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第59話「その色には不思議な力がある」

 いや、いくら何でも結論を出すには早過ぎるか。などと自らの思考に対して形だけのツッコミを入れながらも作業を進めていくと、ものの数分で我が愛車の後部座席は多くの人が思い浮かべるであろう姿を取り戻す。尤も、本来であれば一分も掛からない様な作業なのだろうが、俺は昔からこの様な……何と呼ぶべきか俺の語彙では表現出来ないのだが、何らかの変形機構を持つ様な物体を正しく扱う事が得意ではないので、これでも比較的上手くいった方だと言って良いだろう。


 なお、では何が得意なのかという話になった時、たった今その問いへの唯一の自信を持てる答えを失った気がしたが、俺はその事に関しては見て見ぬ振りを決め込む事にする。尤も、語彙が優れていれば文筆家として優れているか、といえばそうとは限らないのだが、少なくともそれが豊富である事で不利になる事は無いので、やはりこの失態は俺の作家としての能力不足を表している事は確かだった。


 ともあれ、一仕事……と言うには流石に些細過ぎる気もする作業を終えた俺はその思考を振り切ると、一度車外へと出て運転席に向かい、ドアを開けて再度愛車へと乗り込む。そして、例によってガチャガチャと面倒な一連の動作を行いエンジンを掛けると、ギアをバックに入れて背面から車庫へと車を突入させる。未だこの運転への苦手意識は抜けなかったが、やはり仮にも持ち家であるという事が大きいのか、その他の場所で同様の事をするよりは大幅にその緊張感は緩和されていた。


 無論、それは最悪ぶつけても損をするのは自身だけだという事もあるが、別に多少斜めになっていても問題になる事が無いという事や、基本的にギャラリーが存在しないという事も俺の性格上では重要な要素だった。尤も、それが俺の気の所為でなければ、先程一瞬目の前を何者かが自転車に乗って通り過ぎた様な気はしないでもないのだが、運転に集中していた俺にはその真偽は分からなかった、という事にしておこう。


 ともあれ、取り敢えずは壁面にぶつける事も無く駐車を成功させた事は確かであり、これにて今度こそこの一連の作業が済んだという安心感からか、最終的に車のキーをシリンダーから抜いた後、俺は車外に出る前に溜め息を一つ吐く。


 いや、どう考えてもそんな大した作業を行ったという訳ではないのだが、その合間に挟まれたイベントがあまりにも、少なくとも俺にとってはそう感じる程の大事件であった為に、俺は自身でも妙だと思う程の疲労感を覚えているのだろうと思えた。


 尤も、確かに客観的に見れば大した作業ではないが、その疲労感はそれが俺にとっては慣れない作業であった為かもしれないし、単に運動不足が祟ってのものかもしれないし、或いは更に単純に睡眠不足による影響かもしれなかったが、例によってその正確な答えを知る術は無く、またその意思についても同様だった。


 ともあれ、その疲労感を抱えたままでは立ち上がるのも億劫だったが、吐いた分の空気を吸い込んだ際に鼻腔に感じた臭いに促される様に、俺はドアを開けて車庫の硬い地面へと降り立つ。そして、口直し、もとい鼻直しの為に深呼吸を一つするが、それにより気道を通った空気は無論車内のそれよりは遥かに清浄ではあったものの、先程玄関から出た際程の清涼感は感じられなかった。


 しかし、その理由について考察するまでもなく、玄関へと戻る為に一度車庫から出た時点でその答えは即座に判明した。その役目を一応は果たしてはいるトタン……の様な形状をした樹脂製の屋根の下から出た途端、その僅かな距離の移動にもかかわらず、自身の鼻に入って来る空気の爽やかさが増した様に感じられたのである。


 則ち、朝の清涼な空気を十分に楽しむ為には、青空の下という条件が含まれるという事をこの歳になって初めて知りながら、俺は例の転がすタイプのシャッターに手を掛けた所で漸く或る事に気付く。いや、別に車庫のシャッターをいちいち閉める意味は無いのでは、という事に。というのも、この田舎町でわざわざこんなオンボロ軽自動車に手を出す様な人間は恐らくは存在せず、またもし仮に存在した場合には、シャッターを閉めていてもその気になればどうとでもなってしまうだろう。


 という訳で、俺はシャッターは開いたままで玄関前の門を通ると、そこで立ち止まり少し考えてからそれを閉じる。いや、たった今車庫のシャッターに対して下した判断と即座に矛盾しているといえばそうなのだが、こちらは閉じていないと何となく据わりが悪いというか、落ち着かないと感じられたのだから仕方が無いだろう。


 なお、少し高い段差を上る事にはなるが、車庫の方から直接玄関の扉の前、則ちその門の内側へと入る事が出来る様になっているので、車庫のシャッターを開いたままにするならば、論理的には名実ともにその門を閉じる理由は皆無と言っても良いのだが、大学の頃に論理学的な物を学んでから長い間その徒を気取っていた俺が最近になって漸く分かった事は、論理なんてものは人の判断や行動の理由のほんの一部に過ぎないという事だった。

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