に見る事が出来る様になっていた。


 いや、それならばそれで心穏やかに過ごせて良いのではないか、という話ではあるのだが、こちらも非常に残念かつ悲劇的な事に、そんな都合が良くは行かないのが世の中というものである。則ち、俺は確かにそういった出来事、つまり自身の不運を既に諦めの視点で見てはいるのだが、だからといってそれで感情が動かないという訳ではなく、大抵の場合は強い怒りによって結局は自らの精神に一定の損傷を受ける事になるのだった。


 いや、全然慣れてなんかいねえじゃねえか、という話にも思えるがそれも違う。かつてはそういった自身の不運に対し、俺はもっと強い怒りや悲しみ、場合によっては焦燥感等を覚える事もあったのだが、あまりにも多くそれに晒され続けた結果、今となっては怒り以外の感情を抱かなくなった、というのが実際の所なのであった。

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