第40話「雨の中、傘を差さずに踊る君」
だが、その時点ではどうやら何らかの丼らしき器が袋に入っている事は視認出来たものの、それに掛けられたラップに付着した水滴の影響もあり、その中身が何なのかまでは分からなかった。それ故に、俺はその袋の、もとい器の底を左手に載せる様にして掴むと、右手でそれを覆っている袋を開く様にしてその中身を白日の下に晒す。
「……ん?」
「あはははは……」
その結果、漸くその全貌を知る事になったその丼の中身、則ち若菜から俺の朝食にだというその贈り物の正体に、俺は少々の絶句の後に思わず疑問のとも驚きのともつかぬ声を出す。そしてその瞬間、その俺の反応が余程滑稽だったのか、或いはその丼の正体自体に面白さを感じているのかは分からないが、春菜がさぞ可笑しそうに声を上げて笑い出す。
その理由が何にせよ、その行為は自身の母親か俺のどちらかに対して些か失礼な行為ではある様にも思えたが、仮に俺がそういった礼儀には非常に厳格な人間であったとしてもそれを責めようとは思わないという程度には、その中身の正体は予想だにしていない物だった。
則ち、こうして白日の下に晒されたその丼の中身の正体、つまり俺の左手の上でまだそれなりの温かさを保っている食品とは、敢えて名を付けるならば「ステーキ丼」とでも呼ぶべき逸品だった。相変わらずラップの水滴によってその細部までは確認出来ないものの、そこには支えている左手に結構な重みを感じる程度には盛られたご飯の上に、こちらも結構な厚さと数を誇るステーキらしき肉が盛られている事は把握する事が出来た。
とはいえ、春菜の笑いやそれを俺が仕方が無いと感じたのは、無論その食品の出来自体がどうこうという話ではない。寧ろ、以前から料理は決して不得手ではなかった若菜の作った物であると考えれば、それを味わう事が今から楽しみであり、その料理の内容自体へのそれも相まって、俺の腹の虫も思わず若干の存在のアピールを開始している位である。
しかし、ではそれが……則ち、器自体の重さがそれなりにある上に俺の筋力自体が非常に貧弱である事を考慮に入れたとしても、この左腕にそろそろ姿勢を保つ事がきつくなる程の負荷を与えている重みを持つ「ステーキ丼」が、果たして一般的に朝食として相応しいのかと言えば、まあ自身を持って肯定する事が出来る人間は少ないだろう。
「ははは……コホン。まあ、そういう表情になるのも無理はないですよね。だから別に無理して直ぐに全部食べる必要は無いですし、何ならそのままお昼ご飯に回しちゃっても良いと思いますよ。ただ、その場合は一度冷蔵庫に入れないといけないと思いますけど」
やはりその俺の思考と概ね同様の考えを持っていたのか、一頻り笑い終えた春菜は咳払いを一つすると、自身と同様の考えを持ったのであろう俺に対し、その朝食には向かなそうな「ステーキ丼」の扱いについて助言をしてくれる。その口調や性格には若菜とは結構異なる所もあるが、こういう気が利く所というか、自然と人を気遣う様な言葉を口に出来る所などは、外見と同様に瓜二つであるようだ。
「……いや、まあ確かに、一般的にはこれは朝食にはちょっと重いかなとは思うけど、正直に言えばかなり助かったというか、こういうしっかり目なご飯が食べられるのは凄く有難いんだよね。というのも、引っ越して来たばかりという事もあって、昨日は夜ご飯もインスタントラーメンしか食べてないし、この後も直ぐにはちゃんとしたご飯を用意出来そうにはなかったからさ」
とはいえ、この「ステーキ丼」に対する先程の思考はあくまでも一般的な、という話であり、今この瞬間の俺自身にも当てはまる物であるかと言えば否である。故に、俺はその旨を例によって正直に口にするが、嘘を吐くという事を基本的にはしない事にしているとはいえ、殆ど初対面の相手にこれ程に明け透けに自身の事を話しているという事は、自身でも不可思議に思える事だった。
尤も、無論それが良い事であるとは限らないのであり、当然ながら向こうから見ても殆ど初対面であるおっさんに、この様な自分語りをされる事が果たして「ぴちぴちの学生」にとって愉快であるかは甚だ疑問ではあるのだが、その点についても不思議な程に心配を感じてはいなかった。
というのも、それがその姿にかつての幼馴染を重ねている為なのか、或いはこれまでの遣り取りから感じられた本人の性格を考えてのものかは俺自身にも定かではないが、眼前の明朗な、少なくともその点に於いては若菜以上であると思える少女が、俺相手に限らず他者全般に対して、その様な悪意のある受け取り方をする姿は想像出来なかった。
しかし、これまでに度々思考等による間を空けていた俺とは異なり、こちらの言葉には殆ど間を空けずに返答していた春菜であったが、その俺の自分語りの後には中々その声が聞こえて来る事は無かった。無論、だからと言って直ぐに先の自身の見立てを翻す訳ではないが、流石に多少は思う所でもあったのかと思いその顔色を窺う為に視線を上げると、件の春菜も丁度こちらの様子をじろじろと窺っている所だった。
ただでさえ人と目を合わせる事が極度に苦手である俺にとって、その視線、則ち自身の好みに合った若い女性の視線は中々にきついものであり、反射的に再度視線を下げてしまう。いや、それならこれまでの会話はどうしていたのかという話なのだが、無論概ねその顔の方を見てはいたものの、極力目は合わせない様にしていたというだけの事である。失礼だといえばそうなのだろうが、そこはそれ、人には向き不向きがあると納得して貰う事しか俺には出来ないのであった。




