第45話「飯が美味いだけで人生の半分位は満足出来る説」
ともあれ、そんな事を考えていながらではあったものの、一人であるが故に特に合間に会話等を挟む事も無く、かつその味が自身にとって非常に美味だと思える物を黙々と食べ続けていたとなれば、十分もしない内に目の前の丼はすっかりと空になっていた。いや、厳密に言えばタレ等は流石に少し残ってはいるのだが、幼少の頃からの習慣故か、或いは単に俺が貧乏性な為なのかは不明だが、そこには白米の一粒すら残されてはいなかった。
「ご馳走様でした」
それはさておき、自身が本来置かれている状況では、則ち経済的及び性格的な理由により決して食卓には上がらないであろうご馳走を食べ終え、俺は自身の腹部への強い圧迫感を覚えながらそう呟く。しかし、それは礼儀的には正しい行動ではあるが、そもそも食前の挨拶を省いて……もとい失念してしまった手前、その礼儀正しさは逆に白々しくも感じられた。
尤も、そうするだけの、則ち俺が自身への羞恥を押してでもそう言いたくなるだけの理由が、この十分にも満たない食事にも十分過ぎる程に含まれていたからこそ、俺は無意味だと理解していながらも敢えてそう口にしたのだが。
無論、それはその食事の豪華さ故という事でもあったが、現時点ではその理由は不明だがそれを用意してくれた若菜にも、何らかの理由でそれを自身では届けられなかった母に変わり、殆ど初対面のおっさん相手にそれを届けてくれた春菜にも、俺は出来る事ならその言葉を届けたかった。尤も、そんな都合の良い超常現象が都合良くこの瞬間に起こる事などは無論あり得ないので、それは次に会った時に取って置く事にしよう。
ともあれ、こうして何時までもぼうっとしていては、丼に残ったタレや白米の跡が固まってしまう事に気付いた俺は、一先ず思考を中断して椅子から立ち上がると、その丼を流しに持って行って水道から水を注ぐ。そして、その水位が表面張力の存在を感じられる程度にまで上昇すると、俺は水流を止めて食堂へと戻る。
いや、昨日の分の洗い物も含めて、その場で洗えという話は尤もではあるのだが、先に冷やして置いた方が何となく洗うのが楽な気がするという事を措いても、そうする事が出来ない確固たる理由が存在していた。
則ち、確かに昨夜からまともな物を食べていなかった為に、この様な立派な食事をする事が出来たのは僥倖ではあるのだが、そうは言っても寝起きである為か、或いは単純に加齢による影響かは定かではないが、朝食から大盛りの「ステーキ丼」を食べた俺の胃には、内側からの強い圧迫感が生じていた。
尤も、無論洗い物の様な軽い動作が出来ない程に動きが制限されている訳ではないのだが、少なくとも現時点でそれをしなければならない確固たる理由が存在する訳でもない、則ち別に後に回しても特に問題が無い現状に於いては、無理をする必要が無い程度の苦しさは伴うものでもあった。
という訳で、食堂に戻った俺は再度椅子に腰掛けると、結局食事中には殆ど口にしなかった為にコップに残っていたお茶を一息で飲み干す。いや、今胃が苦しいと言っていなかったかという話ではあるのだが、流石に物理的に完全に胃の容量が限界という訳ではないので、寧ろ少しだけその圧迫感は和らいだ様にさえ感じられていた。
尤も、食前の期待感から始まり、食事そのもの、それに伴う思考と夢中になっていた為に今まではあまり気にならなかったが、ただでさえ良く考えれば寝起きから殆ど水分を取っていない上に、慣れない人との会話とそれなりの油脂分を含む食事を終えた俺の喉は既に限界に近くなっていた為、仮に本当に胃が限界に近かったとしても、ある程度の水分の補給は必要だった訳だが。
ともあれ、続けてペットボトルから更に注いだお茶をもう一杯飲み干し、主に睡眠に由来する喉の渇きが潤された事で、漸く俺は真の意味で人心地が着いた……のであれば良かったのだが、残念ながら、そして同時に当然ながらそう上手くはいかなかった。というのも、突然の来客から始まった一連の出来事により例によってすっかり忘れてしまっていたが、睡眠を終えて起床した人間の多くが最初にするであろう事を、俺は未だ済ませてはいなかった。
則ち、俺は折角腰を下ろした椅子から再度立ち上がると、再度台所の方面へとやや早足で歩き出し、洗面所を通過して最初に見えた扉を開く。そして、勢い良く穿いている物を全て下ろすと、入って来た方向を向いてその場、則ち便座へと腰を下ろす。なお、流石にその細かい場面までは描写しないが、もし何故座っているのかなどと考えたのであれば、一度自身の清潔さについてしっかりと考えた方が良いだろう。
ともあれ、それから暫し経ち用事を終えた俺は洗面所で手洗いを済ませると、その水気を取ってから再度食堂へと舞い戻る。そして、つい先程まで腰掛けていた椅子に再度腰を下ろすと、今度こそ人心地が着いたというか、起床直後から様々な出来事や感情に翻弄されてきたこの意識が、漸く真の意味で平静を取り戻す事が出来た様な気がした。




