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第38話「不正解はあるのに正解が無いものもある」

「……いや、そういう訳じゃないから大丈夫。ええと、この声、分かるかな? 俺を起こしたのはあいつだよ」


 ともあれ、わざわざ同じ質問を繰り返したという事は、春菜本人はその事を気にしているのだろう。という様な、あまり確度に自信は持てない推測に基づき、その不安を解消させる為にという意味も込めて、その質問にありのままの事実を答える。尤も、所謂バタフライエフェクトの要領により、蝉の来訪の有無によって春菜のそれも変化するのでない限りは、それが無ければ俺の安眠を妨げたのは先のチャイムという事になっていた訳だが。


「ああ、なるほど。それは災難でしたね。ちなみに、いつもはどれくらいの時間に起きられているんですか?」


 その事を理解しての事なのかは分からないが、春菜は俺の答えに一定の同情を示した後、それを、つまり自身の責任の有無を確かめられる様な問い掛けをして来る。尤も、単に会話を発展させているだけという可能性も十分にあるのだが、この様な若い女性とのそれは勿論、そもそも他者との会話を殆どしない俺にはその意図を推し量る事は難しかった。


「うん? ああ、いつもの、というか、こっちに来るまでは完全に昼夜逆転しちゃっていてね、起きるのも完全に午後三時過ぎとかになっていたんだけど、折角だから転居を機に直そうと思ってね。取り敢えず今日は十時に起きるつもりでアラームを掛けてはいたよ」


 ともあれ、その意外な質問に思わず一度疑問の声を上げながらも、やはりありのままの事実を以てそれに答える。というよりも、別に俺自身が誠実な人間であるなどと言うつもりは毛頭無いが、基本的に他者の質問に答える際に俺が嘘を吐く事は無い。もし何か答えたくない質問をされた場合には、誤魔化すなり無回答という手段を取れば良い話である。


 とはいえ、繰り返しになるがそれは別に俺が誠実な人間だからとかそういう事ではなく、もっと単純というか、単に自身の必要に応じた行動に過ぎない。則ち、俺は嘘を吐くという事が非常に苦手である為に、最初からそれをしない様にしているというだけである。


「なるほど。それでそんなに眠そうなお顔をされていたんですね。でも、そういう事ならやっぱり私が起こしちゃう所だったのに、その責任を負ってくれたあの蝉には感謝しなくちゃですね。ありがとう、アブラゼミさん」


 その様な俺の事情は知る由も無い筈だが、その内容から嘘を吐いてはいないと判断したのか、その俺の答えにあっさりと納得した春菜は未だ喧しく鳴き喚いている例の蝉の方へ向き直ると、年頃の少女にしては珍しく、その存在を忌避もせずにそう礼を言う。


 それにしても、こうして話していてもその声はやはり若菜とあまりにも似すぎていると感じるが、その話し方には結構な違いがある事にも気付いて来る。尤も、そもそもの基準である若菜のそれは概ね二十年前の記憶によるものである為、その違いが実際に存在するかも若干怪しい所ではあるのだが、春菜の方がやや覇気のある話し方の様に感じられていた。


「……まあ、もし実際にそうなっていたとしても、何か用があっての事であれば俺は別に気にしないから大丈夫だよ。って言ってて気付いたんだけど、良く考えたらこんな時間に何の用かな?」


 その様な思考をしていた為にやや遅れて春菜の言葉に答えを返すが、その途中で漸くこの春菜の来訪の意図が不明である事に気付き、その事も含めてそのまま正直に尋ねる。なお、蝉の事についても触れた方が良かったのかもしれないが、やはり年頃の少女相手にあまり昆虫についての話をする事も憚られた為、敢えてそうしない事を選択したのだった。


「ああ、お話しに夢中で忘れちゃってました。ええと、あの蝉がいつから鳴いているかは分かりませんが、そのお顔からして多分そんなに前の事ではないと思うので、まだ朝ご飯は食べていないですよね?」


 その俺の配慮に気付いたかは分からないが、俺の返答を聞いた春菜は自身の蝉へのお礼という一種のギャグをスルーされた事を気にする素振りも見せず、質問に質問で返すという一種の禁忌を犯してそう尋ねる。尤も、俺は別に質問に質問で返す事には何ら問題があるとは思っていないし、寧ろ糞みたいな質問に対してはまともに答える必要など無いと思っているのだが、それを禁忌と見做す人間はどういう思考を経てそうするに到ったのだろうか。


「え? まあそうだけど、それがどうかした?」


 ともあれ、その予想外の質問に俺は間抜けな声を出す事で答えると、続けて当然の、少なくても今の俺にはそう思える疑問を口にする。いや、冷静に考えればその目的にも予想は付くのだろうが、その質問はおろかそもそも現状自体が想定外も良い所である今の俺には、それを知る為には当人に教えて貰う他は無かった。

 

「それは良かったです。ええと、これ。お母さんからなので、良かったら朝ご飯にどうぞ」


 その俺の狼狽を知ってか知らずか、春菜はやはりその事も気にもしない様子でそう答えると共に後ろ手に下げていたビニール袋を差し出す。その袋の存在は勿論、春菜が昨日とは違う制服を着ている事にもそこで漸く気付いた事からも、やはり自身の精神の平静は未だ戻っていない事を実感しながら、俺は暫し呆けたままその差し出された袋をただ見つめていた。

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