第26話「タナトフォビア」
だが、そうして布団に寝転んで目を閉じ、眠りに就く態勢を整えてから暫し経った頃、様々な考えが脳内で渦巻いて眠れずにいた俺は或る重要な事実に漸く気付くと、枕元で一足先にスリープ状態になっていたスマートフォンを叩き起こす。というのも、その思い出した事実は俺にとって本当に重要なものであり、失念したままであった場合には人生の意義を見失う可能性をも孕んでいた。
則ち、仮眠を取ると言いながら目覚ましを掛ける事を忘れていた事に今更気付いた俺は、無様にも慌てて跳び起きて今からスマートフォンのアラームを設定する、という訳である。それは最早本日何度目かも分からない不手際だったが、最早俺はその事に羞恥を覚える事も無かった。それがその何度目かも分からない事によるものなのか、それともいい加減に眠気と疲労が限界に近付いて来た為なのかは不明だが、どうやら最早俺自身がそんな事はどうでも良いと感じている事は確かな様だった。
それ故に、アラームを今から凡そ三時間後、則ち丁度日付が変わる頃に設定すると、俺はスマートフォンをぞんざいに放り投げて早々に布団に戻る。なお、その0時という設定はこれまでの自身の生活スタイルから見ればかなり早い時間なのだが、それは折角生活環境が変わったのだから多少は昼夜逆転を直そうという前向きな理由と、その環境の変化による影響や締切の直前まで作業に取り掛かれないという自身の性質から、想定よりも時間が掛かる可能性を考えてというその逆の理由を、丁度半々程度に混ぜ合わせた結果設定されたものだった。
ともあれ、そうして仮眠を取る為に改めて横になって目を閉じた訳だが、明らかに強い眠気と疲労を感じているにもかかわらず、いつまで経っても俺の意識が途切れる事は無かった。そして、それは同時にいつまで経っても思考が途切れないという事であり、俺の脳内では様々な、それもあまりに下らない思考が自身の意思をも無視して繰り広げられていた。
だが、一口に下らないと言っても、それは排泄物がどうのこうのという小学生男子が考える様な物という訳ではない。あくまでも合理的な視点から見れば下らない思考というだけであり、俺という個人の感情的な側面からはそう断じる事が出来ない物も多分に含まれていた。
それはたとえば今日の出来事を改めて振り返る様な物であり、或いはもっと以前の事、則ち上京していた頃の事やかつてこの場所で過ごした時の事を思い出す様な物でもあったが、それは殆ど自身の意思を介さずに行われている為に、その思考は脈絡も無く様々な物事や情景へと移り変わっていた。
「あー、マジで頼むよたくみ君」
そして或る時、その自身でもコントロール出来ない思考が禁断の、少なくとも俺にとってはそうだと言い切れる物へと飛び火してしまい、俺はそう自身の名を呼びながら目を開く。則ち、俺は不意に人間の、更に言えば自身の死後の事を考えてしまった結果、その瞬間にそう自身に苦言を呈しながら一度眠る事を諦める事になったのであった。
というのも、人間誰しも……とまでは言わずとも、大抵の人間は概ね思春期に初めてそれを意識した結果、何とも言えない不安感に苛まれるという経験をした事があると思うが、俺は大人に、この四十も近いという歳になってもそれを克服する事が出来ておらず、そういった話題に触れた時やこの様な眠る前等にふと思考がそこに至ってしまう度に、その頃と変わらぬ……或いはそれ以上の不安感にいちいち苛まれてしまうのだ。
要するに、俺が事あるごとに自称している「精神年齢十五歳」という肩書きは冗談でも何でもなく、実際にこの精神は思春期の頃から何一つ変わっていない……とは流石に言わないが、その頃から一切の成長を遂げていないという事を、今この胸を締め付ける不安感がこれ以上無い程完全に証明していた。
とはいえ、自身の言葉に即座に矛盾する様であるが、厳密には俺は「死」そのものを恐れている訳ではない。いや、無論結果的にはそうなるのだが、俺が真に恐れているのは自身の意識の喪失である。尤も、多くの人がそう思うである様にそこには大した差は無いのだが、その小さな違い故に、俺は直説的な死の話題だけではなく、たとえば良くあるワープの描写、則ち一度人間が分解されて再構築される様な描写を想像するだけでも、程度の差はあれこの胸の締め付けを味わう羽目になるのだ。
無論、仮に俺がその様なワープをしたとして、その出口から出て来た側の俺は以前の記憶も保持しているだろうし、外部からも本人からも俺自身としてしか認識されないだろうが、俺はその状況を所謂「スワンプマン」的な物だと理解してしまっている為に、その様な胸の痛みを覚える羽目になるという訳である。つまり、その違いは基本的に俺にとって損にしか働かないのだが、まあ良く考えてみるまでもなく、恐怖を覚える対象が単純に広がっているのだからそれは当たり前の事だった。
しかし、それにも例外は一応だが存在している。則ち、もし死後の世界という物が存在する、或いは現世で霊的な存在になって思考が続けられるのであれば、俺は極論いつ死んでも構わない……とまでは言わずとも、まあそこまで死に恐怖を抱いたりはしないで済む。
だが、俺としても非常に残念な事ではあるのだが、俺自身はそういった物を心から信じる事はどうしても出来ない為に、この様にいい歳をして寝る前に不安で胸を締め付けられる羽目になっている、という訳である。悲しい話だ。




