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第50話「無駄を楽しむのが人生だが、それでも無駄な事はある」

 ともあれ、この朝にだけ味わえる清涼な空気に浸る事で、先程勝手に傷付いた心が少しだけ癒える事を感じながら、俺はガラガラと騒がしい音を立てて車庫の転がすタイプのシャッターを開くと、運転席のドアを開けて愛しきオンボロ軽自動車へと乗り込む。


 この何とも言えない自動車特有の臭いには未だに慣れないが、自身の体臭や香水の匂いにはやがて気付けなくなるのと同様に、長く運転していればその内気にならなくなるので、特に今更対策をする気にはならなかった。


 尤も、今回の運転に関してはどう考えてもその例には当てはまらないのだが、その様な場合は則ちこの臭いを味わうのも短時間で済むという事なので、やはりわざわざ金や労力を掛けてまで対策する程の意義は見出せなかった。


 それはさておき、俺はキーを差し込んで愛車のエンジンを掛けると、ギアやらサイドブレーキやらを操作してゆっくりと発車させるが、こういった一連の動作には未だに慣れてはいなかった。というのも、これまでに散々愛車呼ばわりしているこの自動車だが、実際には転居を機に中古で安く買った物であり、かつて免許を取ったは良いものの長らく所謂ペーパードライバーだった俺は、この転居の話が出てから久し振りに運転の練習をした位なのであった。


 則ち、それで長時間運転をして自力で引っ越しをするのは無謀も良い所なのだが、主には金銭的な、副にはあまり目立ちたくないという理由により、その無謀を押し通したという次第である。いや、これでも俺はずっと優良運転者として金色の免許証を与えられているし、この転居の話が出た後、まさにこの辺りで一応最低限の運転は出来る様に練習も積んでいるし、何よりもこうして無事に辿り着く事が出来たのだから、まあ無謀ではなかったという事だろう。


 ともあれ、やや不慣れな手付きではありながらも車を玄関の傍に着けると、先程と逆の手順で停車してから外に出る。一度車内の淀んだ空気を味わった所為か、外の澄んだ空気からはより一層の清涼感が感じられた。だが、それに何時までも浸っている訳にはいかない、と仕事に取り掛かろうとした所で、俺はまたと或る事実に気付く。


 則ち、俺はキーを差したままで降車したにもかかわらず、その前にトランクの鍵を開ける事を忘れていた事に気付いたのだが、小考の後にそのまま少しだけ後方へと移動すると、後部座席のドアを無駄に勢い良く開く。そして、シートが折り畳まれた広い空間を一瞥し、わざわざ手を伸ばして奥にある荷物を引き摺るという本来不要な手間を掛けてから、その中では最も自身に近かった段ボール箱を車外へと持ち出す。


 しかし、まあ薄々予想していた事ではあったのだが、やはりどうしてもある程度大きな荷物を持つと腹部が圧迫されてしまい、俺はこの作業を選んだ事を若干だが後悔し始める。つい先程まではこの朝の静謐な空気に寧ろこれを選んだ事を正解だと思っていたのに、人間とはやはり勝手な生物だ。


 などと、例によって主語を巨大化して自身の勝手さを誤魔化しながら、なるべくその圧迫を弱める様な姿勢でその荷物を抱えたまま玄関の前へと辿り着くが、そこでも俺は再度と或る事実……というか自身の失敗に漸く気付く。


「どうやって開けんねんこれ」


 思わずそんな謎の似非関西弁を披露してしまうが、荷物を両手が塞がっている状態ではどう考えても眼前の扉を開く事は出来ず、俺は自身の愚かさを悔いながらもその打破手段を考える。則ち、素直に頭を下げて荷物を一度下ろし、普通に扉を開けてから改めてそれを運び込むか、或いは何とかしてこのまま扉を開く術を見出すか、という選択肢の何れを選ぶのかという事を。


 尤も、本来であればその様な選択には迷う必要性など一切無いのだが、一度身体を起こせば一秒で手に取れるテレビのリモコンを、足で近くに引き寄せようとした挙句に足を攣るのが人間、もとい俺の様な物臭な人間である。そして何よりも、内心では既にこうしてそれを認めていたとしても、その様な自身の失敗を易々と認めるという事は、俺の誇り……と呼ぶのもおこがましい何かに反する事だった。


 という訳で、俺は何とかして荷物を降ろさずに扉を開く事を試み、最終的に片足を上げてそれを支えながら、俺はこの辺りの住宅でしか見た事がない特殊なドアノブのレバーを右手で何とか引くと、無理な姿勢になりながらも僅かにその扉を開く。


 そして、下ろした左足をその僅かな隙間に入れると同時に、ドアノブから離した右手で荷物を支える事でその落下を防ぐと、体勢を立て直してから右手の甲側で扉を開き、漸くその荷物を家の中へと運び込む。この一連の動作は、運動神経の悪さには定評があり過ぎる俺にしては中々に見事だったと自画自賛したくなる程のものであった。だが非常に残念な事に、そもそもそれ自体がどう考えても本来は不要な動作であったという事は、俺自身も含めての満場一致の見解だった。

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